いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

昨日の錦織くん-4/22

2021-04-23 09:39:43 | スポーツ

 う~ん・・・やはり壁は高かったか。

 昨日の「バルセロナ・オープン」3回戦。

 ベスト8を賭けた試合だったが、対戦相手は第1シードの「ナダル」。

 結果は、0-6,6-2,2-6。

 第2セットは取ったものの、フルセットで敗れた。

 やはり勝負ポイントは「サーブ」。

 現在「高速化」を鍛錬中らしいが、この「高速サーブ」が完成すればもっといい試合になるかも?

 

 次戦は5月2日から開催の「マドリード・オープン-ATP1000」の予定。

 

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<苺> きらぴ香

2021-04-23 07:27:21 | 食品

 「きらぴ香」

■きらぴ香とは?

 
●静岡県のオリジナル品種
きらぴ香,いちご,イチゴ,苺,ストロベリー
きらぴ香は「章姫」や「紅ほっぺ」を生み出してきた静岡で誕生した新しい品種で、2014(平成26)年に登録出願され、2015年に公表されたばかりで、品種登録もまだなされていません。まだ試験販売の段階との事ですが、静岡県では2018年頃までに8割の生産をこの品種に切り替えるとの情報もあるほど県として気合の入った自信作という事なのでしょう。

現在は静岡県でしか栽培が認められていません。

●きらぴ香の特徴
まだ品種登録されていないので、交配の詳細な過程などは公表されていないようなので、今後明らかになり次第追記させていただくこととします。今分かっている所では、「紅ほっぺ」を親として様々な交配が行われてきたとの事です。結果として、栽培しやすく、クリスマスの時期にも間に合う早生品種であると共に、安定して長期間収穫し続けられ、味や外見に優れた品種に仕上がったとの事です。

きらぴ香,いちご,イチゴ,苺,ストロベリー
今回入手したものは綺麗な三角錐の形で、色周りも良く全体に濃いオレンジ系の赤でした。表面のそう果の窪みはやや深く、果肉を切ってみると中も赤みが強めで、果芯の空洞は小さいです。全体の感じは「紅ほっぺ」に似ていて、血を引いているのが分かります。

食べてみると甘さと共に心地よい酸味が感じられ、全体的に味の濃さとして口に広がります。

■きらぴ香の主な産地と旬
●主な産地と生産量
きらぴ香,いちご,イチゴ,苺,ストロベリー
現在はまだ静岡県でしか栽培が認められていません。まだ登場したばかりなので生産量も非常に少ないですが、2018年頃までに静岡での生産の8割を切り替えていくようなので、今後目にする機会が増えてくるでしょう。

●きらぴ香の収穫時期と旬
きらぴ香は早生品種とされ、11月下旬頃から出荷が始まるとの事です。その後も安定して収穫が続き、5月頃まで店頭に並ぶようです。

*https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/Strawberry-Kirapika.htm より

 

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<言 葉> 春の言葉 風光る

2021-04-23 07:14:15 | 言葉

 「風光る」

 冬の弱々しい日光が春になると力を増し、ものみな輝いて見えるようになる。そこに吹く風はまだいくぶん冷たさを残してはいるものの柔らかな感じで、草木の芽吹きを促し、きらきらと輝かしい。草木ばかりではない、人も物もすべてがまばゆい。

 そのような春の日に吹く風の様子を、俳人は「風光る」という季語に言い止めた。

 春に吹く風を表す季語としては「春風」と「東風(こち)」が代表的である。春風は「春風駘蕩」の言葉もあるように、あくまでもおだやかでうららかな気分を表す季語であり、東風は春の到来を告げる風という側面が強調される季語である。これに対して「風光る」は、万物生動する季節に吹く風の特質を示す言葉と言えば良いだろうか。この意味では、夏の季語である「南風」に対する「風薫る」という組合せと似ている。

 立春を過ぎて二月後半から三月になると、西高東低の冬型の気圧配置が弱まり、台湾近海や東シナ海にできた低気圧が日本列島を北上し、これに向かって東風、南風が吹き込むようになる。うらうらとした春風の場合もあるし、時には「春一番」という強風を見舞うこともある。

 低気圧が通り過ぎて移動性高気圧におおわれると、それこそ春眠暁を覚えずの麗かな日和となる。またこの南風は湿った空気を運んで来るから、しとしとと春雨を降らせることにもなる。
 こうして寒い日、暖かい日を交互にしながら、本格的な春になる。この間を吹く風は、それまで縮こまっていた動物、植物、そして人間に生気を吹き込む。まさに「輝く風」である。

