<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

上出来、上出来。

2025年01月26日 20時42分33秒 | Weblog

過ごしている一日をみんな嬉しいにしてしまえるといいだろうなあ。

朝、目が覚めた。これは嬉しいことだから、まずこれを嬉しがる。

トイレに行った。排泄ができた。出なかったらタイヘンなことになっていた。これをクリヤーした。これは嬉しいことだから、にっこりして嬉しがった。

洗面所に行って顔を洗った。歯を磨いた。これでさっぱりした。さっぱりできたのは嬉しいことだから、嬉しがる。

朝ご飯が食べられた。体調不良だったら、食べられないところだったけど、適度に食べられた。これは嬉しいことだから、嬉しがっていいい。

配達されて来た新聞を読んだ。新聞が読める視力があったからできたことだ。これは嬉しいことだから、嬉しがった。

午前10時。お天気が良いので外へ出た。朝の光に溢れている畑を一回りした。畑がわたしの気分を爽やかにしてくれた。これは嬉しいことだから、嬉しい嬉しいと言ってみた。

午前10時まででもこれだけの嬉しいことがあった。上出来だった。

 

 

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「会いたい人がいる」ということは素晴らしいこと。

2025年01月26日 11時31分36秒 | Weblog

会いたい。

会いたい人がいる。

「会う」と気持ちが「合う」。

「合う」と二つの気持ちが一つに「熔ける」。

そういう計算をするのかなあ。

計算尽(づ)くはイヤだなあ。

もっと単純がいいなあ。

「あなたが好き」が無言交叉すれば、こころのお天気が晴れる。

これでいいなあ。

会いたい。あなたに会いたい。

人を好きになることは、「生きているわたしの世界が好き」ということにほかならない。

 

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美しく老いる人がいる。

2025年01月26日 11時23分54秒 | Weblog

美しく老いる。

美しく老いる人がいる。

老いているのに美しい。

若い人の美しさとは違う美しさ、それを湛えている人がいる。

先日そういう人を見た。

わたしと同じ年齢なのに、輝いていた。

目が輝いていた。言葉が明るく輝いていた。

でも、醜く老いていてもいい。

じゃないと、わたしなんか生きていられない。

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威張り屋さんでも病気をすることがあるのかなあ?

2025年01月26日 11時03分29秒 | Weblog

威張り散らせるほどの元気さ。それをもらっている人がいる。威張り散らさなくてもいいのだろうが、目を剥いて人に威張り散らしている。己の強さを誇示している。元気さ強さは天地からいただいているもの。仮のもの。かりそめのもの。自分が創造したものではない。

そういう威張り屋さんでも,病気をすることもあるだろうなあ。長い一生だから、何度か。青い顔をしていることもあるだろうなあ。死ぬほどの病に冒されることもあるだろうなあ。自分の弱さと直面させられているだろうなあ、そういうときは。

見渡してみて,この世は威張り屋さんのなんと多いことか。うじゃうじゃしている。強引に世間を引っ張っている。テレビなんかでこの種の元気な威張り屋さんを見ている。その元気なところがほほえましい。

威張り散らせる時間は短い。短いからなおさら、威張り散らしていたくなるんだろうなあ。

強い強い威張り屋さんの役をできなかった人もいるけど、その反対、一生涯、己の弱さと対面する役を引き受けた人もいる。いずれも途中経過に過ぎないけど。人間を100回1000回する間に、いろんな役回りをしていくんだろう。

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イヤなこともいろいろ体験するけど、

2025年01月26日 10時51分52秒 | Weblog

イヤなこともいろいろ体験するが、いいこともいろいろ体験する。半分半分かなあ、イヤなことといいことは。それ以上かなあ。回数の多い少ないもあるけど、浅い深いもあるだろうなあ。

