朝鮮半島のお料理でお腹いっぱいになったところで盛岡駅付近を少し散策。
NHKどんど晴れは出勤中の8時15分から放送なので、毎日見ていなかったのですが、盛岡の名門旅館に飛び込んだハマっ子(横浜の人)がしきたりや格式に戸惑いながら成長していくストーリーなんですよね。
盛岡駅から徒歩10分程度、よくドラマに出ていた橋や岩手山がよく見えるスポットにたどり着けます。
時間もたっぷりあるので、日本一秘境路線の岩泉線・押角駅の冬景色でも見に行きたいところですが、そんなところに連れて来てもかえってしらけさせてしまいます。
あの場所は確か、駅に行くのに片方に手すりのない狭い橋を渡って、見た目ではハシゴのような階段を昇れば板張りのホーム。
それでもディーゼルカーはちゃんと1日3本停車。(上下あわせると1日6本)
「冬季は通過します」と時刻表には書かれていないので、雪の積もっているホームにちゃんと停車しているみたいですね。
手すりのない橋も凍結しているはずなので、滑って川に転落してしまいそうです。
DoCoMoさんが「全国のJR・私鉄の駅周辺を通話エリアにします」と発表したとき、あの押角駅はどうよ?と調べたところ、公約とおり通話エリアに入っていました。
いったい、年間乗降客は何人いるだろうね・・・。
すっかり話をそらしてしまいました。
今回の宿は三陸寄りの岩泉方面ではなく、秋田方面の雫石(しずくいし)付近でした。
盛岡からタクシーでおよそ30分程度、御所湖畔にある「ひぃなの丘 湖山荘」。
タクシーの運転手さんが「あれ、違っていましたっけ。ここでメーターを止めておきますので、探し回ってみます」とあちこち回って、やっとたどり着きました。
東北の人間はとても親切ですねぇ・・・。 エエエエーッ!今回泊まる部屋はこれなんですか!?(離れの一軒)
スイートルームよりは超えているじゃないですかー!?
国王さまは以前、ここで泊まられたことがあり、今度は家族へのサービスとのことです。
さすが・・・。 <つづく>
先に私が盛岡駅に到着、その数分後に八戸からの両親と国王さまとの交流。
土曜日は出勤なので2泊目の盛岡で交流ということになったのです。
交流できたのはちょうどお昼時なので、ご出身が東北地方の女官長お勧めの「ぴょんぴょん舎」へ。
盛岡といえば、わんこそば、ジャージャー麺、冷麺が有名です。
わんこそばは和服を着た女性が手元の小さなお椀に放り込まれる一口サイズのそばなのですが、あなどれません。
50杯くらいだったかな、お腹が膨れてしまったなと「終了」を合図する蓋を閉める前に放り込まれてはそれを食べなければ「終わり」がないということです。
タイミングを見計らい、ぱっと蓋をしめたとしても中にそば1本でも残っていればアウト。
お椀のそばを食べきった状態でないと容赦なく放り込まれてしまいます。
お腹パンパンになってお店を出たことはあるのですが、無理にして食わせるのはハン尚宮(母)にとっては好まないし、ドックおじさん(父)も食事制限もあるので、今回は盛岡冷麺にしました。
すると、ハン尚宮(母)がこんな寒い日に冷麺なんて・・・と思っていたみたいですが、東北地方の建物はとっても暖かいです。
韓国もそうだけど、ほとんどの家庭ではオンドル(床暖房)を炊いているので、薄着で部屋を過ごせるほど・・・。
盛岡冷麺といってもいろんなバリエーションがあるみたいですが、こちらはスタンダード(標準)です。
冷麺といえば、北朝鮮の平壌が発祥地。
ぴょんぴょん舎のホームページによれば、「平壌に故郷を持つ料理人が故郷に思いをはせて盛岡で冷麺を作ったのが盛岡冷麺の発祥」とのことです。
韓国で冷麺を食べたことはあるのですが、コチュ(唐辛子)たっぷりで辛かったのですが、こちらのはあっさり味で麺もコリコリして美味しい。
平壌の北緯は39度、ちょうど盛岡も同じく40度だったのですね。
朝鮮半島の38度線より北は北朝鮮なのですが、北朝鮮の領土に1分間は滞在した経験はあります。
板門店(パンムンジョム)の停戦会談場は38度線をまたがっていて、マイクの線が国境線になっています。
建物の中だけ国境線をまたいで北朝鮮領に踏み入れることも可能。
北朝鮮側からのツア-と鉢合わせにならないように韓国兵が建物の中に誰もいないことを確認すると、四方に兵士を配備。
それから私たちを建物の中に案内されるのですが、滞在時間はわずか3分程度。
北朝鮮側のドア付近も韓国兵がしっかりとガードしていました。
万が一ドアを開けて、外に踏んでしまえば、北朝鮮に亡命したことになり、日本に帰れなくなる可能性も・・・。 今度は石焼きビビンバ。冷麺は北朝鮮、こちらは韓国です。