 「風光る」が季語として立てられたのは江戸時代も末になってからのことで、実際にたくさん詠まれるようになったのは明治以降である。風が「光る」という、ことばの響きが新鮮な感じであり、近ごろとみに人気が高まっている季語でもある。

「光る風」「光風」「風かがやく」「風眩し」などとも詠まれる。

 

 風光る杉山かひに村一つ   芥川龍之介

*http://sogyusha.org/saijiki/01_spring/kazehikaru.html より

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-ジュディ・オング

2021-04-23 07:08:22 | MUSIC

 「ジュディ・オング」

 1950年1月24日生まれの71歳

 ジュディ・オング「今は普通の人間(笑)」 「魅せられて」秘話
  松岡かすみ2019.1.28 08:00週刊朝日#林真理子
 
 ジュディ・オング/1950年、台湾生まれ。3歳で来日し、11歳のとき、日米合作映画「大津波」でデビュー。その後、テレビドラマ、映画、舞台で活躍し、66年に歌手デビュー。79年には「魅せられて」が大ヒットし、日本レコード大賞を受賞。80年、台湾の国民栄誉賞・海光奬彰を受賞。木版画家としても知られ、日展特選を受賞。東日本大震災後は、台湾や香港のイベントで義援金を募るなど精力的に活動した。現在、新作ジャズアルバム「ALWAYS」が発売中。

 新作ジャズアルバム「ALWAYS」をリリースした“元祖・国際スター”、ジュディ・オングさん。作家・林真理子さんとの対談では、1979年に大ヒットした「魅せられて」の裏話などを明かしてくれました。

 
 林:ジュディさんは12月に、初めてジャズのアルバムをお出しになられたんですね。

 ジュディ:そうなんです。やっと夢がかないました。みんな「魅せられて」しか歌わないと思ってるかもしれないけど(笑)。私、実は3歳のときからジャズを聴いて育ってるんです。

 林:まあ、3歳のときからですか。

 ジュディ:昔、GHQ(連合国軍総司令部)の中に心理作戦部というのがあって、父がそこの中国語放送に携わっていたんです。「自由世界は楽しいぞ」という番組をつくるチーフをしていました。それで父はアメリカのジャズのレコードをいっぱい持って家に帰ってきて、夜、選曲してたんです。だから自然と、ドリス・デイ、ナット・キング・コール、フランク・シナトラとかの曲を聴いて、ジャズが体に染みつきました。

 林:そうなんですか。CDを聴かせていただきましたけど、もともとジャズシンガーでいらしたのかなと思うぐらいの歌でした。

 ジュディ:うれしい。私にとってジャズは骨肉です。血が騒ぐというか。

 林:私はそんなにジャズに詳しくないですけど、ライブに行くと、ジャズシンガーってサラッと歌うじゃないですか。あのサラッと感がありましたよ。

 ジュディ:頑張って歌ってないということですよね。

 林:はい。「黄昏のビギン」も素敵だし、「蘇州夜曲」もアメリカナイズされた感じで、すごく素敵でした。

 ジュディ:うれしい。大成功!(笑)

 林:編曲も凝ってますよね。

 ジュディ:「蘇州夜曲」は服部良一先生の作曲です。服部先生がつくる音楽には、ジャズとかブルースみたいな音が入るんです。だから新しい感覚でアレンジできるメロディーなんですよ。

 林:ライブもなさるんですか。

 ジュディ:やります。1月26日にコットンクラブ(東京・丸の内)で。ぜひいらしてください。ベテランのミュージシャンとやります。

 林:ジャズの人ってカッコいいですよね。歌の途中でおしゃべりしたり、ピアノにもたれかかったり。

 ジュディ:リラックスしてますよね。ジャズというもの自体が自由なんですよ。メロディーはあるんですけど、それを少し遅らせたり、自分の好きなフシを少し入れたり、「ここだけは好きにさせてよ」「オッケー」みたいなのがジャズなんです。だから私もお客さんと自由に話して、楽しくやらせていただきます。

 林:あの「魅せられて」のジュディさんとはまた違うわけですね。

 ジュディ:うふふ。あのころは白いドレスを着て、「カスミを食べて生きているような雰囲気でいろ」ってプロデューサーに言われてましたけど、今は普通の人間です(笑)。

 林:あれが200万枚でしたっけ。爆発的なヒットでしたよね。

 ジュディ:そうですね。あのころは商店街にスピーカーがあって、有線でいつも曲が流れていて、そこを通る人は老若男女みんなが聴いてましたからね。そういう環境って、今はないですもんね。

