いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<苺> いざよい

2021-04-04 08:57:16 | 食品

 「いぞよい」

 いざよいの特徴
 いざよいの糖度:16-17度

 いざよいの主な産地:千葉

 いざよいの特徴は、とにかくレアというほどの希少さと、その糖度の高さです。サイズは標準ながら、そのぷっくりとした見た目が非常に愛らしい。熟してくると鮮やかな赤色に身をまとい、イチゴの粒も果肉の中に沈んでいく。まさに美味しいイチゴのサインがわかりやすいのもいざよいの特徴と言えます。

*https://strawberry-picking.net/kind/ より

 

 なぜ「いざよい」なのかを含め、あまり情報がありません。残念。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<言 葉> 春の言葉 夜桜

2021-04-04 08:53:19 | 言葉

 「夜桜」

 「夜桜」とは、夜に見る桜のこと。

 去年今年と、酒盛りをする「花見」は自粛。

 特に大阪や東京では「桜」を愛でることすら難しい。

 ただ遠めに見る分には何も変わりない。

 街にある桜は、街灯の灯りがあたり、「夜桜」も綺麗に見えるはず。

 ひっそり静かに楽しむのも一興かと。

 

 そういや「夜桜お七」という曲がある。

 坂本冬美の代表曲である。

 よく知らなかったのだが、ちょっと今回調べてみた。

 坂本が師事していた作曲家・猪俣公章亡き後、初のシングルであり、代表曲の一つに数えられる。これまで演歌の作詞をしたことがなかった歌人・林あまりに作詞が依頼された。曲名の「お七」とは八百屋お七のことである。自己主張する現代的な女性像を、八百屋お七になぞらえた作品。林の第一歌集『MARS☆ANGEL』に収録されている短歌連作「夜桜お七」を再構成するかたちで歌詞としている。*Wikipedia より

 歌人「林あまり」とは、日本の歌人、エッセイスト、作詞家である。

 元の短歌連作とは

 「夜桜お七」 四首

 赤い鼻緒きれた夢など紡ぎつつ
  お七いつまで春をうとうと

 緋のじゅばん備えつけたるホテルにて
  マッチ擦りたし今宵のお七

 唇を幹にはわせて息ひそめかんざし打ちこむ
  夜桜お七

 ざりざりと桜のぼれば脚に傷しろく浮き出し
  月夜が舐める


 歌集「MARS★ANGEL」(昭和61年・1986)

*https://plaza.rakuten.co.jp/meganebiz/diary/201004050007/  より

 たぶんこれのようだ。

 確かに再構成され、歌詞となっている。

 

 「林あまり」の作風には、どこか色艶を感じることができる。←全てを知っているわけではないが(笑

 

 「夜桜お七」の「お七」とは、「八百屋お七」を指す。

 「八百屋お七」とは、江戸時代前期、江戸本郷の八百屋の娘で、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処されたとされる少女である。井原西鶴の『好色五人女』に取り上げられたことで広く知られるようになり、文学や歌舞伎、文楽など芸能において多様な趣向の凝らされた諸作品の主人公になっている。

 井原西鶴ですかぁ・・・

 「夜桜お七」のこと、何にも知らなかったです(恥

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-ホセ・カレーラス

2021-04-04 07:32:56 | MUSIC

  「ホセ・カレーラス」

 1946年12月5日生まれの74歳

 

 ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラス“三大テノール”30周年記念ドキュメンタリー、本編映像解禁
2020/12/25(金) 12:49配信

 現在絶賛公開中の『パヴァロッティ 太陽のテノール』のルチアーノ・パヴァロッティ、そしてプラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスの3人のオペラ歌手が“三大テノール”として活躍を始めて30年の節目となった2020年。

 現在絶賛公開中の『パヴァロッティ 太陽のテノール』のルチアーノ・パヴァロッティ、そしてプラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスの3人のオペラ歌手が“三大テノール”として活躍を始めて30年の節目となった2020年。

