いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

今度は「警察官」って!?-小学生・男子のなりたい職業

2021-04-03 17:42:33 | 米屋の親父のつぶやき

 また何かおかしなアンケートが・・・

 男の子の1位は「警察官」、調査開始以来初 女の子の1位は「ケーキ屋・パン屋」、23年連続
 2021年版 新小学1年生の「将来就きたい職業」、親の「就かせたい職業」 株式会社クラレ2021年4月2日 13時16分

 ランドセル素材などに幅広く使用される人工皮革〈クラリーノ®〉を製造・販売する化学メーカーの株式会社クラレ(本社:東京都千代田区、社長:川原仁)は、この春に小学校に入学する子どもとその親を対象にアンケートを実施し、「将来就きたい職業」「就かせたい職業」を調査しました。
 男の子の将来就きたい職業は、1999年の調査開始以来、初めて「スポーツ選手」が2位に下がり、「警察官」が1位となりました。3位は「消防・レスキュー隊」で、人々の安全を守る仕事に注目が集まりました。

 女の子の将来就きたい職業は、23年連続で「ケーキ屋・パン屋」が1位でした。同じくスイーツ系の「アイスクリーム屋」も、6位から5位に順位を上げました。「警察官」は女の子でも6位に入り、男女問わず人気が高まっています。

 子どもに就かせたい職業は、男の子の親は「公務員」、女の子の親は「看護師」が1位となりました。男の子の親は「公務員」が4分の1を占め、2位「会社員」も過去最高の比率に。新型コロナウイルス感染症による不安定な世情を反映してか、我が子の将来に堅実と安定を願う気持ちが強く表れました。女の子の親は、トップ5のうち4つが医療職です。今年も資格・専門性を求める傾向が見られました。

*https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000025.000030817.html より

 

 これどこまで信頼性のあるアンケートなんだ?と首をかしげてしまう。

 どこか間違っているような気がするのだが・・・

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<言 葉> マンボウ 追記あり-4/3

2021-04-03 17:37:18 | 米屋の親父のつぶやき

 「マンボウ」

 「マンボウ」という言葉がたびたび流れてくる。

 また「コロナ関連」の新しい言葉である。

 「一般名詞」である「マンボウ」であり認知度は高い。

 

 

 「マンボウ」とは、「まん延防止等重点措置」の略称である。

 なのに「単に言葉遊び」のように「マンボウ」は使われた。

 言葉の使い方を間違っているような気がするのだが・・・

 

 追記:本日、政府分科会会長が今後「まん防」という言葉は使わないと。

 ようやく「言葉遊び」をやめるようだ。

 ちょっと遅すぎない?すでに「認知」された言葉をどうするつもりなんだ?

 また「違う言葉」を創出するのか?

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<苺> 淡雪

2021-04-03 08:16:01 | 食品

 「淡雪」

 淡雪の特徴
 「淡雪(あわゆき)」は白いちごの1つで、果皮が白みがかった淡いピンク色をしています。果肉は白~淡い橙赤色で、果実はやや大きく縦長の円錐形。果皮がかためなので輸送性は良好です。

 白いちごは甘くないと思われがちですが、淡雪はほどよい甘味があり、酸味がおだやか。見た目がかわいらしくて、いちごに白い雪がふわふわと降り注いだような外観は、淡雪という名前にピッタリです。

 鹿児島県で誕生
 来歴については不明ですが、鹿児島県の山下氏が育成して、2013年(平成25年)に登録されています。なお過去には、育成経過の概要として「さがほのかの変異株」という情報がありましたが、2019年8月時点ではこの情報は削除されたようで見つけられませんでした。

 淡雪は鹿児島県をはじめ、佐賀県や奈良県、熊本県など各地で栽培が行われています。出荷シーズンは12月頃から4月頃です。

 果肉の中まで色づくのが特徴
 ちなみに、淡雪に似ている品種に「桃薫(とうくん)」があります。こちらは農研機構が育成した白いちごで、淡雪より2年早い2011年(平成23年)に品種登録されています。果皮は淡雪と同じく淡いピンク色をしていますが、桃薫は熟しても果肉が白いままなのに対し、淡雪は成熟すると果肉の中がほんのり淡赤色に染まりす。