 林:音楽を取り巻く状況も、ずいぶん変わりましたよね。このごろ70年代80年代のヒット曲をやる番組がとても増えたような気がしますけど、しみじみ「いい歌ばっかりだったな」と思いますよ。

 ジュディ:団塊の世代の人たちがリタイアして、お茶の間に座れるようになったんでしょうね。あの時代は歌詞をつくる人がいて、作曲する人がいて、編曲する人がいて、それぞれの分野に分かれていた。だからこそ心に残るきれいな曲がありました。

 林:それにしても、「魅せられて」ってすごく難しい歌ですよね。

 ジュディ:ほんとに難しいです。今も難しいと思います。

 林:カラオケで歌ってる人がいますけど、出だし、大体みんな遅れてますよね(笑)。

 ジュディ:アハハハ。気を抜くと出遅れちゃうんです。それでうまくいってるなと思うと音痴になるんです。だからもう何万回と歌ってるけど、今でも自分の声に酔いしれることなく、緊張感をもってあの歌に向かうという感じですね。

 林:今聴いても非常に新鮮なんですよね。そしてまたこの歌詞が……。

 ジュディ:オー・イエス!(笑)

 林:「好きな男の腕の中でも違う男の夢を見る」って、これって40年前の詞と思えない。アンモラルですよねぇ。すごい詞ですよ。

 ジュディ:そうなのよね。作詞された阿木燿子さんのすごさだと思いましたね。最初いただいたときは「ひぇ~、これどうやって歌うんですか」って言いましたよ。そしたら阿木さんが「知らん顔して、しゃあしゃあと歌ったらいいの」って言うから、しゃあしゃあと、ず~っと歌ってます(笑)。

 林:当時、ジュディさんっておじさんたちのアイドルで、ポニーテールの清純派という感じでしたから、びっくりされたんじゃないですか。

 ジュディ:ガッツ石松さんに怒られました。「何なんだ、あれは」って(笑)。

 林:「女がこんなことやっちゃいけねえだろ」って?

 ジュディ:そうそう(笑)。

 林:あれから40年たちますけど、その感じって今も変わってないですよね。女の人がもっと優位性を持って歌ってもいいと思うんですが、まだ突破できてないような気がする。

 ジュディ:阿木さんはそれを私に演じてほしかったみたい。だからそのあとにいただいた曲はすべて、年下の男の人との恋とか、豪華な生活をしながらも「だけど、つまんないのよ!」みたいな歌なんですよ。それも阿木さんは「ジュディさん、何でもないように、しゃあしゃあと歌ってね」って言うんです(笑)。

 林:ところで台湾と日本はどれぐらいの頻度で行き来されてるんですか。

 ジュディ:東日本大震災のあとは、月に1~2回帰ってました。当時、余震がすごくてしょっちゅうケータイがピーピー鳴ってたでしょ。あれで両親とも食事が進まなくて、たった数日間ですごくやせちゃったんです。それで両親は台湾に移ったので、様子を見がてら帰っていました。

 林:食べ物もあちらのほうが合いますか。

 ジュディ:台湾の食べ物っておいしいんです。だから行くと太っちゃうの。「これは日本にないのよ」ってどんどん食べちゃうものですからね。だから日本に帰ってきたら、ウェートコントロール(笑)。

(構成/本誌・松岡かすみ)※週刊朝日  2019年2月1日号より抜粋

*https://dot.asahi.com/wa/2019012500012.html?page=1 より

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<日本酒> 石川 宗玄/宗玄酒造 平成蔵

2021-04-23 06:54:04 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(金沢国税局)】
 〈石川〉 宗玄/宗玄酒造 平成蔵

 

 『宗玄』宗玄酒造 そうげん そうげんしゅぞう

 石川県珠洲市宝立町 蔵元:徳力暁  杜氏:坂口幸夫(能登流)

 『宗玄』醸造元:宗玄酒造さんは、明和5年(1768年)創業。日本を代表する四大
杜氏(越後・南部・但馬・能登)のひとつとして認知されている能登杜氏発祥の蔵
とも言われており、奥能登最大の酒蔵として、地元をはじめ、石川県内・全国の左
党にも愛され続けています。
また、昔は船で富山までお酒を持ち運んでいた歴史があったり、高岡市内には、宗
玄姓を名乗る宗玄家から分家された方がおられたりと、何かと富山には結びつきの
強い酒蔵さんでもあります。

