先日、深夜のTV番組“世界ふれあい街歩き”でミャンマーのヤンゴンが取り上げられていました。
ここでミャンマー伝統の「チンロン」と呼ばれるスポーツに興じる若者が登場。6人のプレイヤーが円になり籐のボールをリフティングのように蹴りあい、いかに難易度の高い技を決めるかがポイントの競技。
勝敗は争わない競技
ルールはよくわかりませんが、中心者を決めて、皆で協力して中心者にいかに上手く難易度の高い技を決めさせるかという伝統競技のようで、勝敗を争わないという合気道を思い出しました。
勝敗を争わないけれど、子どもからお年寄りまで盛んに行われているようです。そして、彼らの晴れ舞台は、仏教寺院のお祭りで行われる競技会。参拝者が観戦者となって大いに盛り上がるのだとか。
軍事政権が続き、民主化が遅れたミャンマーは遅れているように感じていたけど、そうかなって。
先日、全日本卓球選手権が行われ、女子では16歳の平野美宇が全日本3連覇中の石川佳純を退けたんですが、勝負に負けた石川選手の表情が何とも言えないんですよ。
しかも、試合後に握手はしたものの、ずっと年下の平野選手を讃え喜んでる様子が見えないような。もともと、余り表情が豊かじゃない石川選手と感じてはいたけど、とても寂しい感じがしたんです。
毎日にこにこ(*^^*)
今朝、アミシリーズ2巻目の「もどってきたアミ」を読み終え、シリーズ最後の「アミ3度目の約束」を読み始めたのですが、最初からとても気になることが書かれています。
ペドゥリートがアミに連れられて見た進んだ世界の人たちは、毎日をお祭りみたいに楽しみ、皆が喜んで幸せそうに歩いていた。
ところが地球では、通りの人々の表情を見ると、嬉しそうな顔の人はせいぜい100人に1人くらいで、後はみな不機嫌そうな顔をしている。しかも、豊かなところに住む人ほどもっと不機嫌で、石のような表情をしていると。
ふ~む、石川選手じゃないけど、絶えず競争や結果としての勝敗の中に置かれているのが私たちの現実かもしれません。物語では、その競争を“経済”と言っています。
そして、学校では、よりよい人間になるようにとは教えてくれず、“外側のもの”ばかりに指導が向けられ、ほとんどデータを暗記することばかり。それも幸福になるためとか、人生の高い意義を理解するためのデータというわけではないと。
異論反論がありそうですが、通りを歩いている人の表情を観察してみると、当たらずとも遠からずかも。
毎日、にこにこ、ニタニタしているのも気味が悪そうだけど、自分ではそうしていたいなあって思います。
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