東京アイランド

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ふと思い出したように

2016-09-22 00:08:27 | 日記・エッセイ・コラム
 山口県の美祢(みね)線。山口県の何もない日本海側の小さな漁村で暮らしていたころは、山陰本線がメインルートなので、美祢線とは何も接点はなかった。わざと遠回りの美祢線経由にして下関に出かけたりすることもあったが、そんなに頻繁ではなかった。なーにもない田舎の風景に、開業当時からそのまま使われている古すぎる木造駅舎は有人駅だった頃の名残なのか、改札口もあって、駅舎の規模も大きい。
 長門市を出て1番最初に停車するのは板持(いたもち)駅。板張りのホームがあるだけでかなり素質。
 次は長門湯本駅。湯本温泉という観光地を抱えていて、温泉旅館やホテルも多いのに、JR利用者は皆無。長門湯本駅も大正時代に建てられた貫禄のある驛舎。
 次は渋木駅。東京の渋谷駅は深夜でも人が雑踏する繁華街。深夜1時でも山手線の終電。3時間後の朝4時にはもう初電。ほぼ24時間眠らないトーキョーの渋谷。1文字違いの渋木駅は、なーにもないところに駅があって、利用者も1日平均11名っ!!もちろん駅舎も古い。
 於福(おふく)駅も古い駅舎が構えています。
 重安駅もそう。現在も古い駅舎。
 南大嶺駅も昔は大きな木造駅舎なのに、現在は簡素な駅に変わりました。
 四郎ケ原駅は阿部 四郎(あべ しろう、1940年7月28日 - )は、日本の実業家。「悪徳レフェリー(極悪レフェリーとも)」としてプロレス界に一時代を築いたという駅名に連想。ダンプ松本やブル中野を不正にかばう、悪徳レフェリーだったので、まともなレスラー、例えば ライオネス飛鳥さんや長与千種さんがクレームというより抗議で悪徳阿部レフェリーを引っ叩くシーンが面白かった~!!と子どものころテレビで視聴。こう書いていると、自分の年齢はもうバレバレなんですが、四郎ケ原駅を通るたびに、あの阿部四朗だ!!と連想。今の御年は76歳なので、悪徳だったころはおそらく40代だったかも??
 厚保(あつ)駅も、開業当時からそのまま古い駅舎。あつ~!!と厚保駅が有人駅だった頃の入場券で「あつ~」の暑中見舞いを作ったほど。かなり昔なんですが・・。
 湯ノ峠駅も、読んで如く、駅の近くに公設の温泉があります。今も現役でやっているかどうか不明ですが・・・


 美祢線大嶺支線の最終乗車券。3月31日は乗りに行けなかったため、東京の三鷹駅でお別れを惜しみつつ、発券。

 美祢線が廃止されるからと、わざわざ東京から駆けつけ、最後の乗車。運転士さんのサイン入り。かなり達筆です。JR北海道の切符で大嶺支線の乗車とは・・・。

 1997年3月31日の様子を、およそ19年の時空を超えて、やっと視聴。来年2017年は、大嶺支線廃止20周年目になります。そしてJR発足30年目。
 
 最後に・・・美祢線も20年前に比べると本数もかなり減らされ、経営も厳しい状態。さらに利用者が減ってしまうとバス転換に追いやられてしまいそうです。

 美祢市役所総合政策部地域振興課が「乗ろうよ!美祢線」のホームページを立ち上げています。
コメント
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