よくかき混ぜ、おこげがつく程度になれば食べ頃。
イカ、エビたっぷりの海鮮チヂミ。
盛岡なのに、朝鮮半島のお料理を味わえました。
とても美味しかったです。ごちそうさまでした~\(^o^)/
東京を出るとすぐに上野に停車、埼京線と並行するかように大宮。
大宮までは過密住宅地なので、騒音を出さないような速度でゆっくり。
今度はノンストップで仙台に飛ばしていました。
仙台あたりからは雪景色が見られるのだろうかと思っていましたが、盛岡の少し手前から雪景色でした。
地球の温暖化で仙台でも雪が積もらなくなったみたいですね・・・。
わずか2時間半で行けたので、距離はどのくらいあるだろうかと時刻表で調べてみたら、
ぬわーんと 535キロですよ、535キロ。
東京から大阪までの距離とほぼ同じくらいです。
以前の帰省によく東海道新幹線をよく利用していたせいか、東京から新下関まで1000キロで中間は大阪の500キロといったように時間や距離感覚は把握していたのですが、東北新幹線はあまり利用する機会が滅多にないので、盛岡といえば大阪よりは近いかなと思っていたのです(笑) 盛岡では有名な煎餅といえば、盛岡駅ビル内にある白沢煎餅の「南部煎餅」だそうです。
「どうぞこちらへ」とテーブル席に案内され、しかも焼きたてホヤホヤの煎餅とお茶をご馳走しました。
甘さ控えめで美味しいです。やはりできたては美味しいですね。
かぼちゃ、ココア、ごま、抹茶などなど・・・の数多さなので選ぶのに迷ってしまいそう。 テーブル席にあった、半世紀前のテレビ。
完動品なのかどうかはわかりませんが、もし、これで映せたらすごいですねぇ・・。
テレビの前面下に必ずメーカーのロゴマークがついているはずだが、それが見当たりませんでした。
日本で最初にテレビ放送が始まったのは1953(昭和28)年。当時はカラーではなく、まだ白黒。
1960(昭和35)年からついにカラー放送開始、昭和39年の東京オリンピックの需要もあり、メーカー各社もいっせいにカラーテレビの生産が始まった。
14型テレビの相場は30万円、もっと大きい画面で見たければ21型でなんと52万円だそうです。
昔はほとんど4:3画面でしたが、最近は各サイズのワイドが出回っています。
電器屋さんでもブラウン管タイプの在庫が少なくなり、場所をあまり取らない薄型の液晶タイプがほとんどになってしまいました。
それらのテレビはほとんどアナログと地上デジタル波に対応しており、字幕を表示させるチューナーを別途用意しなくてもリモコン1つで表示させることもできます。
昭和のテレビ番組といえば、テロップや字幕がなく、想像するしかなかったのに、便利な時代になりましたねぇ。 電電公社時代の黒電話。
ろう者にとっては無縁のものでしたが、店舗を構えていたわが家にはありました。
1987(昭和62)年頃、姉が何もない小さな漁村からいきなり(東京の)都心付近に上京。
姉がアルバイトで得たお金で実家との連絡用としてミニファックスをプレゼントされました。
昔は1枚の紙を送るのにガタガタガタ・・・・と電話台が揺れるほどの振動がして、送信時間も長かった。1枚300円くらいかかったかも。
でも、手紙やハガキだと2、3日かかるので、遠く離れてしまっても瞬時に文字によるやり取りができるなんて便利だなあ~と家族が喜んでいたのは今でも覚えています。
ところが・・・・今は世界どこでもパソコンや携帯電話で瞬時にメールが届く時代。 懐かしい看板たち。
ボンカレー(大塚食品)は今でもスーパーに行けば買えるロングセラー。
この看板は1968(昭和43)年に発売されたパッケージのデザインが使われています。
田舎では似たような看板を今でも残しているところがあるのですね。山口の実家まわりにもまだ見かけます。
「ナショナル乾電池」・・・今年の10月から社名を「パナソニック」に統一されるので、ますますプレミアムが出そうですね。
今日、ANAからのメールマガジンが届きました。
マイレージクラブは今年で10年目になるそうです。
ということは、1998年スタートだったのですね。
えーっ、もう10年経ったなんて信じられません。
当時は何も付加していない「マイレージクラブカード」だけなので、なかなかマイルが貯められず特典航空券をゲットするのは難しかったです。
あともう少しで達成できそうだな・・・と思いきや、有効期間が3年なので、交換することもなく一部を無効にさせられたりして悔しい思いをしたことも。
ただ飛行機に乗るだけではなく、日常の暮らしでもマイルが貯められるクレジットとEdy付きのANAカードに切り替えてみると、スムーズに貯めやすくなりました。