 ◆“三大テノール”30周年記念ドキュメンタリー 関連動画&画像

 その記念すべき年を迎え、音楽とサッカーを愛するオペラ歌手ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、そして、ホセ・カレーラス……親友でもありながら最大のライバルである3人が集い、三大テノールとして活躍した17年間の軌跡、初めて明かされる世紀の競演のバックステージ秘蔵映像や、彼らを愛する人々の豪華インタビュー等で紡ぐ“三大テノール30周年記念”ドキュメンタリー映画『甦る三大テノール永遠の歌声』の日本公開が2021年1月8日に決定。このたび次々とクラシック音楽の記録を塗り替えた“三大テノール”誕生の瞬間の舞台裏を切り取った 映像を解禁した。  「3人で競演したらどうだ」──やがて1990年7月、イタリア・カラカラ劇場で行われることになる“三大テノール”の初舞台をプロデュースすることになるマリオ・ドラディが、その場にいたテノール歌手、ホセ・カレーラスに一見奇妙にも聞こえるアイデアを出したことが、いまだ語り継がれる“奇跡の競演”を生んだきっかけだとホセ・カレーラスは語る。3人とは、ホセ・カレーラスをはじめ、ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴという偶然にも同じ時代に活躍する三人の偉大なテノール歌手のこと。通常オペラの舞台では同じパートを歌うテノール歌手同士は共演しない。それでは、ハーモニーが生まれないと考えられているからだ。だが、その後、1989年12月5日、ドミンゴとパヴァロッティ、カレーラスと指揮者のズービン・メータ、そして発案者のマリオの5人が、競演イベントが本当に実現可能どうか、実際に3人の声を合わせてみるために疑心暗技ながらもローマのホテルに集まる。  しかし「パヴァロッティとドミンゴは競争心があり、プロとしても個人的にも少し反感を持っていたが、伴奏者が隣の部屋で待機しており、とりあえずみんなで試してみた」、「伴奏者がメロディーを弾き始めるとその場がなごんで音楽が魔法を生み出した」、マリオがそう語るように、最初はトゲトゲしく警戒しあっていた3人も音楽が始まるにつれ互いに共感し、メロディを通して徐々に打ち解けていく。  「こうして全てが始まった」とホセが語るように、さまざまな紆余曲折を経て実現され、結果、世界中で一晩で8億人が視聴し、CDが1600万枚も売れ、次々とクラシック音楽の記録を塗り替える一大転換期となった瞬間の舞台裏を切り取ったものとなっている。

 ■ストーリー
 音楽とサッカーを愛するオベラ歌手ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、そして、ホセ・カレーラス。親友でもありながら、最大のライバルであった3人が“三大テノール”として活躍を始めたのは、1990年イタリア、ワールドカップ・サッカーの前夜祭として開催されたローマ、カラカラ浴場の伝説のコンサートからである。それから30年、初めて明かされる世紀の競演のバックステージ秘蔵映像等をまとめたドキュメンタリー映画。音楽を心から楽しむ3人の姿は全ての音楽ファンに歓喜と勇気を与えてくれる。

BARKS

*https://news.yahoo.co.jp/articles/ae7363a18773544c6bed02f3d4328e49d392d174 より

 

 世界三大テノールの一人・カレーラスが日本中に奇跡の歌声を響かせる ホセ・カレーラス大阪公演 2017年11月21日(火) @ザ・シンフォニーホール ぴあ株式会社2017年4月26日 12時00分

 世界三大テノールの1人として有名なホセ・カレーラスの大阪公演「CREDIT SAISON presents ホセ・カレーラス テノール・リサイタル2017 ~スピリット・オブ・クリスマス~」が、11月21日(火)、ザ・シンフォニーホールにて開催されます。
 世界的テノール歌手としてのキャリア絶頂時に白血病の診断を受けるも奇跡の復活を遂げ、今もエレガントな歌声で世界を魅了しているホセ・カレーラス。今回はそんなホセ・カレーラスが、クリスマスにちなみ、ヨーロッパ各地の聖なる歌を大阪の皆さんにプレゼント(東京公演は別プログラム)。世界的歌手と過ごす、“最上級にエレガントなクリスマス”が、みなさまの元に光臨します。
 