 宗玄酒造さんは、山田錦100%の本醸造や純米、純米吟醸、大吟醸などの小仕込みの特定名称酒を醸す「平成蔵」と、地元に根強いファンが多い普通酒を中心に醸す「明和蔵」の二つで構成されていて、平成蔵は名杜氏として名高い坂口幸夫杜氏が責任者、そして明和蔵は源さんが責任者、そして最終的にこの二つの蔵を坂口杜氏が統括するという体制になっているとのこと。
 一般的に宗玄というお酒は“甘口の代表酒”というイメージを強く持たれている方が
多いかもしれません。確かに地元では肉体労働者の方が多く、へしこや漬物など、
比較的塩辛い食べ物を好まれていたために甘口のお酒が主流でしたが、平成10年以
降は、一部の四段仕込みの普通酒を除き、時代の変化(特に食事)とともに、口当
たりの柔らかい辛口系のお酒に徐々に変わってきています。

 源さん自身も一杯のお酒で満足するのではなく、2杯、3杯と自然と杯が進むお酒が
好きです、と話しておられました。
 能登の伝統を受け継ぎ、しっかりと守りながらも、時代の変化に合った美酒を醸し
続ける宗玄酒造さん。これからも能登杜氏発祥の地に恥じない“宗玄酒”を私達に提
供してくださるに違いありません。

 ■奥能登を代表する旨い酒『宗玄』

 日本三大杜氏のひとつ、能登杜氏。名だたる名杜氏を輩出している杜氏集団として
ご存知の方も多いと思います。菊姫・常きげんの農口杜氏、もうお亡くなりになら
れましたが、開運の波瀬杜氏、すでに引退されていますが、満寿泉の三盃杜氏、天
狗舞の中杜氏の四人が能登四天王と呼ばれ、数多くの銘酒を世に送り出し、確固た
る地位を確立した立役者と言っても過言ではありません。
 そして、この偉大な能登四天王が築いた名声をこれから引き継いでいく一人として
期待されている杜氏が、今回ご紹介させていただく宗玄酒造の坂口杜氏ではないで
しょうか。
 過去には農口杜氏の下でも働かれておられたようですが、何といっても坂口杜氏の
今日の酒造りにおいて影響されたのが、開運の波瀬杜氏です。
全体のバランスが良く、味がしっかりのっていながらも、心地よいキレイな旨味を
感じさせ、杯が進んでも全く飲み飽きしない酒質は、波瀬杜氏が醸していた開運と
相通じるものがありました。是非新鮮な海の幸と楽しんでいただきいお酒です。

*https://www.nakayasu-net.jp/blank-33 より

 宗玄酒造株式会社 石川県珠洲市宝立町宗玄24-22

 ラインナップ

 「壺」特別限定雫酒 古古酒大吟醸

 「SOGEN」大吟醸 Samurai King・純米大吟醸 Samurai Queen・純米吟醸 Samurai Princess・純米酒 Samurai Prince

 「玄心」純米大吟醸

 「宗玄」能登乃国 純米酒・純米石川門 など

 

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<伝統野菜> 北海道 八列とうきび

2021-04-23 06:38:54 | 伝統野菜

 「八列とうきび」

 【生産地】北海道 空知地方中南部、十勝地方中西部

 【形状】草丈は2m前後まで成長し、穂はやや円錐形。実は黄色で、中粒楕円形で大きく硬い。実が一周八列に並んでいるのが特徴で名前の由来にもなっている。

 【食味】糖分が少ないけれど、噛み締めたときのなんともいえない旨味があり、ゆでるよりも、焼いて食べた方が香ばしく美味しい。茹でて醤油をつけて焼くと、とても香ばしくなるのが特徴。

 【来歴】明治元年(1867)にアメリカからトウモロコシを導人したことのが始まりである。八列とうきびは、明治の中頃、札幌農学校の教師がアメリカから導人した硬粒系の「ロングフェロー」や「札幌八列」という品種からつくられた栽培品種である。近年は、「ハニーバンタム」などの甘味種の栽培が主流となり、在来種の「ロングフェロー」や「札幌八列」は減少傾向にある。昭和初期まで北海道で多く栽培されていたが、収穫後、時間が経つと食味が落ちてしまうので流通に向かず、昭和40年代にはほとんど栽培されなくなった。今では生産者の直売のみで入手可能。

