あっという間に11月。
北海道は8月下旬なので、あれから2ヶ月過ぎてしまいました。
最近の最低気温7度、旭川は2度。
旭川は北海道のほぼ真ん中に位置するのに、最果ての稚内よりは非常に寒いらしいです。
ここは最北端の都市、稚内を展望できる「稚内公園」です。
札幌はヨドバシ・ビック・ヤマダ電機など首都圏で見られる電気屋さんがそろえているのですが、こちら稚内は「ベスト電器」でした。
「ベスト電器」はわが故郷山口県、日本最西端の沖縄県でもよく見かけたし、全国津々浦々・・・ですな。
稚内店は大型ではなく、こじんまりとした店舗でした。
上の写真の左側。
稚内駅周辺は市街地になっていますが、こちらは住宅地。
最果ての都市でも人口は約4万人、面積は760.83キロ平方メートル。
稚内市を身近なところに例えると、東京23区の面積は621.81平方メートルなので、23区と多摩地域の一部の大きさでおよそ900万人。
人が住んでいるところはこのあたりだけで、サロベツの原野続きだそうです。
宗谷本線だって、抜海駅を過ぎたあたりまで何もない、単純な風景ばかり続いていました。
南稚内あたりから急に都会になってしまいます。 ここは悲しい歴史がたくさんありました。
戦前、稚内の人々が樺太に渡り、終戦後まもなく、稚内から樺太の交通が途切れてしまい、閉鎖。
樺太に残された日本人は稚内に帰りたくても、手段がない。
樺太で亡くなった同胞を慰めるために「氷雪の門」が建てられたそうです。
「氷雪の門」の解説文。
「みなさん、これが最後です。さよなら、さよなら」
終戦日は1945(昭和20)年8月15日正午 昭和天皇の玉音放送による。
この日を境に、樺太はソビエト連邦(現ロシア)になり、樺太真岡郵便局の9人の女性交換手が最後まで職務を遂行し、服毒自決。
「教学之碑」
樺太の豊原にあった、「樺太師範学校」に通った人々の記念事業として建てられたそうです。
ここでもサハリンとのつながりがあったのですね。
わずか43キロ先はロシア。
ロシア語 は Д (デー)、Ж(ジェー)、Я(ヤー)、Ф(エフ)、Ю(ユー)・・・
見慣れない文字ばかりです。
韓国語は日本語と同じ文法なのですが、ロシア語はどうなんだろう??