 <ホセ・カレーラス(テノール)>
 スペインのバルセロナに生まれ、1958年に子役としてリセウ大劇場でデビュー。プロとしては、1970年にリセウ劇場で《ナブッコ》と《ルクレツィア・ボルジア》に出演。彗星のように現れたカレーラスは異例の若さで世界有数の劇場や音楽祭にデビューを果たした。
 オペラのレパートリーは60作品以上に及び、特に《アンドレア・シェニエ》、《ラ・ボエーム》、《トスカ》、《ウェルテル》、《カルメン》、《運命の力》、《道化師》、《愛の妙薬》、《仮面舞踏会》等には何度となく出演している。
リサイタルのレパートリーはバロックから現代音楽まで600曲以上の幅広いジャンルを誇る。レコーディングは150以上に及び、世界中のゴールドおよびプラチナ・ディスクを数多く受賞。プラシド・ドミンゴ、故ルチアーノ・パヴァロッティと共演した「三大テノール」のイベントでは全世界の20億以上の観衆を魅了した。
 また、1988年以来、カレーラスは音楽家としての活動と共に「ホセ・カレーラス国際白血病財団」の活動に全精力と情熱を捧げている。この財団はバルセロナで設立され、アメリカ合衆国、スイス、ドイツに支部を置いており、カレーラスが現在最も優先し、重要なライフワークの一つにしている活動である。
 *https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000493.000011710.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<日本酒> 長野 真澄/宮坂醸造 真澄諏訪蔵

2021-04-04 07:14:03 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(関東信越国税局)】
 〈長野〉 真澄/宮坂醸造 真澄諏訪蔵

 真澄のふるさと信州諏訪
 真澄のふるさと信州諏訪は、八ヶ岳・蓼科・霧ケ峰の麓に広がる高原盆地。
 澄んだ空気と水、極寒の冬と涼風の夏、四季折々に表情を変える諏訪湖、
 こんこんと湧く温泉、悠久の歴史を物語る史跡や祭り、その全てが私たちの誇りです。
 諏訪はまたハイテク機器や酒・味噌・寒天といった伝統産業、良質な農産物で知られるモノ造り王国でもあります。
 この王国を支えるのは技の高みを求める諏訪人気質。
 厳しい風土の中でモノ造りと真正面から向き合って来た諏訪人の血に刻まれたDNAこそ真澄の味わいの源です。

【 米 】
 酒は米作農家と蔵人の共同作品
 真澄で使うのは「山田錦」「美山錦」「ひとごこち」など
 酒造り専用の米が中心。
 産地と品種のはっきりした米だけを玄米で仕入れ、富士見蔵の精米工場で精米しています。
 山田錦 兵庫県加東市山国地区産

 美山錦 長野県上伊那地区・安曇野地区・大北地区産

 ひとごこち 長野県上伊那地区産

【 水 】
 仕込に使用される水の品質は酒自体の味わいを大きく左右します。
 諏訪蔵、富士見蔵ともに信州の山を流れ、天然のフィルターを通ってろ過された井戸水を使用。
 諏訪蔵 霧ヶ峰伏流水 硬度3.0

 富士見蔵 入笠山伏流水 硬度4.5

【 蔵人 】
 社員蔵人と農家蔵人のコンビネーション

 真澄の酒造りは、醸造や発酵に関する科学的知識を身につけた社員蔵人と
 生き物を育てるプロ・農家蔵人のコンビネーションです。
 平成16年の造りから、初の社員蔵人が杜氏となりました。
 当時40代前半の若さだった那須賢二と平林和之は、ともに大学で醸造学や微生物学を学んだ新世代の杜氏です。
 そして平成25年、数々の品評会で高評価を得、
 「信州の名工」にも選定された那須賢二を「総杜氏」とし、
 諏訪蔵杜氏に平林和之、富士見蔵杜氏に中野淳という体制で新たなスタートを切りました。
【 杜氏 】
 総杜氏  那須賢二(なす・けんじ)
 1962(昭和37)年生まれ
 2004(平成16)年より諏訪蔵杜氏
 2009(平成21)年「信州の名工」認定
 2013(平成25)年より総杜氏

 { 杜氏の仕事とは }
 人をまとめていい酒を造ること。目標とする品質の酒ができるように、各部署を指揮すること。皆が楽しく酒造りをしてもらえるよう、うまく働ける環境づくりをすることだと思います。  

 { 好きな酒 }
 軽くてきれいな、キレのいい酒が好きです。重いのも好きですが。

 諏訪蔵杜氏 平林和之(ひらばやし・かずゆき)
 1962(昭和37)年生まれ
 2004(平成16)年より富士見蔵杜氏
 2013(平成25)年より諏訪蔵杜氏
 2018(平成30)年「信州の名工」認定

 { 杜氏の仕事とは }
 酒造りを全般的に分かっていて、目標とする酒質のお酒を造るためにいろいろな指示をすることが仕事だと思います。また、そのための設備や作業環境などを整えることも重要な仕事だと思います。