 【収穫時期】8月中旬~10月下旬

*https://tradveggie.or.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C%EF%BC%8D%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93/#i-14 より

 

 楽しい食卓に思いをめぐらせ、八列とうもろこしの歴史をつなぐ 2017.08.02

 北海道の一大農業地帯・十勝に、現在ほとんど栽培されていない「八列とうもろこし」を作り続ける農業者がいます。祖父の拓いた「川合農場」を継いだ川合拓男さんです。栽培するだけではなく、そのおいしさを食卓に届けることに情熱を注ぐ川合さんの思いを伺いました。

 profile

 川合農場 代表

 川合 拓男(かわい たくお)

 十勝農業試験場に就職。3年の勤務後、実家の「川合農場」へ。26ヘクタールの農地に、八列とうもろこしのほか、小麦・大豆・ビート(甜菜)・馬鈴薯(じゃがいも)・スイートコーン・かぼちゃ・百合根・まさかりかぼちゃを栽培している。2015年より川合農場の三代目代表に就任。また、「スローフード・フレンズ北海道」の活動にも参加し、現在は十勝支部の代表を務めている。

 栄枯盛衰の「八列とうもろこし」を栽培

―― 川合農場で栽培している「八列とうもろこし」。店頭ではほとんど見かけませんが、どのような特徴のあるとうもろこしなのでしょうか?

 「八列とうもろこし」は、明治期から昭和初期にかけて、北海道で最も多く栽培されていたとうもろこしです。だんだんとスイートコーンに取って代わられ、昭和40(1965)年代にはほとんど栽培されなくなりました。その名のとおり、粒の列は八つ。一般的によく食べられているとうもろこしよりも細く、でんぷん質が多くて、食感はモチモチです。とうもろこしには、いろいろな品種があります。例えば、おなじみのスイートコーン(甘味種)。80〜90%が水分なので、みずみずしくて甘いです。それから、お菓子のポップコーンになる爆裂種。そして、フリントコーン(硬粒種)。これは、メキシコ料理のトルティーヤ(とうもろこし粉の薄焼きパン)に使われている品種です。「八列とうもろこし」は、フリントコーンの仲間に分類されます。ちなみに、札幌・大通公園の名物「とうきびワゴン」で売られていたのも、かつては「八列とうもろこし」だったそうです。


 残念ながら、今は「八列とうもろこし」が市場に出回ることはありません。栽培している農家がほとんどないことも理由の一つですが、そもそも流通に向かないのです。それは、収穫すると一日で硬くなってしまうから。一般の人たちが八列とうもろこしを目にするのは、イベントなどで、焼きとうもろこしの販売があるときくらいですね。うちで栽培から製粉までしている「八列とうもろこし粉」は、5〜11月にオープンしているJAめむろの直売所「めむろファーマーズマーケット 愛菜屋」と芽室町観光物産協会の特産品販売サイト「めむろセレクション」で販売しています。

―― 栽培することになったきっかけを教えていただけますか?

 芽室町や隣の帯広市、ワインで有名な池田町、そばの産地・新得町などがある十勝エリアは、畑作が盛んです。主に生産しているのは、畑作4品といわれる小麦・豆類・ビート(甜菜)・馬鈴薯(じゃがいも)。それ以外の農作物をつくろうという話が、JAめむろ青年部の中で常に持ち上がっていました。20年ちかく前のことです。当時の農政をめぐる情勢や、キャベツなど野菜の生産が増えていたことも影響していたと思います。大きなきっかけとなったのは、2005年に八列とうもろこしが「味の箱舟(アルカ)」に認定されたこと。「味の箱船」というのは、イタリアに本部を置くスローフードインターナショナルによるスローフード運動のプロジェクトの一つです。目的は、各地域の食の多様性を守ること。世界共通のガイドラインを基準に選定された、在来品種の農畜産物や伝統漁法で水揚げされる魚介類、加工食品などの生産と消費を支援するものです。

 八列とうもろこしは、育てることはそれほど難しくありません。土地に根付いた作物は生命力が強い。病気を防ぐための薬剤をまいたことはないですね。でも、収穫のタイミングと流通させることが難しかった。収穫直後は透明でみずみずしいのですが、半日で黄色くなって、一日経つと硬くなってしまう。当時はまだ勉強不足で、スイートコーンと同じように食べるという考えしかなく、直売所でそのまま売っていました。八列とうもろこしのような硬粒種は、加工して食べるのが一般的だと知ったのは、あとになってからです。1年目はあえなく失敗。収穫はできたものの、評判が芳しくなくて……。でも、まだやれることがあると思い、再度トライすることにしたのです。2年目は、収穫から販売までの間の温度管理に気を配り、ドン菓子(ポン菓子。穀物を膨らませた駄菓子)の加工に挑戦して、前年の反省を生かしていろいろと工夫してみました。でも、JA青年部の出した結論は、八列とうもろこしの栽培は諦めるということでした。十勝で主流の大規模農業には向かないとの判断からです。

―― なぜ、栽培を続けようと思ったのでしょうか?

