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昔の東京駅

2009-03-05 00:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

0903050001  下の記事にも書きましたが、東京駅丸の内側駅舎の復原工事中は囲いがあります。
 真っ白だと素っ気ないのか、駅が出来る前の様子から復原工事完了後の完成図などのギャラリーがあります。

 もちろん、道路に面している通路側なので、どなたでも無料で閲覧することができます。
 (雨天時は傘を差しながらの閲覧になるので、降っていなければじっくり見ることができます)

 「中央停車場」として建設は6年半の歳月をかけ、大正3(1914)年12月20日。
 ところが・・・9年後の大正12(1923)年9月1日午前11時35分、関東大震災発生。
 倒壊・焼失戸数13万5千戸、死者11万人超える被害がありましたが、レンガ造りの東京駅は奇跡的にビクとしなかった。
 2枚目の写真は東京駅舎が避難場所になり、被災者が集まる様子です。
 3枚目は東京を脱出して地方に向かう列車。
 客車に入れなかった被災者たちが先頭の蒸気機関車(8620形)に群がっても力強く走る機関車の姿は勇気と希望を与えた。

 ギャラリーの資料には載っていませんが、大正12年当時は韓国、北朝鮮両国を「朝鮮半島」と呼ばれ、日本の植民地でした。
 関東大震災は朝鮮人が暴動を起こしたととんでもないデマを流し、容姿が全く同じ日本人と朝鮮人を区別するために「ごじゅうえんごじゅうせん(50円50銭)」を言わせたのです。
 「50円50銭」とうまく言えず、殺されたろう者も多かった。

0903050003  戦時下の東京駅。
 1943(昭和18)年、戦局の悪化に伴う国家騒動員法の施行により、軍隊や軍需工場に徴用される男子職員に代わり、若い女子職員の採用が急増。
 200人を超す女子職員が出札、改札、保線工事までも担うことになった。
 
 彼女たちに上等教育を施すことを目的に「東京駅女子高等学校」を昭和20年5月に開設。
 わずか3ケ月後の終戦とともに閉校。

 1枚目は出征兵士を送る(戦場に赴く列車)1943(昭和18)年
 2枚目は東京駅女子職員の点呼風景。1943(昭和18)年
 3枚目は東京駅に到着した復員列車。(戦場からの生還) 1948(昭和23)年。

0903050002 東京駅復興。
 1945(昭和20)年5月25日、米軍の焼夷弾を受け、丸みを帯びたドーム(丸屋根)と3階部分は焼失。
 しかし、翌日には復旧活動が始動し、2日後の27日には列車5本の運転再開。
 終戦後の1946(昭和21)年、丸屋根を今の八角屋根にして修復。
 翌年、当時の天野駅長が従来と同じ駅舎の再建を強く主張したが、厳しい財政事情がそれを許さなかった。

 あれからちょうど60年後の2007年から規模は縮小してしまいましたが、大正3年建築当時と同じ姿に戻す復原工事が始まりました。

 ・赤レンガの東京駅を愛する市民の会 ホームページにも明治時代の古い東京駅の写真が見られます。

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