 { 好きな酒 }
 米のうまみの感じられる酒が好きです。

 富士見蔵杜氏 中野淳(なかの・あつし)

 1968(昭和43)年生まれ
 2013(平成25)年より富士見蔵杜氏  

 { 杜氏の仕事とは }
 蔵のスタッフが働きやすい環境を作ることだと思う。前の平林杜氏が出来た方なので基本的には蔵人に任せて大丈夫なのですが、任せきりでなくよりよい方向に持っていけるように、皆にわかりやすくポイントを伝えていきたい。

 { 好きな酒 }
 自分は量を飲むのが好きなので、たくさん飲んでも嫌味のない、飲み疲れしない酒が好きです。

 

【 七号酵母 】
 日本酒は体長5ミクロンの微生物「酵母」が甘酒の糖分をアルコールに変えることで醸されます。
 しかし美酒を生み出す力を持った酵母はごく僅かで、酒造りが自然まかせに近かった明治時代までは失敗がつきものでした。
 そこで明治37年に設立された国税庁醸造試験所は、優良酵母を捜し出して酒造メーカーへ販売する事業を開始。
 この「醸造協会酵母」によって日本酒の品質は飛躍的に向上したのです。
 真澄が全国清酒鑑評会で上位を独占した昭和21年、醸造試験所の山田正一博士は、
 真澄諏訪蔵で醗酵中のモロミから極めて優れた性質を備えた酵母を発見。
 「醸造協会酵母7号」と命名された真澄酵母はまたたく間に全国の酒蔵へ普及しました。

 諏訪蔵の奥まった一角、七号酵母採取の仕込タンクが置かれていた場所には、
 山田正一博士の書「七号酵母誕生の地」を刻んだ黒御影石の石板が埋められています。
 七号酵母はもともと真澄の酒蔵に住み着いていた「蔵つき酵母」で、
 宮坂勝や窪田千里が育種したものではありません。
 二人が酒蔵や道具類の清掃を徹底させた結果、優良酵母が育つ環境が整ったということはあったと思います。
 発見当初の七号酵母は華やかな吟醸香を醸し出す酵母でしたが、
 長い間に少しずつ性格が変化し、
 現在では「落ち着いた香りとバランスのとれた味わい」の大人びた酒を醸し出す酵母となっています。
 七号酵母は発見から60年以上経た今でも全国60%の酒蔵で活躍しています。
 中には熱烈な七号酵母ファンの蔵元もいて、
 業界の会合の席で「なぜ真澄が七号以外の酵母を使うのか」と食って掛かられることもしばしばです。
 よく「真澄は七号酵母の販売で大儲けでしょ」とからかわれますが、
 真澄は七号のパテントを持っている訳でも、販売に携わっている訳でもありません。
 もしそうであったら当社は今ごろ超優良企業です。
 七号酵母がお金に換わることはありませんが、
 やはり「七号発祥の蔵元」は名誉であり絶大な宣伝効果です。
 その一方で、「決して正道から外れた酒造りをする訳にいかない」というプレッシャーにもなっています。

 

【 諏訪蔵 】
 全てはここから始まった
 仕込み水の水源でもある霧ヶ峰と甲州街道が交差する諏訪市元町に位置する諏訪蔵。
 1662年の創業以来続く、真澄の本拠です。
 一円は清水町とも呼ばれ、
 良質な水が豊富に湧き出る場所として江戸時代から知られ、
 今でも近くにある神社では、諏訪のお殿様が茶の湯に用いた「御前水」が湧き出ています。
 蔵は大正13年の建築で、
 当時貧乏酒屋だった真澄は古材をかき集めて蔵を建てる他なく、
 こぢんまりとした質素な建物ですが、
 日本一の酒造りを目指して集った歴代の蔵人の手によって壁板一枚に至るまで綺麗に磨き上げられています。
 近代清酒の元といわれる協会7号酵母が発見されたのも、
 この蔵が誇る歴史の一部です。

