地上波対応のアンテナを取り付けてからはわが家ではテレビ三昧。
ボタンひとつで番組一覧表の表示、興味ありそうな番組を選ぶと、自動的に字幕が付くようになった。
同じ時間帯に2つの番組を同時に楽しめたければ、2画面モードにすれば1つのテレビで2つの番組を楽しめることもできる。
どちらも字幕付きなので、両方見るのも大変だけど、見たい番組を見逃さずに済むので便利な最先端のテレビ。
8月になると、終戦特番や背筋が凍えるほどの怪奇現象などの番組が増えてきたような気がする。
今日の22時から放映されたNHKの特番は「硫黄島玉砕(きょくざい)戦」について取り上げられていました。
硫黄島といえば、東京から南へ1260キロ離れた、小笠原村に属する島。
小笠原の歴史はある程度知っているのだが、硫黄島の過去はあまり知られていない。
広島、長崎、沖縄では資料館で当時の惨状を知ることができるが、硫黄島における証言がなく、世間ではあまり知られていないようだ。
<<Yahoo!テレビ番組の案内より抜粋>>
戦後61年目にしてあらためて明らかにされつつある太平洋戦争最大の激戦地、硫黄島の戦いの真実を追う。
1945年2月から1カ月にわたった死闘は、補給を断たれた2万人の日本軍守備隊の「玉砕」という結末を導いた。
負傷して米軍の捕虜となり、奇跡的に生還した元兵士もいたが、玉砕戦については犠牲者への配慮から口をつぐんできたため、詳細は分からなかった。
今回、明らかにされた捕虜尋問記録をはじめとする米軍資料やわずかな生還者の証言からは、硫黄島の戦いは玉砕ではなく、米軍の占領を遅らせるために日本軍兵士の一人一人が盾となるすさまじい持久戦だったことが分かる。
一方、死傷者2万8千人という史上最悪の戦闘を経験した米軍はその後、空襲を中心とする"味方の犠牲を出さない戦争"へと進んでいく。
硫黄島戦に参戦した、元米軍と生き残った日本兵の証言をまとめると・・・・
アメリカ軍もこれ以上犠牲者を出さないように日本兵に降伏するよう拡声器で呼びかけた。しかし、日本兵も捕虜になれば、国賊扱いにされ、戸籍謄本も赤バッテンになり、殺されると教育されたため、絶対に応じなかった。
アメリカ軍も仕方がなく、火炎放射器で日本兵の潜んでいる地下壕を焼き尽くしたとのこと・・・。
戦後61年経った今でもおよそ1万人の遺骨が未収集のまま眠っているとのこと。
小笠原は「東京都の天然楽園村」を連想してしまいますが、硫黄島はすさまじい激戦地だったということを忘れないで欲しいと訴えかけるような番組でした。
東京と父島を結ぶおがさわら丸も小笠原村主催の「硫黄島遺族墓参り」と観光客向けの「小笠原より南硫黄島・硫黄島・北硫黄島3島クルーズ」で年2回は硫黄島あたりまで延ばしているみたいです。
9月8日(金)東京竹芝を10時に出発、翌日11時30分に到着。ここまでは定期便だが、その日の夕方7時には硫黄島に向け出港。
10日(日)の朝から夕方まで1日は3島クルーズ。ただし、各島には上陸できず、船内から眺めるだけ。
10日(日)の夜から12日の14時まで2泊はフリータイムで父島か母島滞在。
12日(火)14時東京に向け出発。
5泊6日のうち、船内宿泊は3泊!?
ちなみに費用は大人54,000円、学生47,000円(宿泊代・食事代含まない)