 一番の理由は、八列とうもろこしのおいしさを知ってしまったからです。焼いて食べると、本当においしい。根強いファンが多いのもうなずけました。おいしいのに、人間の事情で消えていく農作物がある。それに抵抗したかったのかもしれません。八列とうもろこしを栽培してみた2年間、多くのことを学びました。当初は、農場経営のアイテムとして導入できるかどうか、それしか考えていませんでした。でも、栽培から販売まで手がけるうちに、農作物が食卓に届くまでの流れを考えるようになったのです。それまでは、収穫して出荷すると、責任を果たしたという気持ちでした。


 当時の農業は、まだまだクオリティより収量という考えに支配されていたと思います。そういう中で、八列とうもろこしを通して、生産者と生活者の間にある市場・運送業・小売業の仕組みにまで目が向くようになりました。流通の問題、つまり人間の事情で、どうしても栽培や販売を断念しなければならないこともある。それを含めて、食をとりまく世界を知れたことは、僕にとっての大きな収穫でしたね。生産したものを農協に出せばOKという、「生活者と農場の距離が離れ過ぎ」といわれた時代から、今はずいぶんと変化してきたと思います。収穫を楽しみに待ってくれている人たちや、まだ食べたことのない人たちに、八列とうもろこしを届けたいという思いは強いです。

―― 「八列とうもろこしのおいしさをより多くの人に届けたい」という思いが、原動力なのですね。ただ流通に向かないというのも事実です。川合さんはどのように八列とうもろこしを届けようと考えているのでしょうか?

 まず、「八列とうもろこし粉」の製造は続けていきたいですね。製粉は、「スローフードフレンズ北海道」のメンバーでの発案で始めました。乾燥した粒を見せて、どうしようかと相談したところ、粉にすることを薦められたのです。そのころ、うちの畑で穫れた小麦を自家製粉して小麦粉にして売り出そうと、製粉機を購入したばかりでした。試しに八列とうもろこしも製粉してみたら、なかなか感触が良かった。これは商品化できると考えました。

 実は、とうもろこしを生のままで焼いたり茹でたりして食べるのは、世界でも珍しいのです。多くの国では、乾燥させてから、お粥にしたりすりつぶして加工したりして食べます。明治期の日本でも、とうもろこしは保存食とされていたようです。こういう歴史を知ると、食っておもしろいと思いますよね。商品化の参考にしたくて、日本のとうもろこし粉事情も調べてみたのですが、当時は製造しているところがないようでした。いろいろなものの原材料になっているにも関わらず、国産とうもろこし粉はない。ここに勝機があると考えました。幸い、直売所や特産品販売サイトで評判でしたし、東京にあるタコス店からの発注もありました。ただ、「八列とうもろこし粉」でなければならない使い方をまだ提案できずにいるんですよね。これは今後の課題だと思っていて、今も試行錯誤を続けています。


 食が育てる豊かな心と人生

―― 川合さんは「スローフード・フレンズ北海道」の代表でもあるんですよね。具体的にはどのような活動をされているのでしょうか?

 スローフード・フレンズ北海道は、スローフードインターナショナルの理念に共鳴した、食に対する感度の高い人たちのネットワークです。「きれいで、正しくて、おいしい」という食のキーワードがありますが、そういう世の中をつくっていく、守っていくためにできることを考えています。一つの料理がお皿にのっていることを想像してみてください。私たちはそのお皿の外の世界をどれだけ意識しているでしょうか。料理ができて食卓に運ばれるまでの過程にどれだけの人が携わっているか、その過程をどれだけ知っているか。そのことを問いかけ、常に意識することがよりよい暮らしにつながるといっているのが「スローフード」。そういうことを考えながら、身近な人たちと楽しく食事をすることが大切なのです。心を豊かにして、よい人生を送る。そのスタイルを求めていくのが「スローライフ」であり、それを伝える活動をしています。


