晩秋の日暮れは夏に比べると3時間早い(5月は7時前に暗くなりますが、11月は4時を過ぎると暗くなってしまう)ので、4時前に奥多摩湖に到着。
ここに何度か来ていますが、水面が鏡のようになっているのは初めてでした。
上下対称の写真も初めて。
あいにくのお天気でしたが、秋らしい装いでよかったです。
奥多摩湖は自然にできた湖ではなく、都民の水がめとして1957(昭和32)年に完成した、人造湖です。
この周辺は、もともと「神奈川縣西多摩郡小河内村」。いつも行っている檜原村も神奈川県に置かれていました。東京市民の水を確保するため、西多摩郡を東京府に編入したのは1893(明治26)年。1931(昭和6)年に東京府が小河内村のほぼ全地域を水没し、ダム建設計画を発表。
およそ1000戸の住民は猛反対、紛争が起こったようです。
小河内村の遺構を残したまま、水没してしまったため、もし、渇水時に「湖底の故郷」が見られるかもしれません。
この紅葉も旧小河内村はどんなところだったのか、知っているかも・・・。 季節外れのサクラが咲いているのを思い出し、そこに行ってみたら、やはり今年も咲いていました。
サクラは年に1度きり咲くのは確かなもの、地球温暖化の影響かな?
狂い咲きではなく、秋に咲く「十月桜」の品種になっているかも・・・? 奥多摩周遊道路はバイクによる事故が多発しているため、夜間通行止めになっています。
夏季 4月1日から9月30日まで 午前8時~午後7時
冬季 10月1日から3月31日まで 午前9時~午後6時
奥多摩町と檜原村の境界は月夜見第二駐車場。
「檜原村」の標識を見つけると、わが故郷に帰ったかようでほっとする一瞬。 月夜見第二駐車場から散策できる道に入ろうとしましたが、少しずつ暗くなってしまいました。
よく見ると、紅葉の落葉で赤いじゅうたんのようになっています。 周遊道路は街路灯が設置されていないので、あたりは真っ暗闇。
都民の森を過ぎたあたりに、ぼちぼちとオレンジ色の街路灯が見えるようになったら、到着も近い。
ライトアップされた「たから荘」。 ここから見ると、まるで青ヶ島小中学校前の信号機。
数馬分校(1999年閉校)の教育一環として、設置したみたいです。
青ヶ島も平成9(1997)年に設置。
この先にある周遊道路は午後6時以降閉鎖されてしまうので、車の通行は1台もなく、とても寂しい夜を迎えてしまいます。
「たから荘」の客室。ここは2人部屋「すみれ」の間でした。
畳も入れ替え、壁もリニューアルしているので、とても爽やかな気分になれます。 3人部屋、(4人も可能)「まきよせ」の間。
角部屋の「春爛漫」は2面ガラス張りの眺めがきれいなところですが、すでに先約が入ってしまったため、この部屋になってしまいました。
たから荘での1番楽しみは約20品が出る夕食。
大広間は他の宿泊客と一緒になってしまいますが、今回は個室でした。
席について、真っ先に目につくお料理はご覧のとおり。
これだけではなく、温かいうちに次々と運ばれてきます。
いつも担当してくれる若旦那さんも自らお料理を作って、しかも部屋まで運んで下さいます。