いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<名所> 横浜三塔

2021-04-15 07:46:21 | 名所

 「横浜三塔」とは、神奈川県横浜市中区の関内地区にある、塔を持つ3つの建物の愛称である。

 「キングの塔(神奈川県庁本庁舎)」・「クイーンの塔(横浜税関)」・「ジャックの塔(横浜市開港記念会館)」は、地元では「横浜三塔」と呼ばれ、横浜港のシンボルとして長年市民に親しまれている。都市開発が進んだことによって、周りにビルが建ち目立ちにくくなってしまったが、建った当時は他に目立つものはなく、横浜港に入港してくる船の目印になっていた。また、キングの塔には、横浜港の守り神である伊勢山皇大神宮の分霊が祀られていた。これらの塔の愛称は、入港する船の外国人船員達がトランプのカードに例えて名づけたといわれている。また、みなとみらい地区の都市計画にも「ジャックモール」・「クイーン軸」(クイーンズスクエア)・「キング軸」と、これらの名前が使われている。

 現在では、この三塔を同時に見ることのできるスポット(神奈川県庁の正面、横浜赤レンガ倉庫、大さん橋国際客船ターミナル)を全て回ると願いが叶うという都市伝説があり、これを「横浜三塔物語」という。また、横浜観光コンベンション・ビューローは2007年から、毎年3月10日を三塔との語呂合わせで「横浜三塔の日」と決めて様々なイベントを開催している。三塔を同時に見られる場所はいずれもみなとみらい線日本大通り駅から徒歩10分以内の場所にあり、現地には目印も設けられているので、訪れることは比較的容易である。三塔の建物同士も、半径100mの範囲内に近接して建っている。

 エースのドーム「神奈川県立歴史博物館」旧館(1904明治37年・横浜正金銀行として開業・国の重要文化財)を加えて「横浜四塔」とする場合もある(ジョーカーでなくエースなのは、三塔より古く荘厳かつドームがエースのように見えるからだという)。

 三塔の詳細
 「キングの塔」
 神奈川県庁本庁舎 横浜市中区日本大通1
 塔の高さ - 約49m  完成 - 1928年(昭和3年)
 「クイーンの塔」
 横浜税関本関庁舎 横浜市中区海岸通1-1
 塔の高さ - 約51m 完成 - 1934年(昭和9年)
 「ジャックの塔」
 横浜市開港記念会館 横浜市中区本町1-6
 塔の高さ - 約36m 完成 - 1917年(大正6年)

*Wikipedia より

 

 横浜三塔物語 掲載日:2021年3月26日
 横浜三塔(キング・クイーン・ジャック)
 横浜三塔の愛称は、昭和初期に外国船員がトランプのカードに見立てて呼んだことが由来と言われています。

 「キング」神奈川県庁は、五重塔をイメージさせるスタイルで、昭和初期に流行した帝冠様式のはしりといわれています(1928年竣工)。

 「クイーン」横浜税関は、イスラム寺院風のエキゾチックなドームが特徴です(1934年竣工)。

 「ジャック」横浜市開港記念会館は、東南隅に時計塔、西南隅に八角ドーム、西北隅に角ドームを配しています(1917年竣工)。

 横浜三塔を巡る物語 ~横浜三塔物語~
 横浜三塔は、戦争等をくぐり抜け建ち続けてきました。いつしか船員達が航海の安全を祈り、これを目印に入港したと言われています。

 この三塔ですが、実は一度に見ることができる場所は限られています。

 「① 赤レンガパーク」 「② 日本大通り」 「③ 大さん橋」

 この3つのスポットを1日で巡ると、願いが叶うという伝説があります。これが「横浜三塔物語」です。カップルで巡ると結ばれるという噂もあります。

 この3つのスポットには目印が設けられています。皆さんも探して少し幸せになりませんか。

*http://www.pref.kanagawa.jp/docs/rb2/cnt/p630422/yokohamasantou.html より

 

 「横浜三塔」、まもなく見納め? 横浜市〔地域〕 2021年04月12日10時25分

 横浜港に入港する外国船員が昭和初期にトランプに例えてジャック、クイーン、キングと名付けた「横浜三塔」。三つの塔が並び立つ姿は、横浜港を代表する風景だが、まもなく見られなくなる。