今の規定では15000マイル貯めれば、ソウルと国内線どこでも特典航空券に交換可能。
近くても遠くても同じならば、もちろんソウルや沖縄を選んでしまいます。(笑)
ところが・・・去年の秋あたりに届いたメールマガジンでは「来年からマイレージクラブをリニューアルし、距離に応じて必要なマイルが変わります」とのこと。
そのメッセージを読んだときは「もしかしたら、ソウルや沖縄行きは今までよりも2倍になるのでは・・・?2倍にさせられては気楽に行けなくなるな・・・」とちょっと不安に思っていましたが、そうではなかったみたいです。シーズンにより、今よりも少ないマイルで沖縄に行けることも可能。ほっとしました。(笑)
詳しくは・・・ANAマイレージクラブニュース
例えば、沖縄に行きたい!ときは・・・
まず、東京~沖縄の基本区間マイルを調べます。片道で984マイルなので、往復にすると1968マイルになります。
次にマイレージチャードを見ます。
沖縄の往復は「1601~2000」に該当しますので、ローシーズン、レギュラーシーズン、ハイシーズンごとの必要マイルがわかります。
14000マイルで行けるのは4/1~24、12/1~25、[2009]1/5~2/10。
ソウル行きはなんと現行よりも大幅に少ないマイルで行けるのです。
12000マイルで行けるのは4/1~24 5/7~31 12/1~25 [2009]1/5~3/6。
レギュラーシーズンは現行と同じく15000マイル。
この制度だと現行よりも使い勝手がよくなったかも知れませんね。
年が明けました~!明けましておめでとう~と思えば、あっという間に10日目。
今年も多くの年賀状をいただきました。ありがとうございます。
目を見張るような凝っているデザイン、エエエエーッ!と驚くような吉報の年賀状、思いがけない人(動物)からの年賀状、お互いに近状を報告しあったり・・・・さまざまなドラマを演出できる年賀状はやはり年に1度の楽しみですね。
郵便局が民営化になり、年賀状の販売を1月18日まで、お年玉の抽選も1月26日に延期したり、1月8日以降出されても消印は省略するなど郵政公社時代よりも余裕があるようです。
元旦に届くように年末の慌しいさなか、年賀状を作って年末ギリギリに投函したもので、ただ印刷しただけの素っ気無いものになってしまいました。(T_T)
やはり、年賀状は年明けに書くもので、1人1人顔を思い出しながらゆっくり手書きのメッセージを書いたほうが暖か味のある年賀状に仕上がっていたかも知れません。
来た年賀状の返事も書けたりするし・・・。
今日は特に書くネタがないので、恥ずかしながら私からの年賀状です。
2007年の中で特に印象に残ったのは、やはり青ヶ島。
初日の出を見立てたものだけど、実際は夏の美しい夕日。
真ん中は新東京百景に選ばれた、池之沢の丸山。
左は三宝港海底の様子。
ただ日本語版を載せても面白みが欠ける・・・のでハングル版を載せました。
間違いだらけの韓国語になっているかもしれませんが、ご容赦くださいませ~。
こんばんは。
国王さまVIP待遇旅行はわずか1泊2日でしたが、10年分の贅沢を1度に味わったかような気分でした~。(笑)
盛岡からわずか2時間20分で東京駅到着。
新丸ビル5階にある、中国人経営のレストランで食事、これも国王さまのお勧めなので、ホンモノの中華料理を味わえました。
サラリーマンの帰宅時間と重なっては座れないだろうと特急券までもいただきました。
向かいのホームに「通勤快速 君津行き」の電車が止まっていましたが、すでに満席で立席客も多いさなか、私たちは特急「さざなみ」で座っての帰宅。
ここでいろいろ旅行記を書くと「でしゃばり」になってしまいますので、国王さまのブログでお楽しみくださ~い。
NHK朝のドラマ「どんど晴れ」でお馴染みの盛岡に来ています。
駅前からタクシーを拾い、奥静まった、ひなびた温泉宿に来ております。
すべて国王さまの御下賜なので、私たちは無料で泊まらせていただいています。さすがに国王さま、最高峰の御宿にしているので、離れの一戸建てに囲炉裏部屋と天然温泉がついていました~(^O^) 食事も「チャングムの誓い」みたいに一品ずつ運ばれてきましたのでさすがに満腹です。(笑)
1月4日、金曜日。
多くの企業では今日は特別休日、6日までお休みのところが多いみたいですが、私はカレンダー通りで今日は仕事初めでした。
なんと今日から国の人事院勧告通り昼休みは45分に短縮させられ、3時の休息時間も廃止されてしまいました。
特に窓口業務に関わる人たちはずっと来客の対応には気をつけなければならず、結構ストレスがたまるものです。
