9
卒業をしてから、また中学時代の友人と一緒に禅宗の禅堂に座禅をしに行きました。ノイローゼからは解放されていました。
法華経に馴染んだのはずっと後の頃です。法華経に一気に引き込まれていきました。
50歳の時にインドに行きました。法華経が説かれた霊鷲山の山頂に立ちました。
これまでの人生で、仏教との色々な接点、ご縁が有りました。
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卒業をしてから、また中学時代の友人と一緒に禅宗の禅堂に座禅をしに行きました。ノイローゼからは解放されていました。
法華経に馴染んだのはずっと後の頃です。法華経に一気に引き込まれていきました。
50歳の時にインドに行きました。法華経が説かれた霊鷲山の山頂に立ちました。
これまでの人生で、仏教との色々な接点、ご縁が有りました。
7
大学の頃は友人と一緒にキリスト教の教会に通うようになりました。夜の祈祷会にも足を運びました。賛美歌を歌うのが好きになりました。友人がオルガンを弾いてくれました。
この頃わたしはノイローゼになっています。人と話をするのができなくなっています。嫌な嫌な人間になっています。友人がわたしを救ってくれました。
6
中学校、高校時代に、山中に入って滝行をしました。自己嫌悪の強くなった頃です。不動明王を祀った大きな断崖に滝がありました。深い山奥にありました。
流れ落ちる滝の水に我が身の偽善と悪を百叩きして貰うと清々しくなりました。雪の降った日にも一人でこの山奥まで入って行きました。がたがた震えながら滝の水に打たれました。
5
わたしが小さい頃、集落のご婦人方があちこちへお遍路に行かれるのです。一年の内に何度も。これに母とわたしが付き従って行きました。
お隣の県、福岡県に篠栗町があります。ここで八十八箇所巡りをするのです。真言宗のお寺を回ります。「南無大師遍照金剛」と唱えながら。これは幼いわたしの宗教教育に寄与してくれただろうと思います。
わたしの家の檀家寺は浄土真宗です。これは今も変わりません。でも、わたしは怠け者、檀徒の責務は少しも果たしていません。
4
それからわたしの住んでいる村はお遍路さんの村でした。春になるとお遍路姿の一行が地蔵堂まで歩いて来られていました。集落集落に地蔵堂がありました。これは今もありますが、お遍路さんの姿は途絶えてしまいました。
3
父は観音様の像を何体か我が家に買って来て置いていました。これは美術愛好からです。父の死後、この像を天台宗のお寺さんに預かってもらいました。
わたしの勤めていた学校の校庭に観音堂がありました。美しい大きな聖観音様が安置されていました。当時の校長先生が仏教に精通しておられました。「和顔愛語」が校是になっていました。
2
わたしはお婆ちゃんっ子でした。お婆ちゃんは父の母です。このお婆ちゃんが毎朝毎夕わたしを仏壇の前に坐らせました。「南無阿弥陀仏」の念仏と礼拝をしつけてくれました。仏壇の前に坐るのは父も母もいっしょでした。
小さい頃のことなのでわたしはお婆ちゃんに服従していました、無批判で。そうすることで、わたしは自然に仏陀の教えを受け入れるようになったのだと思います。檀家寺のお寺にもときどきは連れて行ってくれました。
1
仏教の経典からよく引用していますが、わたしはお坊さんではありません。師を選んでそういう勉強をしたこともありません。何処か特定の宗教団体に属しているのでもありません。布教活動に従事していることもありません。
団体に入ると信仰を強制されます。強制が大の苦手です。心身両面で束縛されます。束縛されるが大嫌いです。わがままです。仏教経典を読んで一人であれこれ想像を膨らませて楽しんでいるばかりです。
雨が上がった。1時間ほどドライブをしてみた。
雨上がりの背振山脈の、山々の谷間に水煙が上って、それが美しく白く流れていた。
ドライブをしながらちらりちらりそれを眺めた。
地上は美しいところだ。さまざまな気象の変化を見せてくれる。
短時間のドライブだったが、これで気が霽れた。
7
悉皆成仏した草木国土は安らぎの国土である。清浄の国土である。恐怖する一切障礙が消滅しているのである。
8
阿閦如来は梵語ではアクショービア。無動・不動仏とも。東方の妙喜国・善快国で修行をして成仏された。密教では金剛界5仏の一仏。大円鏡智を現している。
9
老爺はまたまた仏教経典のところまで歩いて来てしまった。とことことこと。腰をつの字に曲げて、杖を突いて。老爺が一人これに慰撫されている。
この世のすべてが、草木までもが、すでに成仏を果たしていたのだ。急がなくちゃ。老爺は後がないぞ。