 三塔は、横浜市開港記念会館のジャックと、横浜税関のクイーン、神奈川県庁本庁舎のキングの総称。三塔が同時に見られる場所3カ所にはプレートなどが埋め込まれ、「1日で巡ると願いがかなうとの伝説がある」(観光関係者)。
 このうち、1917年に建てられた開港記念会館は老朽化が進んだため、11月末で閉館し、2024年3月末までの改修が決定した。また、日本大通り側からは「イチョウの葉が生い茂ると、ジャックが見えづらくなるので、よく見えるのは今のうち」(県庁舎管理課)という。

*https://www.jiji.com/jc/article?k=2021041200301&g=soc より

 

 

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<苺> おとめ心

2021-04-15 07:34:48 | 食品

 「おとめ心」

 平成16年春の庄内砂丘。穏やかな光に包まれたビニールハウスで新品種いちごの収穫が始まりました。その名は「おとめ心」。研究開始から14年の歳月を経てようやく誕生した赤く色づく可憐ないちごには、関係者たちの大きな期待が込められていました。
 庄内砂丘は遠い昔には鬱蒼と繁った林に覆われていたといわれていますが、塩づくりの燃料として乱伐されたことなどから江戸時代には荒涼とした砂丘地となり、人々は強い潮風と飛砂に悩まされてきました。
 しかしその後、多くの人たちの尽力によって防風林が植えられ、風や砂の被害を受けずに農作物をつくることができるようになったのです。
 ここでは、以前から露地物いちごが育てられてきましたが、昭和40年代に入り、兵庫県で生まれた「宝交早生」が導入されたことでハウス栽培へと移行していきました。これを契機に庄内の作付面積は急激に増加し、昭和45年には55haだった面積が10年後には4倍近い191haにまで拡大して、取扱額も最盛期には10億円を記録しました。
 いちごは単価も高く需要も大きいかわりに産地間競争が激しく、新品種の開発も盛んに行われています。「宝交早生」は甘く味の良いいちごですが、新しく台頭してきた「女峰」や「とよのか」に比べ、果実が柔らかく日持ちが悪いということから、作付面積はしだいに減少していきました。
 庄内の気候風土に適した新しいいちごが欲しい。生産者たちのそんな期待を受けて、昭和63年に山形県砂丘地農業試験場(現:庄内総合支庁農業技術普及課産地研究室)が新たないちごの育成を開始。研究開始から紆余曲折の日々を重ね、ようやく10年の歳月を経て味のよい「砂丘S2号」が生まれ、さらに3年の時を経て、「糖度が高く酸味もある」「光沢があり外観がよい」「果実が硬い」「うどんこ病に強い」という満足ゆく「砂丘S3号」が誕生しました。
 平成15年に東京中央卸売市場太田市場で試食会を行ったところ、「外見・味ともに良い」「光沢がある」「香りが良い」などの高い評価を得ることができ、同年9月に「砂丘S3号」は「おとめ心」と名づけられました。平成16年に本格的なデビューを果たし、「宝交早生」の2倍の価格で取引され、「おとめ心」に対する期待はいっきに高まりました。
 甘さだけが強調されたいちごが多い中で、「おとめ心」は甘味と酸味とのバランスがうまくまとまって素晴らしい味と評価されています。生食でも美味しく、アイスにしても香り豊かに仕上がる「おとめ心」に、「食の都庄内」親善大使は“最高の品種”と太鼓判を押しています。

*http://syokunomiyakoshounai.com/ingredient/ingre-02/004.html より

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<言 葉> 春の言葉 虹始見

2021-04-15 07:30:52 | 言葉

 「虹始見」

 4月15日は「虹始見-にじはじめてみる」。

 七十二候の1つ。その名のとおり、雨上がりに虹がかかるころ。
春の深まりとともに空気が潤い、雨上がりに綺麗な虹が見られるようになります。

 虹は「虫偏」がついていますが、これはなぜでしょう。
虹は昔から世界中でさまざまな神話と結びつき、いろいろなものに見立てられてきました。虹と虫はあまり結びつかないような気がしますが、中国では虹を「空にあらわれる大きな蛇」と見なす考えがあったようです。大きな蛇が天に昇り、龍になると考えられていました。

 ちなみに、英語で虹は「Rainbow」といいますが、これは「雨の弓」を意味します。「レインボー」は日本でも親しみのある単語でよく使われますが、弓とはとても素敵な見立て方ですね。
 フランス語では「arc-en-ciel(アルカンシエル)」。あの有名なバンド「L’Arc~en~Ciel(ラルクアンシエル)」の由来になっています。

*https://www.543life.com/seasons24/post20200414.html より

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-白鳥英美子

2021-04-15 07:28:25 | MUSIC

 「白鳥英美子」

  1950年3月16日生まれの71歳

 

 トワ・エ・モワ、デビュー50周年。全シングル23曲を含む133曲、レーベルの枠を超えた初のオールタイムベストCDBOXがリリース!
株式会社ソニー・ミュージックダイレクト2019年12月13日 12時00分

 国民的ヒット曲「或る日突然」「誰もいない海」「虹と雪のバラード」(札幌冬季オリンピックのテーマ曲)など、美しい日本語の歌と独自のポップ感覚をたっぷりと味わえる充実の6枚組 CDBOXが12月13日に発売。

 2019年、デビュー50周年を迎えたトワ・エ・モワ(芥川澄夫・白鳥英美子)初のオールタイムベストCD BOX『FOLK & POP』が12月13日にリリースされる。

 1969年、デビュー曲の「或る日突然」が大ヒットし、一躍スターに。その後も「空よ」(1970年)、「誰もいない海」(1970年)、「地球は回るよ」(1971年)、「虹と雪のバラード」(1971年)など多くのヒット曲をリリースしている。ボサノバやヨーロッパのポップスのテイストを採り入れた従来にないスタイルのサウンドで、フォークソングがブームだった70年代前半にあって、ひときわ異彩を放っていた。

 1973年に一旦解散するが、1972年札幌オリンピックのテーマ曲だった「虹と雪のバラード」が1998年の長野冬季オリンピックで再び脚光を浴び、同時期のテレビ出演をきっかけに再結成。ふたりが「同じキーで歌える限り活動を続けよう」という方針で、それから20年を経た現在も精力的に活動を続けている。

 今回リリースされる『FOLK & POP』は、1969年から2017年にかけて7つのレーベルから発表された楽曲を満遍なくセレクトした133曲を収録した6枚組。全シングル23曲はもちろん、アルバム収録のオリジナル曲だけではなく、その独特なポップセンスが光るカバー曲も多数収録。いずれも日本語を美しく歌うトワ・エ・モワならではの歌の魅力にあふれている。その50年にわたる軌跡をたっぷりと味わえる充実のオールタイムベストがついに登場する。

 来年2020年は東京オリンピックが開催され、札幌でマラソン、競歩などが行われることになるがトワ・エ・モワの「虹と雪のバラード」が再び注目されることになるかもしれない。
 

 商品概要
 トワ・エ・モワ デビュー50周年企画
 「FOLK & POP」 DYCS 1230 価格:10,000円+税
 CD6枚組 収録曲数:133曲
 発売予定日:2019年12月13日
 発売:株式会社ソニー・ミュージックダイレクト

※ソニーミュージックショップ他通販限定にて発売
https://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&cd=DYCS-1230

■toietmoi:白鳥英美子 公式サイト
http://emikoshiratori.woodgreen.jp/toietmoi/index.html

*https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000498.000020808.html より

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<日本酒> 東京 金婚正宗/豊島屋酒造

2021-04-15 07:25:20 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(東京国税局)】
 〈東京〉 金婚正宗/豊島屋酒造

 私たちのお酒と蔵のあらまし
 蔵人の想い
 豊島屋酒造は数少ない東京都内にある蔵元で、醸造するお酒は「江戸・東京の地酒」として多くの人たちに親しまれています
 私たち蔵人は、お酒を醸すことにより、お酒の良さを生かして人と人のつながりを生み出し、誰もが楽しく幸せに生きる社会をつくる一助になりたいと思っています
 お酒好きな人びとはもとより、これまでお酒に興味のなかった人びとにお酒のよさを知っていただき、お酒の美味しさと日本酒文化をお楽しみいただくとともに、お酒の飲めない人や子どもたちに日本の食文化の素晴らしさや醸造文化を知っていただきたいと願っています
 そして、未来を築く子どもたちが、日本の食文化とそれを育む美しい自然環境を守り伝え、健康な、楽しい生活を送ることを夢見ています

  お酒は、人と人のつながりを生み出す文化だと思います。お酒を媒介に、お酒が好きな人だけでなく、お酒を飲めない人や子どもたちまで多様な人びとにお酒の文化を楽しんでいただくことによって、人と人の縁が醸され、つながりの輪が広がり、和を築く絆が生まれます。その意味では、酒蔵はお酒を醸す場であるとともに縁醸しの場でもあります。私たち蔵人は、よいお酒を醸すとともに、人と人の縁を醸すことに誇りを持っています。

 

 水、お米、蔵人の心意気と醸造技術が生み出す豊かな味わい
 豊島屋酒造では、武蔵野台地の地下、深さ150メートルから汲み上げた水を仕込み水として使用し、酒造りに好適なお米を厳選して丁寧に酒を醸しています。
よい水とお米、蔵人が日々研鑽した醸造技術によって豊かな香りと味わいを備えたお酒が醸し出されています。
 全国新酒鑑評会で数多くの金賞を受賞した豊島屋酒造のお酒をぜひご賞味ください。

 
 蔵のあらまし
 今から420年前(1596年)に江戸の神田鎌倉河岸で、初代豊島屋十右衛門が酒屋兼一杯飲み屋の商いを始め、大勢の人びとが集る場として大変繁盛したようです。また、十右衛門は江戸では草分けとなる白酒の醸造を始め、大いに賑わいました。それが現在の豊島屋酒造の礎となりました。
 豊島屋は豊島屋本店(東京都千代田区)となり、昭和の初期、現在の東京都東村山市に醸造元として豊島屋酒造が設立されました。
以来、地域に根ざして多くの方々に喜ばれるお酒を醸す酒蔵として幅広く人びとのご愛顧を受けています。

 豊島屋酒造株式会社 東京都東村山市久米川町3-14-10

 ラインナップ

 「金婚 美意延年」大吟醸

 「金婚」大吟醸

 「金婚 江戸の華」大吟醸 など

 

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<伝統野菜> 北海道 札幌大球キャベツ

2021-04-15 07:19:44 | 伝統野菜

 「札幌大球キャベツ」

 

 【生産地】北海道 札幌市 (札幌伝統やさい)

 【形状】1球で8 kgから20kg、球径が40~50cmに生育する大型の品種。冬場の貯蔵で外側が傷んでも食べられる部分が確保されることと、肉厚でしっかりとした食感が特徴。大きすぎることと芯が太いため、一般家庭よりカット野菜として使われることが多い。

 【食味】葉面にはロウ質が多く、肉質は軟らかく、甘味の強いのが特徴。生食、漬物、煮食用などに使われる。北海道では冬期間の貴重な野菜で、ニシン漬やサケの挟み漬けに使われる。近年はドイツ料理のキャベツの酢漬け(サワークラウト)にも使われている。

 【来歴】日本における食用キャベツ発祥地は北海道であるとされている。明治初期に開拓使がアメリカからキャベツの種子を導入し、札幌官園で試作を始めた。明治35年(1902)頃は「札幌甘藍」と称され、明治40年(1907)頃には「札幌大玉」となり、昭和初期から現在の「札幌大球」と称されるようになった。昭和の初期には主に漬物用として広く栽培されたが、漬け物需要の減少やその重さから農作業の負担が大きく、生産量は徐々に減少。しかし、にしん漬けには札幌大球、といった根強いファンもおり、そのおいしさと希少性から、再度注目が集まっている。

 現在、復活を遂げた札幌大球は、その食感だけでなく、甘くて風味が良い味そのものにも関心が高まり、市内の飲食店や食品メーカーで使用されているほか、学校給食にも提供されている。

 【収穫時期】通常5月下旬に種を蒔き、10月下旬からの約2週間で収穫

*https://tradveggie.or.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C%EF%BC%8D%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93/#i-7 より

 

 札幌大球とは

 名称:キャベツ「札幌大球」(英名cabbage Sapporo-Taikyuu)
 形状:晩生種で球の肥大はよく、1球あたりの重量は8~20㎏、
球径が40~50㎝程度と大型。球の形状は扁円形を呈し、多収性。

 札幌大球の歴史

 北海道では、明治初期に開拓使と一緒にいろいろな作物が導入され、その中でキャベツは1871年、七飯開墾場と札幌官園で試作されたのが最初です。
 その後年月を重ね、キャベツ栽培が広がっていきました。

