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青ヶ島での生活(Part2)

2005-09-05 14:53:49 | 青ヶ島

aogashima9 (続き)青ヶ島のメインストリート(村役場の周辺)。なんだか、すごいところですね。信号機は青ヶ島の子供たちが内地に行っても困らないように教育の一環として1999年に設置されたみたいです。ずーっと青色のままで、ボタンを押せばすぐ黄→赤に変わる。

aogashima11 全島全域30キロまで。遊園地のジェットコースターみたいな狭い道路なので、30キロ以上出すのは物理的に難しい。初めて訪ねたときの回想。1999年の夏、「ふれあいサウナ」に行きたいと宿の人にそう告げると、軽のボンコツ車を貸出すのに成功。「ここからふれあいサウナまで!あちこち行ったらあかんよ」と宿のおばちゃんが言っていたが、「せっかく借りられたから、どっかを回っていきたいな」とそう思い、ルート以外の道を走っていたら、「なんだか、道が変だよ。引き戻すか」とバックにギアを入れると、クルマがちょっと傾いていて変な感じ。

クルマから降りてみると、ビックリ!タイヤがもう少しで崖っぷちに脱輪しそうだった。バックして思いっきりアクセルを踏めば、ゴロゴロ・・・と映画みたいにクルマが崖っぷちに転がり、海にトボン。全国版の新聞に「青ヶ島好奇心の若者死す!青ヶ島初の交通事故」って載せられていたかも。

友人に確認してもらいながら、少しずつバックを試みるが、あの地形ではとてもできない。途方に暮れると、向こうから宿のおばちゃんのクルマがやってきて、「あんたたち、そこで何しとる!?宿からサウナまでと言ったんでしょ!?」と身振りを交えながら声を荒げていた。「すみません」と平謝りすると、「運転代わりな」と運転を変えてもらうと、慣れたような手さばきでバック。・・・・・といった、苦い思い出がある。

aogashima10 日本一秘境村の「青ヶ島村役場」。役場の向かいに「青ヶ島村立図書館」。今回は5時を過ぎていて、中に入ってみることはできなかったが、前回行ったときは暇つぶしに図書館を利用したが、カウンターもなく、無人の状態で「どうぞご自由に」という感じ。蔵書数は7000冊で、青ヶ島の歴史、小笠原など伊豆諸島に関する資料は多い。

aogashima12 ここで青ヶ島の歴史を少し勉強。「青ヶ島のモーゼ」と讃えられた佐々木次郎さんが居なければ、今の青ヶ島は無人島だったのです。1785年、天名の大噴火で島民130人が亡くなり、生き残った200名は八丈島に避難したが、八丈島も飢饉続きで食糧に困っていた時期もあり、青ヶ島の人々は、八丈島でも耐え難い苦しみを味わっていた。青ヶ島では天名の大噴火が起きる前までは、水に恵まれた、飢えることのない豊かな島であったので、1824年、佐々木次郎が島民の先頭に立ち、無人島になってから50年も要して全島民帰還を果たしたという歴史がある。それを記念にしてのブロンズ像。

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