【 富士見蔵 】
 八ヶ岳を眼前に臨む
 全国品評会での好成績や7号酵母の発見により、
 全国からの需要に諏訪蔵だけでは応じられなくなったことで、
 1982年に八ヶ岳の雄大な姿を眼前に臨む高台の土地に建設されたのが富士見蔵(長野県諏訪郡富士見町)。
 人里離れ自然環境が汚染される心配のないこと、
 豊富な仕込水に恵まれていること、
 標高が高く冷涼で酒造りに向いた環境であること、
 そして真澄の酒造りを長年担ってきた諏訪杜氏のふるさとであることがこの土地を選ぶ決め手となりました。
 外観は近代的ですが、建物の中で行われている酒造りは諏訪で行われるのと同様、完全に手作り。
 こだわりである原料米の全量自社精米を可能とするのも、富士見蔵内にある精米機あってのことです。

 

 蔵元の4つの夢
 上質な真澄を最適な状態でお客様へ。
  造り手である私たち自身が舌鼓を打って飲める酒。
  大切な家族に安心して勧められる酒。
  親しい友人に胸を張って贈ることができる酒。
  真澄はお客様に「本当に美味しい一本」をお届けするため製造工程や販売方法を磨き続けます。
 真澄でお客様の食卓を和やかに。
  家族や友人が顔を合わせる食卓は心へ栄養を注ぎ込むための大切な場です。
  私たちは、一壜の真澄が食卓に集う人々の心を和ませる潤滑油の役割を果たすよう努めます。
 人と街に優しい真澄に。
  酒はお客様や地域との密接なつながりがあってこその存在。
  点字表記、教育助成や、地域イベントへの参加などに積極的に取り組みます。
 日本酒を世界酒へ。
  日本酒は豊かな風土と先人の知恵が育んだ日本文化の結晶です。
  真澄は日本酒を世界酒へと進化させるため、正しい知識や多様な楽しみ方の発信に力を注ぎます。

 宮坂醸造株式会社 長野県諏訪市元町1-16

 ラインナップ

 「夢殿」純米大吟醸 

 「七號」山廃純米大吟醸

 「山花」純米大吟醸  

 「真朱(あか)」 山廃純米吟醸酒

 「漆黒(くろ)」 純米吟醸酒

 「白妙(しろ)」 純米吟醸酒

 「茅色(かや)」 純米酒

 「真澄」純米吟醸 辛口生一本・純米酒 奥伝寒造り・YAWARAKA TYPE-1 など

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 100. 徳地やまのいも

2021-04-04 06:45:46 | 食品

 登録番号 第100号 徳地やまのいも
  
 特定農林水産物等の区分 第1類 農産物類 野菜類(やまのいも)

 特定農林水産物等の生産地 平成17年9月30日における行政区画名としての山口県佐波郡徳地町(現山口県山口市徳地地区)

 登録生産者団体   山口県農業協同組合
  
 特定農林水産物等の特性  首部が短く肩の広い仏掌型あるいは拳型で周辺部が波状になり、外皮は滑らかで可食部の髭根が少ないのが特徴で、すりおろしたときの粘りが強い。

 地域との結び付き  いちょういもは、地下水位が低く生育期に乾燥しない土地でなければ良質なものは生産できないが、徳地地区では、首部が短い芋を選抜し、水稲の輪作作物として栽培することで、耕土が浅い水田においても、適度な湿度が保持された土壌での良質な芋の安定生産が可能となっている。

*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i100.html より

 

 【防府とくぢ】「徳地やまのいも」GI登録 2020.11.30

 防府とくぢ統括本部管内、山口市徳地地区の特産「徳地やまのいも」が11月18日、農水省の地理的表示保護制度(GI)に登録されました。2019年3月に申請を行い100件目として登録されました。
 「徳地やまのいも」は山口市徳地地区の佐波川流域で古くから生産されており、江戸時代後期から栽培されていた記録も残る伝統野菜です。野球のグローブのような形や拳のような形で、すりおろせば非常に粘りが強く、消化にもよくスタミナ食として重宝されてきました。
 徳地やまのいも生産組合は現在23人が生産に取り組み今年度は昨年の1.2倍である4.8㌧の出荷を目指しています。登録を受け同生産組合代表の伊藤三枝子さんは「待ちわびた登録で大変嬉しく思います。今度は生産者が頑張って全国から「やまのいもといえば徳地」と言われるように生産に励んでいきたいです。」と話されました。
 販売は地元の特産物販売所「南大門」やふるさと納税などで贈答用として販売され、今年からは防府市の同JA直売所とれたて満菜でも袋物(1㌔)の本格販売が始まります。今後は県外への販売や生食用に加えて、むきイモやすりイモのチューブなどの加工品の周年販売を目指したいとしています。すでに反響は大きく「南大門」に注文の問い合わせが急増しています。来年3月頃まで出荷を予定しています。

