死んでしまったら、1万年ずっと死んでしまっているんだろうか。死が、2万年3万年続くのだろうか。100万年にもなるのだろうか。
死が、からからに乾燥してしまうだろうなあ。固形を保てずに、粉になってしまうだろうなあ。
薄っぺらになって、誰かがぷうと息を吐いただけで、大空までも飛び上がってしまうだろうなあ。
生きている間だけなんだなあ、生きているっていうのは。
まあ、しかし、欲を張るなかれ。強欲するなかれ。
生きられたんだから。77年生きられたんだから。
それを精一杯喜んでいたらいいのかもしれない。
なにせ、この後は死後の世界。ずっとずっと。1万年、100万年。
それがあって初めて、この地上の生の有り難さが輝く出ることになる。
充実して生きられたら密度が増すだろう。1万年分、100万年分を生きたことになるだろう。
100万年分を100年に圧縮して、高濃度の人生を生ききればいいのだ。
そんなことができるのか、しかし?
うん、それが問題だ。
寸分も否定の心を起こさないで、まるまる全部、肯定の心で生きていること。 これができたら、高圧釜の圧力になるだろう。
「これでよかった」と。今日までをオレは生きた。満ち足りた。オレは100万年分を生きた。夜空にまたたく星の光を見た。この目でしかと見た。これで100万年を生きたことになる、と。
仏陀の仏法を知らないで100万年生き長らえるよりも、知って一瞬の肯きを得た方がマシなのかもしれぬ。
輝きが輝きを取り戻すことになるのかも知れない。生まれたということが、輝きであったが、その輝きを輝かさないで暗がりの中を100年呻いていただけだったのかもしれぬ、オレは。
輝くダイアモンドでありながら、なにも呻いている時間ばかりを過ごすこたあなかったんだ。