 活動としては、ここ数年は、食に関する映画の上映会をよく行っていますね。映画にまつわる料理を料理家に作ってもらい、食事会を開催することもあります。わかりやすく受け入れられやすい伝え方を模索して、映画にたどり着きました。活動の成果といえるかどうかわかりませんが、農業界はいろいろ変わったと思います。特に若い世代では、生活者のことまで見えている人、自分の生産する作物のクオリティを意識している人が多いですね。僕が20代だったころに比べて、自分で考えてアクションを起こす人が増えていると思います。情報のスピードが変化したことも影響しているかもしれません。十数年前は、渡航費と滞在費をかけて海外の農業機械展に行ったものですが、今は行かなくてもインターネットで直にやりとりできますからね。いい時代になったと思います。

 生産者と生活者の良好な関係を目指して

―― 「地元の農産物を世界にPRしたい」「地元の農産業に貢献したい」と考える若者は多くいます。その夢を実現するためには何が必要でしょうか?

 時間の許す限り、いろいろな経験を積むことが大切です。ゼロからは何も生まれませんから。いろいろなことに興味をもってチャレンジすることが、あとから効いてくると思います。若いからこそ怖いもの知らずで行動できる。40歳、50歳になったら自重すべきことがありますから、若さを武器にして許される時期にいろいろやってほしいですね。行っていないところに行ってみる、会いたい人に会ってみる、わからないことは聞く。単純なことだけれど、それは財産になると思います。

―― 最後に、農場と社会、農場と生活者の関わり方について、川合さんが思い描く理想の姿をお聞かせください。

 生産者と生活者のきちんとした関係性が成り立つことが理想ですね。私たちが作ったものの価値は、食べた人を元気にできるか、楽しませられるかだと思います。世界にはここで栽培した農作物を食べる人がいて、その人が仕事をして作り出すものがあって、それを利用する人がいて……。そうやって社会がまわっている。大げさかもしれませんが、その大本に農業者がいると私は思っています。そう考えると、農業はとても尊い仕事だと思いますし、責任重大なんですよね。だからこそ、生産者は生活者を意識しながら農作物を作り、必要な情報を発信して、その価値を知ってもらう必要がある。そして、価値を認めてくれた生活者には、自分たちの作ったものを食べて、元気に力強く生きてほしい。その循環が、社会がより良くなることにつながると信じています。


 「八列とうもろこし」と出会い、農業をとりまく世界に目が向くようになったという川合さん。生活者の食卓に思いをめぐらせ、人の営みを根底から支える農業に誇りをもって仕事をしています。「八列とうもろこし」のおいしさを広める挑戦や食を通して心と人生を豊かにする生き方を伝える活動は、生産者と生活者の理想の関係をつくりあげていくことでしょう。

*http://www.gastronomia.jp/2017/08/775/ より

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<漢字検定> 1級 読み 57.回答 58.出題

2021-04-23 06:34:49 | 漢字検定

 前回の回答

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 婢僕  -ひぼく-下女と下男。召し使い。

 

 問2 鸞輿  -らんよ-天子の乗る輿 (こし) 。鳳輿 (ほうよ) 。鳳輦 (ほうれん) 。

 

 問3 帷幔  -いまん- たれぎぬ。幕。

 

 問4 蘊蓄  -薀蓄-うんちく-
 1 蓄えた深い学問や知識。

 2 物を積み、蓄えておくこと。

 

 問5 岌岌 -きゅうきゅう-
 1 山などが高いさま。

 2 きわめて危ないさま。

 

 今回の出題

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 譴責  

 

 問2 抒情  

 

 問3 耽美  

 

 問4 拈出  

 

 問5 贅肬

 

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書 ・精選版 日本国語大辞典 より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 福井 越前箪笥

2021-04-23 06:27:04 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「越前箪笥」

 

 Description / 特徴・産地

 越前箪笥とは?
 越前箪笥(えちぜんたんす)は、福井県越前市や鯖江市周辺で作られる、ケヤキやキリなどの材木を鉄製金具や漆塗りで装飾している箪笥です。耐久性に優れ、硬くて木目が美しいケヤキと、湿気を通さず、割れや狂いが少ないために高級箪笥の材料として重宝されてきたキリを主に使用します。
 ケヤキやキリを自然乾燥させ、釘などを使わず木材を組み合わせて、強度を高める指物技法(さしものぎほう)で枠組み箪笥や板組箪笥を作ります。箪笥には天然の漆を使い、素朴な味わいのある拭き漆(ふきうるし)、天然の木目を活かす透明の漆を塗る春慶塗(しゅんけいぬり)、濡れたように深い黒色の漆を塗る呂色塗り(ろいろぬり)の3つの漆の塗り方があります。
越前箪笥の特徴は使い込むほどに味わい深い風合いとどっしりとした重厚感があることです。箪笥の角を保護するために付けられた金具は、魔除けとして猪目(いのめ)と呼ばれるハート型の金具になっており、金具のユニークさも越前箪笥の魅力となっています。