 淡雪の選び方(見分け方)
 へたが青々として新鮮さがあり、果皮に張りのあるものを選びましょう。淡雪は果皮が薄いピンク色をしているので熟度の状態がわかりにくいですが、へた付近まで淡いピンク色に染まっていて、甘い香りの漂うものを選びます。

 へたがしおれていたり、果皮に傷みや変色が見られるものは避けます。

*https://www.kudamononavi.com/zukan/strawberry/awayuki より

 

 

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<言 葉> 春の言葉 桜狩り

2021-04-03 07:39:21 | 言葉

 「桜狩り」

 桜の花を訪ねて巡り、観賞する事、また単に花見をする事。昔の詩人は、桜狩りをして和歌を詠んでいたのでしょうね。

*http://goinjapanesque.com/ja/09122/ より

 

 「紅葉狩り」はよく使われるが、「桜狩り」という言葉があるなんて。

 ただ「桜狩り」という言葉は、「花見」に置き換えられてしまったとも。

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-プラシド・ドミンゴ

2021-04-03 07:32:13 | MUSIC

 「プラシド・ドミンゴ」

 1941年1月21日生まれの80歳

 

 【SPICE独占】30年前の「三大テノール」がいまもバリバリの現役 プラシド・ドミンゴの七不思議  2019.12.27

 2020年1月28日(火)東京国際フォーラム ホールA、1月31日(金)サントリーホールにて『プラシド・ドミンゴ プレミアム コンサート イン ジャパン2020』が開催される。プラシド・ドミンゴが日本で初めてのコンサートを開催してから33年。コンサート開催に寄せ、オペラ評論家・香原斗志氏からの特別寄稿文をSPICE独占でお届けする。

 驚異のスケジュールをこなす78歳
 「世界三大テノール」は日本でも大ブームを呼び起こした。1996年、先ごろ竣工した新しい国立競技場の前にあの地にあった国立霞ヶ丘競技場でコンサートが行われたときは、最高席は7万5000円もするが6万枚も、あっという間に売れてしまったのである。

 ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスの「三大テノール」が初めて集まったのは1990年7月のこと。サッカーのW杯イタリア大会の決勝前夜、ローマで一緒にコンサートを行ったのだが、これがCDになり、レーザーディスク(当時)になり、テレビでも放映され、4年後のアメリカ大会で再び行った映像と合わせれば、世界で10億人以上が視聴したというから、3人が有史以来最も多くの人が歌声を聴いたオペラ歌手であるであるのは間違いない。

 だが、1990年はもう30年前。その時点で3人のテノールは功成り名を遂げており、だからこそ「三大」と銘打つことができたのだ。もはや遠い過去のできごとで、事実、パヴァロッティは2007年に亡くなり、3人の若大将だったカレーラスもオペラの舞台からはとっくに遠のいている。ところが、1990年の時点でもうすぐ50歳に手が届こうとしていたプラシド・ドミンゴ(1941‐)は、まだバリバリの現役なのだから驚くほかない。

 ドミンゴといえば先ごろ、過去にセクハラを受けたという女性数人が訴え出て騒動になった。ドミンゴ側は告発内容を否定しており、ヨーロッパでは概ねドミンゴの主張が受け入れられているが、たとえばニューヨークのメトロポリタン歌劇場(MET)で予定されていた役はすべて、「共演者に迷惑がかかってはいけない」として降板した。事の真偽はともかくとして、ドミンゴはもうすぐ79歳である。世界を代表する歌劇場であるMETで何公演にも出演する予定だったという事実が、そもそも驚異的だ。

 しかし、もっと驚異的なのは、アメリカの歌劇場への出演を取りやめてもすき間ができないスケジュールで、2020年のオペラへの出演予定を列挙すると――。1月にベルリン州立歌劇場で「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」、3月~4月にハンブルク州立歌劇場で「シモン・ボッカネグラ」、4月にマドリッドのサルスエラ劇場で「ルイザ・フェルナンダ」、5月~6月にマドリッドのレアル劇場で「ラ・トラヴィアータ」、6月にウィーン国立歌劇場で「ナブッコ」、6月~7月に英国ロイヤル・オペラで「ドン・カルロ」、7月にミラノ・スカラ座とフィレンツェ5月音楽祭で「ラ・トラヴィアータ」、バイエルン州立歌劇場では「ナブッコ」、8月にザルツブルク音楽祭で「シチリアの晩鐘」、11月にスカラ座で「ラ・トラヴィアータ」……。

 しかも、各公演とも主役ばかりで、1演目につき数回は歌うのが普通だ。その間に指揮もすればコンサートをこなす。78歳でこれだけの仕事をこなしたオペラ歌手は、400年を超えるオペラの歴史のなかでもほかにいないはずだ。もはや世界七不思議の領域であろう。

 若い歌手を圧する歌の力と存在感
 そして、スケジュールの合間を縫って、日本でも1月28日に東京国際フォーラムのホールAで、31日にはサントリーホールでコンサートを行ってくれる。相手役に、スカラ座のプリマドンナとして活躍するソプラノのサイオア・エルナンデスが選ばれたのも嬉しい。

 ドミンゴは昔から「休むと腐る」をモットーに活動している旨は聞いていた。しかし、一般には歳を重ねるほど、腐らないためにも休む必要があるのが普通だろう。オペラ公演で主役を歌うのは相当な体力を必要とするし、若い歌手でも、体のほかに声を休ませるためにもスケジュールに余裕をもたせる。一方、若い歌手以上に予定をぎっしりと詰め、その間にコンサートまでやってくれるドミンゴ。ありがたいが、摩訶不思議な存在であり、高齢社会の理想でもある。

 ちなみに、ドミンゴは「三大テノール」の時代から高音はあまり得意ではなく、現在ではバリトンの役ばかり歌っている。とはいえドミンゴの場合は、昔の名前で出ているかつての名歌手ではない。若い歌手と対等に渡りあうどころか、若い歌手を圧する存在感を示す現役の歌手なのだ。今年、ミラノ・スカラ座でドミンゴがジェルモン役を歌う「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」を観たが、堅固なフォームで歌い、声量も十分で、日ごろはほかの歌劇場とくらべても冷たいスカラ座の観客が万雷の拍手を送り、終演後はカーテンコールでドミンゴを何度も呼び出した。

 世界で十数億人が視聴した「三大テノール」のドミンゴ。国立競技場に集まった観客を熱狂させたドミンゴ。それがいまなお、一流の歌手として健在で、とっくに功成り名を遂げてはいたが、さらに名声を重ねている。そういう存在を目の当たりにする機会は、きわめて貴重である。

文=香原斗志(オペラ評論家)

*https://spice.eplus.jp/articles/263241 より

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<日本酒> 長野 水尾/田中屋酒造店

2021-04-03 07:27:32 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(関東信越国税局)】
 〈長野〉 水尾/田中屋酒造店

 

 蔵の方針

 基本に忠実に手造りにこだわる

  良い水を使い、良い米を使い、そして基本に忠実な良い造りをする。こうしてできたあたりまえに良い酒を、お客様にあたりまえに楽しんで頂きたいと考えております。
 小さな蔵でこそできる事を大事にし、原料処理は全量限定吸水、麹は全量箱麹による手造り、仕込みの単位は、均一な温度管理の可能な1500kgまでとしております。

 蔵の環境

 奥信濃の自然に恵まれて  
 長野県の北のはし、奥信濃 飯山 の旧町内に当蔵があります。冬は2mをこえる積雪のある豪雪地帯であり、酒造りは雪におおわれた蔵の中で行われます。造り水は15kmほどさらに北へ向かった水尾山の湧水を運搬し仕込の全量に使用しています。雪国飯山の趣向を良く知る地元の社員・蔵人によって、年間約700石を生産します。まさしく奥信濃の自然の恵みによって酒が造り出されます。

 仕込水

 奥信濃の自然に恵まれて
  仕込水は全量 野沢温泉村 「水尾山」のふもとより湧き出る天然水をトラックで運搬して使います。「水尾」という名には水の源という意味があると言います。その名の通り、一年を通して豊富に湧き出る水は、飲んで甘さと透明感を感じるまさに名水です。当蔵の製品はこの水ならではの特長を生かし、香り・味ともに良質で、しかも残らない後切れの良い味わいを実現しております。


 杜氏・蔵人

 地元 飯山杜氏と蔵人
 酒造りは麹と酵母という生き物を相手にする仕事です。基本に酒造りは麹と酵母という生き物を相手にする仕事です。基本に忠実な酒造りを行うには、造り期間中生活を共にした酒造りを行わなければなりません。ゆえに、あたりまえの酒造りは生活を共にできる人によって造られるべきだと考えます。地元飯山杜氏と蔵から車で15分ほどの近くに住む社員・蔵人たちが協力して早朝・深夜の作業をこなし、酒を醸します。

 原料米

 良質な長野県産米
  原料米は長野県産の酒造好適米を基本的に100%使用し、さらにその約95%が蔵から5Km圏内で栽培されている契約米となっています。この地域ならではの「地酒」という意味で、長野県の開発品種である「ひとごこち」(飯山産)と全国的にも希少品種である地元木島平村産の「金紋錦」の2品種を使っています。地米を使った個性ある味わいの地酒を発信したいと思っております。


 株式会社田中屋酒造店 長野県飯山市大字飯山2227

 ラインナップ

 「水尾」純米大吟醸・特別純米酒 金紋錦仕込み・純米吟醸・辛口吟醸・辛口 など

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<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 99. 山形ラ・フランス

2021-04-03 07:05:34 | 食品

 登録番号 第99号 山形ラ・フランス

 特定農林水産物等の区分 第1類 農産物類 果実類(なし)
 
 特定農林水産物等の生産地  山形県
 
 登録生産者団体  山形県「ラ・フランス」振興協議会
 
 特定農林水産物等の特性  剪定・摘果の栽培管理や追熟の期間を踏まえた適切な時期での出荷が地域で徹底されているため、ち密な果肉、果汁の多さ、独特の芳香で食味が良いというラ・フランス品種の特有の品質が存分に発揮され、且つそのバラつきも小さい。
 
 地域との結び付き  1980年代から、県は生食用としてラ・フランスの生産振興を図り、官民一体となって栽培技術の開発に取り組み、1988年に、山形県立園芸試験場(現在の山形県農業総合研究センター園芸農業研究所)が、後の出荷の基準日設定の基礎となる収穫期の予測や産地追熟の技術を確立した。果実が病害に感染しやすい6~9月の降水量が他の産地より比較的少なく、果実に養分が蓄積される8~9月の日較差が9.4~10.3℃と大きい山形県は、日本のラ・フランス産地の中でも適地にあたる。

*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i99.html より

 

 全国のシェア6割を誇る山形県産「西洋なし」

 西洋なし王国やまがたの女王「ラ・フランス」
 色や形がふぞろいで、決して見栄えが良いとは言えない「ラ・フランス」。ところが、食べてみると驚くほど上品でとろけるようなおいしさ!今や各地で盛んに作られる西洋なしだが、このブームの火付け役になったのが、山形県のラ・フランスだ。ただ、脚光を浴びるまでには、長い歳月を要したという。そのシンデレラストーリーをさぐってみよう。
 そもそも西洋なしは16世紀頃からドイツ、イギリスで栽培されはじめ、18世紀のイギリスで代表的品種「バートレット」が発見される。これが明治初期、日本に伝わった。山形県では、古くからのなし産地である東置賜郡屋代村(現在の高畠町)で、1875年に栽培を始めたとされる。
 しかし当初は、実ったはずの果実を食べても、石のように硬くてまずい。「食べられないので捨てておいたら、時間が経って黄ばんで香りがしてきた。拾って食べるとおいしく、収穫後に熟させることに初めて気づいた」という笑えない記録がある。
 また、屋代村の古文書には、「明治42年、皇太子(後の大正天皇)行啓の折に和梨を献上したところ大いに喜ばれ、金一封とバートレットの苗を賜わった。これが本県の西洋なしの歴史のはじまり」という内容もある。あれこれ推察すると、明治初期に西洋なしは栽培されていたが、皇太子行啓をきっかけに、山形での西洋なしづくりが一気に広まったと考えられそうだ。
 その後バートレットは、缶詰加工用として盛んに作らたが、このバートレット畑に細々と植えられていたのが、当時は受粉樹の身だったラ・フランスだ。ふつう果樹は、単一品種だけでは受粉しづらいため、違う品種を受粉樹として畑に入れ、実を結ぶ確率を高めるという栽培手法をとる。
 ラ・フランスは1864年、フランスのクロード・ブランシュ氏が発見。そのおいしさに「わが国を代表するにふさわしい果物!」と賛美し、ラ・フランスの名前がついたという。日本には1903年、山形県には大正初期に入ったものの、見た目の悪さや栽培の手間から、受粉樹に利用されるだけだった。
 しかし1970年頃から缶詰より生のフルーツの需要が高まり、生食のラ・フランスに注目が集まる。別名「バター・ペア」と呼ばれ、特有の芳香と、果汁がしたたるなめらかな肉質。当初は高価で少量が出回るだけだったが、グルメブームの到来で、一般にも広まった。
 ラ・フランスは、開花は早いのに収穫が遅く、生育期間が長いために手間がかかる。山形県では土づくりから剪定、摘蕾・摘果、収穫、追熟など官民一体となり研究努力を進め、1985年頃までに生産体制を確立させた。

 「ラ・フランス」は当初、生産の主役であった「バートレット」の結実を助ける受粉樹として導入された。見かけの悪さもあって裏方に甘んじていたが、大変に美味であることは栽培者の間で知られていた。

 いいとこずくめの新品種「メロウリッチ」
 山形県は西洋なし王国として、さらなる品種の改良や開発を推進してきた。そして今一番に注目されるのが、県オリジナルの新品種「メロウリッチ」だ。ラ・フランスより開花が1~2日遅く、収穫は9月下旬頃の中生種。糖度が約16~17度と非常に高い上、肉質はち密かつなめらかで、香りも芳しく、口に入れると十分な果汁とともに濃厚なおいしさが広がる。まさにメロウでリッチな食味だ。
 もうひとつ、メロウリッチの姉さん格として人気なのが、山形県オリジナル品種の「バラード」だ。ラ・フランスとバートレットをかけ合わせたもので、特長は一個450g前後と大玉な上に、糖度が15~17度と高く食味に優れる。また、ラ・フランスを親にして生まれた「シルバーベル」は、10月下旬頃に収穫でき、日持ちが良いため、クリスマス時期に食べるのには、ピッタリな品種である。県内では他に、少量ながら多彩な品種が栽培され、旬の時期、産地直売所を見て回るのも一興だ。

 とろける甘さを作る「追熟」見極めたい「食べ頃」
 さて、収穫してから熟させる「追熟」のメカニズムはこうだ。もぎたての西洋なしは2%ほどのデンプンと、クエン酸などの酸を多く含む。これを時間をかけて追熟していくと、デンプンが果糖やショ糖、ブドウ糖などの糖分に分解され、ビタミンBやCも増加する。また果肉中のペクチンが水溶性のペクチンに変わるため、肉質はとろけるようになめらかな状態になるのだ。追熟の期間は、ラ・フランスなどでは常温で2~3週間。
 食べ頃は、果皮の色で分からない場合は、軸の周囲に盛り上がっている「肩」と呼ばれる部分を指で押し、耳たぶぐらいの柔らかさだったらOK。ただし、店先の商品を指で押すのはマナー違反、店員に確認しよう。
 産地では、西洋なしの食べ頃を分かりやすくするため、出荷ケースごとに「予冷」をかけるのが一般的だ。収穫直後に2~5度の低温貯蔵庫に入れ、10日間ほど呼吸作用を抑制する。これを常温に戻せば一斉に呼吸を始め、デンプンが糖分に変わる。約2週間後が食べ頃となる訳だ。
 西洋なし生産量で全国トップを独走する山形県。山形発の西洋なし文化が、日本中を魅了しようとしている。

*http://www.yamagata.nmai.org/crops/umaimono/fruit/lafrance.html より

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<漢字検定> 1級 読み 37.回答 38.出題

2021-04-03 06:50:45 | 漢字検定

 前回の回答

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 


 問1 茣蓙  -蓙-ござ-藺草 (いぐさ) の茎で編んだ敷物。うすべり。

 