 種子の輸入、自家採種、品種改良が活発になり、「コペンハーゲンマーケット」「バンダーゴー」「サクセッション」「アーリーサマー」などが普及する中、大きくて貯蔵性がよい「札幌大球」が選抜され、土着順化していったとされます。

 冬期間は野菜が不足するので、貯蔵や漬物に適したキャベツということで重宝され、昭和に入ると生産が活発になりました。1935年ころには1,000haほど栽培されていたとされています。
 しかし、1個重量が大きく、作業負担が大きく、農家の高齢化もあり、断念する人が多かったのです。
 平成に入り、1993年には推定で15ha。以降漸減していきます。

 2014年の段階で、主産地たる石狩市厚田区で3戸、日高門別で2戸、新冠で1戸の生産するにとどまり、まさに消滅の危機に瀕しています。

 食材としての歴史

 北海道における農耕期間は4月下旬から10月下旬くらいまでの半年間です。
このため、11月から半年間は農作物の生産ができないのです(ハウス栽培などは除)。
 冬期間の食料、栄養を確保するためには加工・貯蔵に頼らざるを得ませんでした。

 貯蔵特性として札幌大球の葉数は通常品種と同様の70枚前後(珠葉数は50枚程度)であり、その分一枚一枚の葉厚は肉厚で繊維質もしっかりしています。
 発酵漬物の素材としても好適で保存、食感ともに優れており、にしん漬けや飯寿司など北海道ならではのお魚と野菜を組み合わせた漬物原料として欠かせない存在でした。

 また、旧くは冬場の貴重なビタミン源として(外葉が凍結しても内部の可食部が確保されている)愛用され、遠洋漁業の漁船にも積み込まれるなど、本道の食生活を支える貴重な存在でした。

 そして、札幌大球は季節を知る道しるべとして、風物詩的な側面もあります。
 収穫期が10月末から11月上旬で、この時期になると市場や八百屋に札幌大球特設コーナーができ、山積みされていたと記憶されている方も多いのではないでしょうか。

 以上のことから、札幌大球は明治生まれ札幌選抜の伝統(世界で北海道だけという遺伝子的希少性)を誇り、古より現代につながる食文化、を形成してきた存在といえます。

 温故知新の概念の下、札幌の宝物として残していかなければならないでしょう。

 復活への道のり

 2014年、JAさっぽろが試験的に札幌大球の栽培を札幌市清田区で復活させました。
 これに呼応する形で、2015年、札幌大球応援隊が結成されました。
 作ったはいいが、誰が使うのか。。。いわゆる出口を探したのです。

 札幌市中央卸売市場でヒアリングしてみますと、札幌大球は家庭用だけで、業務用には使われていないよ!というものでした。

 キャベツを使う有力な業務用の産業って何があるんだろう?

 お漬物の北彩庵(北日本フード関連会社)、お好み焼の風月にこのプロジェクトの話を持って行ったところ、快諾。
 これで、札幌の畑と札幌の業者さんがつながり、消費者の食卓と一本の線になったわけです。
 フレームは出来上がりました。

 みんなで支えあうシステムを作らなければなりません。
 それが札幌伝統野菜「札幌大球」オーナー制度です。

 昔は漬物をつけたものですが、現代の生活では漬物は買うものになっています。
 北彩庵にその部分を担っていただきました。
 オーナーになっていただいた方には「札幌大球にしん漬け」となって初冬に送られるしくみです。
 毎年楽しみにされている方も多く、少しずつ根付いてきた手ごたえを感じています。

*http://sapporotaikyuu.fun/about/ より

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<漢字検定> 1級 読み 49.回答 50.出題

2021-04-15 07:17:52 | 漢字検定

 前回の回答

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 瘠地  -せきち-地味のやせている土地。やせ地。

 

 問2 頽廃 -退廃-たいはい-
 1 衰えてすたれること。くずれ荒れること。廃頽。

 2 道徳的な気風がすたれて健全な精神を失うこと。

 

 問3 抛棄  -放棄-ほうき-
 1 投げ捨ててかえりみないこと。

 2 自分の権利・資格などを捨てて行使しないこと。

 