*https://www.ja-ymg.or.jp/2020-1130-houhu-1/ より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<漢字検定> 1級 読み 38.回答 39.出題

2021-04-04 06:24:59 | 漢字検定

 前回の回答

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 聾唖  -ろうあ-耳の聞こえないことと、言葉を話せないこと。

 

 問2 逼迫 -ひっぱく-
 1 行き詰まって余裕のなくなること。事態が差し迫ること。

 2 苦痛や危難が身に迫ること。

 

 問3 蹈襲 - 踏襲-とうしゅう-前人のやり方などをそのまま受け継ぐこと。 

 

 問4 懿徳 - いとく-りっぱな徳。美徳。

 

 問5 瑕釁 -瑕瑾-かきん-
 1 きず。特に、全体としてすぐれている中にあって惜しむべき小さな傷。また、短所。欠点。

 2 恥。辱め。名折れ。

 

 今回の出題

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 箝制  

 

 問2 蠱惑  

 

 問3 梵鐘  

 

 問4 剔抉  

 

 問5 瑟瑟

 

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書 ・精選版 日本国語大辞典より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<経産大臣指定伝統的工芸品> 富山 越中和紙

2021-04-04 06:17:12 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「越中和紙」

 Description / 特徴・産地

 越中和紙とは?
 越中和紙(えっちゅうわし)は、富山県朝日町、八尾町、平村周辺で作られている和紙です。五箇山和紙(ごかやまわし)、八尾和紙(やつおわし)、蛭谷和紙 (びるだんわし)の3つの生産地で製作されている和紙を総称したものとなっています。
 越中和紙の特徴は、産地ごとに少しずつ用途が異なっており、さまざまな種類の和紙がある点です。蛭谷和紙では書画用紙、五箇山和紙では障子紙、絵画や版画用の紙、文化財補修用紙などが製造の中心となっています。また、八尾和紙では「型染め(かたぞめ)」という独特の製法で仕上げられた模様紙や和紙加工品など、何かを描くというよりは加工することを前提とした和紙が製造されてきました。いずれの産地の越中和紙も生活の中で重宝されてきたものであり、丈夫さが魅力です。
 伝統的な製法や製品が受け継がれている一方で、新しい紙製品の開発も盛んです。八尾和紙の型染めによるモダンな模様が印象的な製品や、五箇山和紙の市松模様やカラフルさが魅力のブランド製品は注目を集めています。

 History / 歴史
 越中和紙の起源は定かではありませんが、奈良時代の774年(宝亀5年)に書かれた「図書寮解(ずしょりょうげ)」に紙の産地として越中が記述されており、この頃には既に紙が生産されていたと考えられます。また、平安時代中期の律令の細則「延喜式(えんぎしき)」では、租税として越中の和紙を納めていた旨の記載が確認できます。
 なかでも八尾和紙の生産が盛んになったのは、江戸時代の1688年~1704年(元禄年間)です。富山藩2代藩主の前田正甫によって売薬が奨励されるようになり、越中和紙は薬包紙(やくほうし)や顧客名簿である懸場帳(かけばちょう)、薬売りが持ち歩く鞄の素材としての需要が高まっていきました。
 また、五箇山和紙は江戸時代に加賀藩の御料紙(ごりょうし)として使用されており、発展を遂げています。伝統的な製法を受け継いできた越中和紙は、1984年(昭和59年)に国の伝統工芸品の指定を受けました。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/echuwashi/ より

 雪と水、手わざが織りなす越中和紙
 八尾和紙、五箇山和紙、蛭谷(びるだん)和紙。越中では3つの地域で独自の和紙づくりが受け継がれてきた。雪深い山間(やまあい)で、自然と親しんできた人の手と良質な楮(こうぞ)からつくられる越中和紙には、凛とした気品と風格がうかがえる。

 
 「おわら風の盆」で知られる八尾町は和紙の里
 飛騨の山々と富山平野の中間に位置する八尾町は「富山の売薬」の薬袋紙の産地として栄えてきた。“八尾山村千軒、紙を漉かざる家なし”とまで謳われれるほどであったが、今では2カ所の紙漉き場を残すのみ。その1つである「桂樹舎」の吉田泰樹さんにお話を伺った。