 History / 歴史
 越前箪笥 - 歴史
 現在の福井県から山形県の一部にまたがる地域に、7世紀頃に「越国(こしのくに)」と呼ばれる地域がありました。その頃の越国は漆で有名な石川県の能登や加賀も含まれ、現在の越前市のあたりは国府(こくふ:その地域の政治的中心地)であったため、さまざまな文化や技術が集まりました。
 室町・戦国時代には朝倉家の府中奉行所が置かれ、指物師と呼ばれる人たちが朝倉家の茶道具を作り、指物文化が花開いていきました。
江戸時代には藩主となった本田富正公が町の整備を進め様々な技術者を集めたため、指物・漆・金具が特徴である越前箪笥が栄える下地が出来たのです。明治中期頃には本格的な箪笥職人が活躍し、今も越前市にはタンス町通りがあり、建具商や家具屋が建ち並びます。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/echizentansu/ より

*https://kougeihin.jp/craft/0618/ より

 越前箪笥とは

 平成25年に伝統工芸品に指定された越前箪笥。
 奈良時代から伝わるものだと言われています。

 経済産業省に登録されている越前箪笥の特徴(定義)は以下の通り。

 ケヤキやキリ等を原材料に越前指物技術によって加工し、鉄製金具や漆塗りで装飾されるのが大きな特徴です。

 越前箪笥の特徴① 越前指物技術
 越前箪笥には越前指物の技術が使われており、『組みつぎ』や『ほぞつぎ』などの技法がいたる所に見られます。

 越前指物は、福井県郷土工芸品の指定を受けています。
 指物とは、板と板や棒などを釘を使わずに指し合わせる技法、その技法を用いた製品のこと。

 越前指物は、幕末から明治初期に旦那衆の家に出入りしていた指物師が始めたとされています。
 高い技術水準を誇り、木材の特性を生かした組子らんま、建具などが作られています。

 今でこそ木材のカットは機械でできるようになりましたが、満足に機材のなかった大昔に、釘を使わずに木をぴったり合わせる技術があったと考えるとただただすごい!としか思えません!

 越前箪笥の特徴② 金具

 越前箪笥の大きな特徴はなんといっても、そのインパクトのある金具でしょう。
 表面のつやつやとした木の輝きだけでも美しいのに、そこに細かな細工が施された金具がつくことで、より重厚な印象を与えています。

 一口に箪笥と言っても

 掛硯(かけすずり):帳簿、お金とともに筆、墨、硯などを入れるもの
 帳箪笥(ちょうだんす):帳簿などを入れるもの
 衣装箪笥
 など、さまざまな用途の箪笥があります。
 大事なものを入れておくことも多いため、それらを守るためにも鍵がついているのです。

 

 越前箪笥の特徴③ 漆塗り
 越前箪笥の光沢のある質感は、漆塗りによるもの。
 越前市のお隣、鯖江市河和田地区の伝統工芸品に越前漆器があります。
 その歴史は1500年以上も前にさかのぼるといわれていますが、越前箪笥も、越前漆器の職人さんによって漆が塗られていたそうです。

 時代背景も反映された車箪笥

 越前箪笥には、車箪笥と呼ばれる種類のものもあります。
 名前の通り、箪笥の下にこのように車輪が付いています。

 江戸時代は火事が多かったため、逃げるときにすぐに持ち出せるように車がついているそうです。
 そのため「車箪笥には帳簿やお金など、大事なものを入れていたのでは」と小柳さん。

 また、火事と箪笥と言えば、

 桐箪笥は燃えにくい
 引き出しを閉めると真空状態になるので、中のものが燃えない といったことも言われています。

 どこまで計算して作られていたのかはわかりませんが、箪笥一つから、かつての時代背景も読み取れるのは面白いですね。

 からくりのある箪笥も!

 鍵、車箪笥、からくり…。大切なものを守るために、箪笥にはさまざまな工夫が凝らされているんですね。

*https://dearfukui.jp/industry/9475 より抜粋

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