「あんたさみしそうにしてるなあいつも」そんな同悲の蟋蟀が鳴く 薬王華蔵
*
こっちがいいかなあ。短歌になっているかなあ。
*
蟋蟀がひょいひょい部屋に入ってくる。片隅で鳴き始める。悲しみを共にしてくれているつもりか。
「あんたさみしそうにしてるなあいつも」そんな同悲の蟋蟀が鳴く 薬王華蔵
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こっちがいいかなあ。短歌になっているかなあ。
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蟋蟀がひょいひょい部屋に入ってくる。片隅で鳴き始める。悲しみを共にしてくれているつもりか。
あんたさみしそうにしているなあいつも そんな声音で蟋蟀が鳴く 薬王華蔵
上の句は575の句またがり。蟋蟀が部屋に忍び込んできて鳴く。夜中に来て、こっちを見上げて鳴く。あんたさみしそうにしているなあいつもというふうに鳴く。
いやいや、蟋蟀がそんなふうに寂しがっているくせに。自分のことは差し置いて、人のことが気になるらしい。
元気になった。再びエネルギーが充満した。休息をしたということもある。夕食を食ったということもある。缶ビールを飲んだということもある。しかしそればかりではない。そればかりではない。待っていたものが届けられたのだ。それがわたしを嬉しがらせた。ひどく嬉しがらせた。望んでいた通りではなかったが、それでもそれで十分だった。最高の期待と同じように、わたしの中ではきらきらと輝く金剛石の値打ちがあった。
鞍馬寺からの長い下りの石段、山道、坂道ですっかり足を痛めてしまった。圧力が掛かった足の親指中指が血豆状態になった。出町柳駅まで電車に乗って32分掛かった。途中のモミジ🍁の森にさしかかると電車はスピードを落としてゆっくり走った。満員の乗客から歓声があがった。電車を降りた後はすぐにタクシーを使った。バス停から僅かな距離と思えても、もう歩けなかった。日頃足を鍛えていない証拠だ。日暮れて娘のアパートに帰宅した。疲れた。何をする気力も残っていない。しばらく休息をとることにする。
鞍馬温泉の湯を浴びた。ほうろくの湯。露天風呂。山々が眺め渡せた。ぬる湯だったので。長湯した。脱衣所が満杯だった。混み合っていた。白人はさすがに色白だった。東南アジア系の若者は恥ずかしそうだった。硫黄温泉という触れ込みなのに、硫黄臭はなかった。
お昼は鞍馬寺門前、鞍馬寺御用達の店で「健康長寿くらま山精進料理」を頂く。松茸土瓶蒸しがその一品にあった。松茸の微かな微かな匂いがした。ここも客が多い。ずらりと列ぶ。これから鞍馬温泉に向かう。降り注ぐ秋の陽射しが心地よい。実に心地よい。
鞍馬山鞍馬寺本堂の本尊は毘沙門天王とその后の吉祥天女だった。長い長い山道を歩いた、石段を歩いた、ケーブルに乗った、帰り道を歩いた、石段を歩いた、よろよろ歩いた。モミジ🍁があちこちで赤くなっていた。参拝客が列を成していた。外国人も散見された。本堂前の三角地点の上に立ってひとりひとり宇宙エネルギーの気プラーナを浴びておられた。長い列ができていた。
遅い朝。京都出町柳駅より鞍馬山へ行く。始発駅から鞍馬寺に参詣した後、鞍馬温泉に遊びたい。秋晴れの好天気である。電車に乗った。観光客で車内は混み合っている。