東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

青ヶ島の休日

2005-09-07 23:00:41 | 青ヶ島

aogashima17 今日は日曜日。八丈島行きの還住丸は日曜運休なので、出ていない。ヘリコプターで八丈島に戻ろうかと思い、朝食後、ノリノリがケータイで青ヶ島ヘリポートに電話。

「もしもし、今日、青ヶ島からヘリに乗りたいんだけど・・・・」とかけてみたが、満席でキャンセル待ちも出ているから乗れないという返事。

とりあえず、今日は三宝港に行って、1日のんびりしようということになった。

宿の軽トラックの荷台に乗せてもらい、三宝港へ。軽トラにしっかり捕まらないと振り落とされてしまいそうなアップダウンのすごい道だった。三宝港に向かう途中、プリンのようにきれいな形をした山を見かける。新東京百景に選ばれた、「大凸部(おおとんぶ)」という山。

aogashima18 青ヶ島では休日になると、三宝港が「島民たちの交流会場」に早変わり。レジャー施設が1つもないため、島民がおのずと集まり、取れたての魚をバーベキューにしたり、港で泳いだりして過ごすそうだ。

aogashima20 停泊できる入り江がほとんどなく、桟橋では原則として駐船禁止になっているみたい。それで船は待合室の上に駐車場ならぬ「駐船場」に停めておくわけだ。船を出したいときは・・・

aogashima19 クレーンで船を港に運ぶことになっている。

漁師さんが漁に行っている間、港でシューノケリング。さすがにアワビやサザエはいなかったが、海底までハッキリ見えるほどの透明になっていた。小さなサメの死骸も発見!

aogashima25 しばらくすると、漁師さんが帰ってきた。今日は大漁、カツオがこんなにたくさん!東京では高額なイセエビも!!なりゆきにまかせていたら・・・・

aogashima22 せっせと漁師さんたちが調理を始めたのです。

aogashima21 伊勢えびを割っているところ。

aogashima24 いろいろな魚の入っているバーベキュー。

果たして、私にもくれるだろうかと指をくわえながら眺めていると、「できたぞ!昼飯だ、食べよう!」と皿に盛った焼きたての魚をいただきました。タダでもらっていいのかな~とそう思いながら、漁師さんたちの仲間入り。

aogashima23 漁師風味伊勢海老味噌汁。これもタダで戴きました。もちろん、エビの肉もおいしかったが、ダシが効いていて、とてもおいしい。

本土から来た旅人に声をかけ、一緒に楽しもうとするのは本土では滅多にないことだと思う。

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青ヶ島での生活(Part3)

2005-09-06 23:06:38 | 青ヶ島

aogashima14 青ヶ島の夕日。ここでも小笠原で見る夕日と同じく感動してしまうぐらい美しさ。

aogashima13 青ヶ島唯一の信号機あたりも、夕日のスポットになっているらしく、空がピンク色に染まっていました。

aogashima15 今日の宿泊客は・・・・私たち2人だけ。漁師さんの釣った魚の刺身、青ヶ島で取れる野菜の天婦羅。1人暮らしのときはの大変さを気づかなかったが、突然友人が遊びに来ると「ああ、夕食は何にしよう、冷蔵庫に食材はあるのかしら」と色々な献立を考えながらの料理をしているのを見て、突然訪ねてくるときの料理作りは大変らしい。突然の来訪者でもおいしい青ヶ島特産の料理を提供して下さった宿の女将さん、ありがとう!

aogashima16 その頃、宿の庭では漁師さん達の宴会。ものすごく青ヶ島らしい雰囲気が出ていますね。

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青ヶ島での生活(Part2)

2005-09-05 14:53:49 | 青ヶ島

aogashima9 (続き)青ヶ島のメインストリート(村役場の周辺)。なんだか、すごいところですね。信号機は青ヶ島の子供たちが内地に行っても困らないように教育の一環として1999年に設置されたみたいです。ずーっと青色のままで、ボタンを押せばすぐ黄→赤に変わる。

aogashima11 全島全域30キロまで。遊園地のジェットコースターみたいな狭い道路なので、30キロ以上出すのは物理的に難しい。初めて訪ねたときの回想。1999年の夏、「ふれあいサウナ」に行きたいと宿の人にそう告げると、軽のボンコツ車を貸出すのに成功。「ここからふれあいサウナまで!あちこち行ったらあかんよ」と宿のおばちゃんが言っていたが、「せっかく借りられたから、どっかを回っていきたいな」とそう思い、ルート以外の道を走っていたら、「なんだか、道が変だよ。引き戻すか」とバックにギアを入れると、クルマがちょっと傾いていて変な感じ。

クルマから降りてみると、ビックリ!タイヤがもう少しで崖っぷちに脱輪しそうだった。バックして思いっきりアクセルを踏めば、ゴロゴロ・・・と映画みたいにクルマが崖っぷちに転がり、海にトボン。全国版の新聞に「青ヶ島好奇心の若者死す!青ヶ島初の交通事故」って載せられていたかも。