 良質の楮からできる丈夫な和紙
 越中和紙は産地ごとに製品の特徴が異なる。八尾和紙は「八尾民芸紙」とも呼ばれ、染紙や工芸紙、型染めによる模様紙や和紙加工品の生産もさかん。一方、五箇山和紙と蛭谷和紙は障子紙や書画用紙、出版用紙などが主流を占める。共通して言えるのは「生活用品として使われてきた背景から、丈夫なのが特徴」だと吉田さん。


 植物の性質を知り抜く昔からの技術
 和紙の原料として使われるのは「楮」のほかに「雁皮(がんぴ)」と「三椏(みつまた)」。そして均一な紙を漉くのに欠かせないのが「ネレ」。アオイ科の「トロロアオイ」の根を砕いて水に漬けてできた透明な粘液が「ネレ」だ。1枚ずつ漉いた紙はそのまま積み重ねていくが、不思議なことに引っ付かない。トロロアオイには粘り気があるのにお互いをつき離す性質があるそうだ。吉田さんは「ネレ」を触りながら「昔の人はえらいなあ。植物の性質をよく知っとるもんな。私たちはその技術を受け継いでいるだけだから・・」としみじみ語っていた。


 人間国宝のもとで染色の修行を3年間
 吉田さんは大学卒業後、いったん外の世界に飛び出す。人間国宝でもある芹沢けい介氏のもとで3年間染め物の修行をしたのだ。芹沢氏は、型染めの工程をすべて自分で行うことで独創的な作品を制作した染色工芸家。八尾和紙は模様紙の生産が多く、この間の経験は、吉田さんのその後の和紙づくりにも大いに影響を与えているという。

 一枚一枚丹念に色を置く模様紙づくり
 模様紙には型紙と防染のりを使う「型染め」という技法がとられる。図案を作成して型を彫り、色をつけない部分にのりを置き、染め、水につけてのりを落とす、という作業が繰り返される。一枚一枚、一色一色乾かしながら作業は進められる。この作業も昔から受け継がれてきた技術だ。吉田さんはここでもやはり「昔の人はえらい」ということを口にした。


 和紙の魅力を伝えたい
 「桂樹舎」では、手漉き和紙の展示場「和紙文庫」を一般に公開している。吉田さんの父・桂介さんが国内・国外から集めたさまざまな資料や作品が並んでいる。展示物のなかには前述の芹沢けい介氏の作品もある。展示を見ながら吉田さんは「紙は今では生活必需品ではなくなってきているけれども、1200年の歴史をもつ文化をすたらせるわけにはいきません。長い間生活の一部であった和紙の魅力を多くの人に伝えていければ・・・。」と話してくれた。

 作業場ではシーズンに備えて鯉のぼり製作に追われていた。丈夫な和紙に鮮やかな色が丹念に置かれていく。小振りながらもたくましい鯉のぼりの姿は、子どもの成長を祝う端午の節句に似つかわしく思えた。

 職人プロフィール

 吉田泰樹

 1952年生まれ。
 大学卒業後、3年間染め物の勉強をした後、紙漉きの世界に入る。(有)桂樹舎を経営。


 こぼれ話

 五箇山・こだわりの和紙「悠久紙」

 合掌造で有名な五箇山も越中和紙の産地。五箇山にただ一つ残る生産農家、宮本友精さん親子は、楮(こうぞ)づくりから紙漉きまで、昔ながらのやり方を守り続け、こだわりの「悠久紙」を作っています。
春の楮畑の手入れに始まり、夏の草刈り、秋の刈り取り、そして冬は皮剥ぎから雪晒し・・・。宮本さんの和紙作りは、昔と変わらない手作業で行われています。薬品も極力使いません。
 こうしてできた純楮和紙は、強くて優美。「千年近く経ても墨の色も紙の色も変わらない」といわれ、京都の桂離宮の修復など、寺院や文化財の修理、修復に重宝されています。
 和紙づくりに携わって70年をすぎる正真正銘の「和紙職人」、宮本さんの言葉から。「一年で太った楮を、水と光に晒して、和紙にして、ちゃんと乾くところに置いときますりゃ、千年でも、まだまだもつということは、信じられないほどきついもんじゃと思うとります。それが自然の力なのだなあ・・・。信じられないけれども信じております。」

*https://kougeihin.jp/craft/0902/ より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする