AKKOMAMのMEMORANDUM

穏やかな時間の流れを楽しみながら...

久里浜からフェリーで千葉県に金谷に...。

2009-06-11 11:21:06 | Weblog

  お墓参りの旅に弟の車で出かけたのは9日の朝でした。
  先ず、父母の眠るお寺へ...、墓前に参り、私と同い年で
  3年前に亡くなった従兄弟のお墓にも花を手向け、
  久里浜のフェリー乗り場にむけて走りました。  

  
  千葉県金谷までの乗船時間は35分、天気のなか、
  波も穏やかでほとんど揺れることなく着きました。
  途中、大型船と交差するような場面では船内放送で、
  水先案内艇に先導されてくる様子などを説明していました。


  海岸線をくねくねとドライブしたり、新鮮な地魚のにぎりを
  楽しんで、野島崎灯台に昇り、足を震わせながら外房の波や
  景色をしばし眺めたりしながら弟の知人の宿に向かいました。


  次の日は父の実家のお墓参りに大多喜まで車は走ります。
  大多喜は大多喜城が山上に眺められ、城下町を睥睨しています。
  その城主、本多忠勝、その夫人、次男、本多忠朝のお墓は
  父の実家の菩提寺の良玄寺の一番奥に祀られています。。
  本多忠勝の墓と対峙するようにあり、古い墓石がたくさん建って
  いるのが歴史を語っています。


  私は暫く振りの祖先のお墓参りでしたが、町おこしが盛んに
  行われているらしく、町並み、案内板、街灯などが
  城下町らしい設えになっていて、町のあちこちには黒塗りの
  ベンチが置かれ、訪れる人の憩いの場所として提供されていました。


  先回来たときとはうって変った雰囲気になっていて、
  月日の移り変わりが良いほうに変っていたのはうれしいことでした。
  6月最後の日曜日に父の七回忌法要があるので皆んなが集まった席で
  様子を伝えたいと、デジカメでパチパチと撮ってきました。


  父の実家は母親が亡くなったときに町に寄贈していて、
  公園になっていましたが、今回訪れましたら、
  歴史を語る案内板が建ち、町おこしの一環として、歴史的要素を
  取り込んだ公園となっていました。そばを流れる川で遊んだ
  あのころをしばし思い起こす時間でした。


  戦争中、兄を学童疎開に出すのが忍びなかった母は
  父が出征した後、家族でこの場所にあった父の実家に身を寄せて
  いましたので、私にもいろいろな思い出のある場所です。


  弟がお墓参りに行ってくるよって言い出さなければ、
  私はこの場所に立っていることはなかったでしょう。
  <一緒に行くわ>って連れて来てもらって本当によかった!!
  そして以前よりずっときれいに整備された父の生れ育った
  大多喜をみることができて、心が安らいでいる私です。


  今日からまた、普段の毎日に戻りました。
  でも、どこかに今回のお墓参りで感じたことが
  いきていけばよいのですが...。
コメント (6)
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