友人に確認してもらいながら、少しずつバックを試みるが、あの地形ではとてもできない。途方に暮れると、向こうから宿のおばちゃんのクルマがやってきて、「あんたたち、そこで何しとる!?宿からサウナまでと言ったんでしょ!?」と身振りを交えながら声を荒げていた。「すみません」と平謝りすると、「運転代わりな」と運転を変えてもらうと、慣れたような手さばきでバック。・・・・・といった、苦い思い出がある。

aogashima10 日本一秘境村の「青ヶ島村役場」。役場の向かいに「青ヶ島村立図書館」。今回は5時を過ぎていて、中に入ってみることはできなかったが、前回行ったときは暇つぶしに図書館を利用したが、カウンターもなく、無人の状態で「どうぞご自由に」という感じ。蔵書数は7000冊で、青ヶ島の歴史、小笠原など伊豆諸島に関する資料は多い。

aogashima12 ここで青ヶ島の歴史を少し勉強。「青ヶ島のモーゼ」と讃えられた佐々木次郎さんが居なければ、今の青ヶ島は無人島だったのです。1785年、天名の大噴火で島民130人が亡くなり、生き残った200名は八丈島に避難したが、八丈島も飢饉続きで食糧に困っていた時期もあり、青ヶ島の人々は、八丈島でも耐え難い苦しみを味わっていた。青ヶ島では天名の大噴火が起きる前までは、水に恵まれた、飢えることのない豊かな島であったので、1824年、佐々木次郎が島民の先頭に立ち、無人島になってから50年も要して全島民帰還を果たしたという歴史がある。それを記念にしてのブロンズ像。

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テレビ東京「完成ドリームハウス」

2005-09-04 23:10:31 | 日記・エッセイ・コラム

9月4日(日)20:00~テレビ東京で「完成ドリーム」という番組をやっていました。

今回の施主は・・・名古屋出身の大口さん。名古屋でビジネスを続けるよりも東京のほうがビジネスチャンスがたくさんあるので、都心移住に決心。見つけた土地は、なんと新宿区内の山手通りに面した9坪の土地。山手通りの拡張工事で余った三角定規のような土地を都が購入し、大口さんに1200万円で売却。わずか9坪、1200万円とは目玉が飛び出すほど高すぎる~\(◎o◎)/

過去の家造りで失敗し、1500万円も水の泡になった経験を持っておられるので、建物の予算は800万円以内に抑えられるようにしたいとのこと。

用途地域により、建物の建ぺい率が法律により決められていて、敷地内の80%は家を建てられるってこと。9坪の80%といえば、7.7坪。約15畳のスペースに家を建てる計算になる。そんなに狭い土地で家を建てられるのかなと最後まで見ましたが、高さ1mの地下室、床下50センチの収納スペース、階段の下にトイレと収納スペース、1階に広いリビング、2階に寝室とバスルーム、三角先端のスペースを利用して1階は玄関、2階はテラスを設けたり、無駄のない設計になっていました。新宿のど真ん中、7.7坪の家でも豪勢に暮らせる家は日本一ではないのでしょうか。しかし、交通量の多い山手通りに面しているので、排気ガスや騒音などの環境が気になるかも・・・。テレビでは慣れてしまえば、騒音が子守り唄のようになると言っていました。(*_*)

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青ヶ島での生活(Part1)

2005-09-03 23:49:54 | 青ヶ島

aogashima4 (昨日の続き)青ヶ島でのレジャー施設といえば、「青ヶ島村ふれあいサウナ」だけ。あとは自然と島民のコミュニケーション。

受付は無人だが、入浴料金は200円。来館者の統計に必要なのか、ノートに住所と名前を記入。

aogashima5 浴槽は2人入れる程度の小さなスペース。2階にフリースペース、広い和室があり、そこで長時間のんびりすることもできる。今夜の宿を確保していないのに気づき、ノリノリがガイドブックに載っている民宿に片っ端から携帯で電話をかけてみたが、「ダメだ、断られた」「そこもダメだった」「満室ってことはありえないな?」「まあ、突然の来訪者だからかも?」3、4軒かけてみたところ、「池之沢荘という民宿、OKという返事があったよ」。

フリースペースでのんびりすると、サウナ上がりの島民2人と出会った。三宝港の工事に携わる方で、広島県から来たというNさん、愛媛県から来たというHさん。「八丈島には寄らず、直接青ヶ島にやってきました」「こんなに辺鄙なところに来る人は滅多にいないんだよ、あんたはエライ!」ノリノリの筆記通訳を交えながらのおしゃべり、時間が経つのも忘れてしまうくらい。ビールやおつまみをおごってくれたりして、青ヶ島は本当に温情な方が多い。道を歩いていると、「どこに行くの?乗っていけば」と声をかけられることもある。

aogashima6 Hさん「そういえば、今夜の宿は?」「何軒か電話で聞いてみたが、3,4軒目の池之沢荘という民宿、やっとOKをもらえたよ」「空室でも突然の来訪者に食事などの用意ができず断ることが多いだよ」サウナの和室から見える風景。その風景を見ながらのんびりするのも悪くない。