人生は一方的、ということはなさそうだ。混じり混じっているようだ。元気をもらったっり元気をくじかれたりする。

冬の山鳥のジョウビタキが直ぐ窓の外にまで遊びに来る。「ねえ、お爺さん、遊ぼうよ」と尻尾をフリフリする。こっちを見て「部屋から出てお出でよ」と誘いかけて来る。一日に何度も来る。お爺さんはそれでも誘いに乗らないで部屋に閉じ籠もっている。

でも、ジョウビタキのお誘いは、けっしてイヤなことではない。

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小学生の頃には田圃に「稲こずみ」があった。

2025年01月26日 10時40分54秒 | Weblog

田舎の田圃の秋。稲の刈り入れが済んだら、稲束を田圃に十字形に積み上げてあった。「稲こずみ」が田圃に幾つも幾つも点在していた。わたしは小学生。稲こずみの田圃の小径を下校した。

わたしはお腹が弱かった。すぐに下腹が痛み出した。下痢便をした。我が家のトイレまで我慢ができなかった。それで、人に見えない稲こずみの一角で用を足したことが幾度もあった。それを思い出した。農家の方には迷惑を掛けた。木枯らしがピューピュー吹いた。

いまはもう稲こずみはない。トラクターが一度に脱穀までやってのけてしまうからだ。

わたしと同じようにお腹を壊している田舎住まいの小学生はどうしているのだろう。我慢ができなくて、自宅まで辿り着けないということもあるだろうに。

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ふたたび汚い話をします。でも、これは美しい話でもあります。

2025年01月26日 10時14分40秒 | Weblog

今朝、わたしのブログの「コンビニの男性小便器でうんこをした汚い話」を読んで下さった方がおられました。記録がそれを教えてくれました。

もう随分前の話です。わたしは旅先で急に腹痛を起こしてしまいました。コンビニに駆け込みました。でも大便ができる扉は使用中で閉まっています。でももわたしの我慢は限界でした。どうしようもありません。扉のない男性用小便器を使いました。用を終えた女性が、わたしのその下痢便をすばやく処理してくれたのです。トイレにある紙に包み込むようにして、何度も何度も大便器に運んでくれました。厭いもせずに。躊躇することなくすばやく。わたしはその若い女性が天使に見えました。誰にでもできることではありません。

わたしにとっては全身から火が出るほどに恥ずかしい体験でした。

もしかしてもしかして、その天使の女性が、昨日たまたまこのブログを読んで下さったのかもしれません。

時間が経ってしまいましたが、わたしはその天使の女性のことを忘れていません。この世にはこころの美しい女性がおられるのです。あらためてお礼を申し上げます。お元気にしておられるでしょうか。

人の嫌がる汚いことを厭わずに手指を糞に塗れさせて利他行を実践実行なさった方は、その美しい原因に育まれていまなお美しい結果を得ておられるはずです。

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畑に生える草は冬を厭いません。

2025年01月26日 09時58分46秒 | Weblog

おはようございます。もう10時になってしまいました。今日は日曜。だからゆっくりしています。9時の朝ご飯でした。

畑で獲れた高菜の一夜漬けが提供されました。小さく刻んで、そこに鰹節と醬油が掛けてあります。口に運んだ途端、香りが引き立ちます。おいしいおいしいを言いながら一椀のご飯を食べ終わりました。味噌汁には焼き葱がいれてありました。この風味も絶品でした。

その後、茹でた里芋の皮剥きをしました。包丁を右手に持って。凍傷にかかっている里芋もありました。堅くなってしまっているのでこれは除きました。里芋も我が家の畑で育てたものです。貯蔵していたものはこれでみな終わりました。里芋料理が好きです,お爺さんは。

冬晴れの明るい光が大地いっぱいに氾濫しています。ここに今日のわたしが招かれています。有り難い有り難いを連発します。今日ももう少し気温が上がったら畑に出ようと思います。するのは決まって草毟り作業です。草は冬を厭いません。敵の大将はあっぱれです。

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