出前の弁当屋さんがお休みのときは近辺の食堂や軽食に出かけていたのですが、45分になってしまってはそれができなくなってしまいます。
もちろん食堂の収入にも減ってしまい、地域への貢献もできなくなってしまいます。
せめて昼休みは60分にして終業時間を15分延ばしてもよいのではないかと思う。
日本一長い昼休みといえば・・・東京都小笠原村の12時から13時30分までの1時間半。
その分、朝の始業時間は30分繰上げの8時から、終業時間も15分繰り下げの5時半まで。計算してみると、国に準拠した勤務時間でした。
もし、私が小笠原に移住するとしたら、母島を希望。(笑)
小笠原旅行ではいつも母島に直行し、父島に滞在するとしたら「おがさわら丸」が出港する前日というパターンが多いです。
母島の人口はおよそ400名、環境も青ヶ島に似ているからでしょうか。
青ヶ島へは羽田から飛行機とヘリコプターに乗り継げば3時間程度で行けるのですが、母島は「おがさわら丸」で25時間半、さらに「ははじま丸」に乗り継いで3時間。
竹芝(東京)を午前10時に出港、母島に入港するのは翌日の夕方3時半、成田からリオデジャネイロ(日本の裏側、ブラジル)に行くよりも長~い船旅なのです。
小笠原へはグアム旅行よりも高くて移動時間も長~いのですが、日本人として行ってみる価値はあります。 最近、5時になってもまだ明るくなりましたね。
数ヶ月前までは5時だと真っ暗なのですが、少しずつ日が延びていることがわかります。
事務室から眺める夕陽がとてもきれいなので、うっとりしてしまいます。
全国的に大雪や大嵐に見舞われたみたいですが、なぜか千葉の元日は雲1つもない爽やかな快晴でした。
ハン尚宮(母)のサンチュ(韓国のサラダ菜)摘み。
韓国では焼肉だけではなく刺身も包んで食べるので、わが家では大変重宝しています。
ハン尚宮(母)いわく「サンチュは摘んでも摘んでもまた生えてくるので、日本のサラダ菜よりもすごく経済的」とのことでした。
そうしているうちに年賀状がポストに入っているのに目につき、開けてみると目玉が飛び出すほどびーっくりしてしまいました。
万年筆で書かれた手書きの年賀状に達筆な字なので、「おや?誰からなんだろう?」と差出人をよく見たら、なんと映画女優さんの吉永小百合さんじゃないですかー!?
それにしても、何でわが家に吉永さんからの年賀状!?と表面のあて先を見たら・・・・
日本郵政株式会社からの年賀状でした。びっくりしたー。
おそらく郵便局のサプライズとして、1番最初に目に付くように吉永さんからの年賀状を上にしていたかも知れませんね・・・(笑) 今度は差出人が「マナ」しか書かれていない年賀状にびーっくり!!
つまり、マナちゃん本人から私宛の年賀状だったのです。
マナちゃんから私に年賀状をくれるのは思っていなかったので、とても嬉しかったです。
マナちゃん、本当にありがとう。今年もたっぷり可愛がってあげますよ。(笑)
マナちゃんからの年賀状は何枚出したのですかー?とチャングムさんにこっそり聞いたところ、「マナちゃんが年賀状を書くとしたら、crayonだから1枚だけね」とのことでした。
ええええーっ!私1人のために、レイアウトや写真などなど・・・も作ってくれたのは本当にありがたいです。
わが家の家宝として飾らせていただきますね。 左:マナちゃんからの年賀状。
右:年賀状のトップページを飾った、吉永さんからの年賀状。
(差出人は日本郵政株式会社)
ついに2008年!!平成20年。
新年明けましておめでとうございます。
皆さんにとって2007年はどんな年でしたか~?
さて、私の2007年といえば、あまりにも平凡すぎる・・・なので、なかなか思い出せないのですが、大晦日に国王さまから頼まれた、去年12月20日に都庁で行われた明晴学園の学校法人認可書交付式のビデオを少し編集したときにふと思いました。
1933(昭和8)年にろう学校における手話を全面的に禁止し、口話教育を導入してから75年目に日本で初めてバイリンガルろう教育を行う「明晴学園」が今年の4月から東京で正式に開校されます。
マスコミによるテレビ報道や新聞記事などで明晴学園の様子を見たことがあるのですが、どの子供たちも普通の小学校と同じように自分の言いたいことを手話で表現したり、笑顔もとても明るいです。
「私はろう者でいい。だって、手話があるから」と子供たちが言っていたことも印象的です。
この明晴学園をモデルにして、全国のろう学校もバイリンガルろう教育を導入するのを願ってやみません。
皆さんにとって2008年も素晴らしい1年でありますように。