aogashima8 工事関係者の車に便乗してもらい、「池之沢荘」へ。このクルマもすごいですね。青ヶ島らしい味が出ている。デジカメの整理をしてその画像が出てきたときはビックリしたが、自分も青ヶ島人になれば、違和感がしないらしい。だって、「うわあー、すごいなー」なんて思ったことがなかっただもの。(笑)

aogashima7 晴天の続く、7月の青ヶ島はご覧のとおり、美しい風景に出会えることも。絶海の太平洋に浮かぶ島なので、紺色の海に空はグラデーション。

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日本最後の秘境村・青ヶ島村

2005-09-02 23:56:55 | 青ヶ島

aogashima1  「世界ウルルン滞在記」に出てくる諸外国の秘境もすごいところだけど、日本国内も最もすごいところがあります。それは・・・東京都青ヶ島村。八丈島は全国的に有名な島だが、八丈島から南へ67キロに位置する青ヶ島は忘れ去られたような島。平成大合併で小さな町村が近くの大きな市に併合され、「○○市」と名乗るようになったが、青ヶ島は一島一村制を守り、日本一人口の少ない(約200名)自治体の「青ヶ島村」。初めて訪ねたのは今から6年前の1999年。都内とは思えない秘境さにカルチャーショックを受けっぱなしの島、また行きたくなったので、2回目は友人のノリノリと一緒に訪問。(ノリノリは韓国ドラマお得意の子役回想シーン、ミン・スヨンの父に似ている感じの聴者)。写真は老けているように見えるが、実際は若い。顔写真を載せて公開っていうわけじゃないので、1番近いイメージはこの写真。本名は「チョンテ」と書かれているので、??(俳優)チョンテの字体を変えながら??,??,??・・・と打って調べたが出てこなかった。カタカナでは「ン」と表記されていても、2種類あるらしい。「~n」で終わる単語と「~ng」で終わる単語。韓国語は難しいな~。

青ヶ島への行き方は・・・・国内で最も至難の技だそうです。八丈島~青ヶ島間の船、「還住丸」は年間の就航率は約4割。太平洋がべた凪になる、7月なら欠航する心配はないが、特に冬季だと1週間も船が来ないときもあるらしい。羽田7時45分発八丈島行きの飛行機に乗り、八丈島で東邦航空のヘリコプターに乗り継げば、午前中には着ける。しかし、ヘリコプターは9人乗り、連日のように満席なので、乗れる確率が低い。最もポピュラーな行き方は、東京発22:30発のかめりあ丸に乗り、八丈島(底土港)には翌朝9時30分に着き、青ヶ島行きは反対側の八重根港なので、タクシーで移動する必要がある。10時30分発、2時間半も黒潮を横切り13時に青ヶ島の三宝港。

aogashima2 港といっても、入り江はほとんどなく、断崖絶壁が押し迫ってくるような感じ。ここでもDocomoの携帯電話は通じます。今はテレビ電話が可能なFOMAも島内全地域エリア内に入っています。去年からインターネットのADSLサービスが導入され、ネット環境は本土とあまり変わらなくなりました。

aogashima3 青ヶ島の都道。母島の都道よりももっとすごい。三宝港から青ヶ島唯一の観光施設、サウナまでは比較的平らな道だが、池之沢あたりだと遊園地のジェットコースターみたいに急な坂道、下り坂、急カーブの繰り返し。

青ヶ島の話はまた書きます。

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8月1日 行ってきます!内地へ・・・!

2005-09-01 00:01:55 | 小笠原

chichijima7 本当は乗りたくなかった東京行きの「おが丸」。自分の席に荷物を置き、船外のデッキに出てみると、ほとんどの乗客は桟橋に向かって手を振っていました。

小笠原太鼓の演奏が終わると、ゆっくり桟橋から離れていく。しばらくすると、見送りの船がたくさん追いかけて来る。おが丸が父島に着くと「おかえりなさーい」、逆に出発するときは「いっていらっしゃい」という言葉を使う。こうやって見送られると何回も小笠原に帰っちゃうリピーターがたくさんいるとか。(写真は小笠原ユースホステルのひとしさん)そういえば、私も5回目。

chichijima8 見送りの船「行っていらっしゃい」、おが丸乗客「行ってきまーす」とお互いに手を振りながらの見送り。遠くの沖で船に乗っている人達が一斉に海にダイブし、「いっていらっしゃい」。

chichijima9 1番遠くまで追いかけたのは父島タクシー(奥の画像)とPAPAYA(手前)さん。2隻の船がここで併走を停止すると、おが丸は時速40km/hで進んでいるので、あっという間に船が遠さがり、小さくなってしまった。

ああ、これで小笠原旅行は終わったんだな・・・・とやっと実感するようになる。

8月2日の正午あたり、やっと東京湾に入る。海の色が茶色になっていて、小笠原で見た海の色とは全然違う!!新橋でヨングク君と遅い昼食を取り、「楽しかったな、また小笠原に帰ろう」と約束しながら帰途に着いた。

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