 問4 爛脱 -乱脱-らんだつ-
 ① 書物の紙がいたんで、字句や文脈が通じなくなること。また、行文の序次が混乱して文意が通じないこと。
 ② 古代の漢文訓読法の一つ。訓読の際、原文の順序を入れかえて読み、文意を通じやすくすること。
 ③ 定められた順序を守らないこと。
 ④ (形動) 素行などが乱脈であること。また、そのさま。


 問5 閭門 -りょもん-村里の入り口にある門。里閭。

 

 今回の出題

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 邁往  

 

 問2 悃願  

 

 問3 翹望  

 

 問4 篋底  

 

 問5 紆余

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書  ・精選版 日本国語大辞典 より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 石川 七尾仏壇

2021-04-15 07:14:50 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「七尾仏壇」

 

 Description / 特徴・産地

 七尾仏壇とは?
 七尾仏壇(ななおぶつだん)は、石川県七尾市で製造されている仏壇です。北陸は、古くから浄土真宗が広く根付いた土地柄で、石川県には他にも、金沢仏壇や美川仏壇など、よく知られる仏壇の産地があります。
 七尾仏壇の特徴は、堅牢さと豪華さです。七尾のある能登地方は山間部が多いため、出来上がった仏壇は、山道を担いで運ばれていました。このため、過酷な運搬方法にも耐えうる堅牢な造りが求められたのです
。釘を使わないで組み立てる「ほぞ組み」という技法や、鏡板(かがみいた:本尊、脇仏の後板)と言われる部分を二重にした「二重鏡板」という独自の技法で、より頑丈な構造となっています。
 石川県は、古くから漆塗りや金箔などの優れた工芸品を生み出している地域でした。七尾仏壇にも、それらの技術が盛り込まれています。破風(はふ)は荘厳さを感じさせる「二重破風」で、金箔をふんだんに使い、青貝を多用した蒔絵が施されています。金沢仏壇が雅やかな雰囲気であるのに比べると、より豪華絢爛で荘厳な印象を与えます。

 History / 歴史
 七尾仏壇の歴史は、室町時代の初めにその端緒を見ることができます。当時、能登の守護職であった畠山氏は、細工所を作り、塗りや蒔絵、彫刻などの産業を保護しました。七尾仏壇の技術的な素地は、この頃に始まったと言われます。
 その後、1582年(天正10年)に前田利家が七尾城に入城した際には、さらに多くの職人が呼び寄せられました。1616年(元和2年)の加賀藩の記録には、塗師町通りという記載がみられ、七尾では仏壇店を「ぬしや」と呼ぶことを踏まえると、この時期にはすでに仏壇の職人町ができていたとみられます。
 能登地方には、七尾仏壇の材料となるアテやヒバが豊富にあり、湿度も漆塗りに適していました。祭が盛んで、神輿を作る技術が仏壇作りの技術と共通だったことも、七尾に仏壇産業が根付いた背景と考えられます。当時の七尾は能登の中心であり、浄土真宗が広く信仰されていた土壌とも相俟って、仏壇の需要もありました。このため、七尾は現在も仏壇の産地として確立されたのです。1978年(昭和53年)には、長い歴史と技術の高さが認められ、国の伝統工芸品の指定を受けています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/nanaobutsudan/ より

 荘厳重厚、能登の総合芸術、七尾仏壇
 石川県能登半島の東岸。七尾湾を望む七尾市で仏壇製造が行われ始めたのは17世紀後半といわれている。仏壇の製造には漆塗、金具、木彫など多くの種類の伝統工芸技術が必要である。

 
 “五職”で作る総合芸術
 「仏壇は彫り、木地、蒔絵、金具、塗り・箔・組立の五職、5人の作家で一つの物を作り上げる。言ってみれば“総合芸術”。」と語るのは塗り・箔・組立の職人で伝統工芸士、高沢秀晃さん。五つの職業の中でも、組立工程も担当する高沢さんはいわば“総合プロデューサー”だ。それぞれの職人の腕をよく知って仕事を発注する。高沢さんは高沢仏壇店の経営者でもある。店内にはたくさんのきらびやかな仏壇が並んでいて、荘厳な雰囲気が醸し出されている。「お仏壇はその家の核になるところに置く物だし、何代にもわたって手を合わせてもらうもの。そういうものを作ることに誇りを感じます。」この仕事を30年間続けてきた3代目のお仏壇職人、高沢さんの仕事への情熱だ。


 七尾仏壇の大きさは仏間の広さから
 全国から観光で近くを訪れた人が七尾仏壇を知って買い求めてくれるという。「七尾仏壇の特徴は、出須弥壇(でしゅみだん)など技術的に細かいところはいろいろあるけれど、全体が大きいというのも特徴的。」高さ2メートル幅1.4メートルを超えるものもある。その理由は「このあたりは仏間が広かったから。八畳間に置くとするとこれぐらいのものが必要になってきます。」見上げるような大きさの重厚なお仏壇を前にすると、まさに手を合わせたい気分になる。


 お仏壇の各部分の意味を読みとると興味がわいてくる
 「お仏壇は何も知らずに見てるとただ金ぴかなだけでしょ。でも、それぞれの部分で一つひとつちゃんと意味がある。そもそもどうしてこんなにきらきらしているのかというと・・・。」とお経(仏説阿弥陀経)を取り出して読み聞かせてくれる。「このお経の中に仏様の世界を描いた部分が出てくる。七宝や美しい池、そういうものが書かれていてお仏壇はその世界を表現している。」つまりこのきらびやかさは、仏様のおられる世界をそのまま民衆の家庭に再現しようとしたためなのだ。「また、須弥山(しゅみせん)という山を超えたところに仏様の世界があるとされていて、お仏壇の宮殿(くうでん)の下の部分がその須弥山を表しています。他にも、障子戸(しょうじど)に彫られている図柄は十六羅漢や二十四孝(にじゅうしこう)の一場面。二十四孝とは中国の二十四の孝行者の話を表現したもので、たとえば“寒中筍掘り”は病気がちの母親が筍を食べたいといったので、まだ寒い時期に筍を掘るという話。こういうことが読みとれるようになるとお仏壇が面白くなってくる。」
 5つの伝統工芸技術の集大成としての総合性にあわせて、さらに仏教の広く深い物語性までお仏壇には集約されている。


 奥深い世界の扉
 お仏壇全体を考えたときには、扉の蒔絵や障子戸の彫り物などの図柄の配置にも気を配らなければならないという。「獅子を彫るにも人(の彫り物)よりも上の方にあるとおかしい。でも鳥は空を飛ぶから上にあってもいい。例えばここに動物を彫ればその下には山水、上には天女がいいといったことまで組立ての職人が考えなければなりません。」このあたりもまさにプロデューサーの腕の見せ所だ。
 お仏壇の組立職人、高沢さんの仕事は、例えてみれば映画監督のようなものかもしれない。映像、音声という技術的なものはもちろんストーリーも任されている。
 それにしても、日本人ならばだれもが手を合わせたことがある身近なお仏壇に、これほどまで奥の深い世界が広がっていようとは想像すらできなかった。
「そもそもお仏壇は仏様をまつるおめでたいもの。核家族などで“うちはまだ人が死んでいないからいらない”というのは本当は違います。」お仏壇というものが育まれてきた文化の一端を、高沢さんのお話からうかがうことができた。
ぜひ一度、家のお仏壇をよく観察してみることをおすすめしたい。きっと、お仏壇に手を合わせることがあなたの心の支えになることだろう。


 職人プロフィール

 高沢秀晃 (たかさわひであき)

 「お仏壇の一つひとつの意味がわかると面白くなる」と高沢さん

 25歳から30年間、七尾仏壇の塗り・箔・組立を行う。伝統工芸士。


 こぼれ話

 一口にお仏壇を作るといっても、さまざまな伝統工芸技術が必要。七尾では五職(五つの職、五人の職人)といわれます。
 そのうちの木彫りの職人が米村正勝さん。お仏壇の障子戸などにはめ込まれる彫り物を作っています。仕事に必要な多くのノミが作業台に整然とならべられている様子は圧巻。「今やっているお仏壇のような小さな彫り物に使うノミだけで70本ぐらい。他にもお寺などの大きな仕事だと、別のノミがいる。これだけあると、とにかく手入れがたいへん。とくに梅雨時は油断すると錆びてしまうから気をつけています。」
 道具の管理がきちんとできて一人前の職人、とはよく言われること。仕上がった品だけを見ていてはなかなかわかりませんが、目の前に並んだノミを見て、その意味が実感できました。使い込まれた道具だけが持つ艶が美しい。

*https://kougeihin.jp/craft/0807/ より

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