 問2 篩骨 - しこつ-頭蓋骨 (とうがいこつ) で、眼窩 (がんか) と鼻腔の一部をつくる骨。多数の小腔がある。

 

 問3 贍給 - せんきゅう-恵み与えること。

 

 問4 謗毀 - ぼうき-けなすこと。そしること。 

 

 問5 壅塞 -ようそく-ふさぐこと。また、ふさがること。

 

 今回の出題

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 聾唖  

 

 問2 逼迫  

 

 問3 蹈襲  

 

 問4 懿徳  

 

 問5 瑕釁

 


 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書 ・精選版 日本国語大辞典より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 富山 高岡銅器

2021-04-03 06:42:52 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「高岡銅器」

 Description / 特徴・産地

 高岡銅器とは?
 高岡銅器(たかおかどうき)は、富山県高岡市周辺で作られている銅器です。室内置物や仏具、花器などの小物から、梵鐘(ぼんしょう)や仏像、銅像といった大物まで様々な物があります。
 高岡銅器の銅器販売額・銅器生産量ともに、国内でトップクラスと言えます。全国にある、まちおこしの一貫として置かれているアニメキャラクターの銅像の多くも高岡銅器のため、知らず知らずのうちに見かけている方も多いかもしれません。海外への輸出もさかんで、輸出先の国々から高い評価を得ています。
 高岡銅器の特徴は、職人の熟練した手業を駆使した鋳造技術(ちゅうぞうぎじゅつ)と「研磨・彫金・象嵌(ぞうがん)」といった加工技術が施されていることです。技術の融合が豊かな表現を生み、発展してきました。
 高岡銅器の力強いさと繊細さ、しなやかさを備え持った造型は見る人の心を惹き付け、時が経つにつれて表情に深みが生まれるように作られおり、経年変化を楽しむことが可能です。

 History / 歴史
 高岡銅器 - 歴史

 高岡銅器の起源は、今から400年以上前の江戸時代に遡ります。1609年 (慶長14年)、加賀藩二代目である藩主・前田利長が高岡城入城しました。その際、城下の発展を図るために、1611年(慶長16年)に高岡市に7人の鋳造師を迎え入れたことが始まりです。
 鋳造師たちを中心にして鋳物工場を現在の高岡市金屋町につくり、最初は農具や鍋など日用品の鉄器を生産していました。その後銅器生産がはじまったのは、天保・弘化(1830年~1848年)頃だと言われています。
 明治時代には、オーストリアやロンドン、パリなどヨーロッパで開催された万国博覧会に高岡銅器が多く出品され、ジャパネスク旋風を巻き起こしました。明治・大正時代に置物や茶道道具などの生産が盛んになり、全国に美術工芸品として高岡銅器が認知されると、ギフト需要が高まり発展を遂げます。
 1975年(昭和50年)には、日本初の国の伝統的工芸品産地として指定されました。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/takaokadoki/ より

 金・銀・銅の合金が織りなす美しさ 高岡銅器
 高岡銅器の産地は分業化が進んでおり、原型・鋳造・仕上げ・研磨・着色・彫金・象嵌(ぞうがん)などの分野でそれぞれ連携を取り合って製品を作っている。今回は、合金の美しさをうまく生かす象嵌師の方に話を伺った。

 
 親の仕事を手伝って
 鳥田宗吾(とりたそうご)さんは昭和15年生まれ。父親が高岡銅器の象嵌(ぞうがん。素地に溝などを彫り、その形に合わせて他の金属をはめ込むこと)の仕事をしていた関係もあり、子どもの頃から銅器の制作現場で仕事を手伝っていた。中学卒業と同時に親元で修行を始める。親が象嵌時に合金を使っているのを見て、合金の魅力にとりつかれ、以来約45年、高岡銅器の制作に携わってきた。「象嵌は手間がかかるから誰もやらん。でも私はやる。」鳥田さんがこう語るのには訳がある。「高岡にはとにかく細かい細工ができる技術があり、そういう細工をすることが高岡銅器の特徴ではないでしょうか。」高岡銅器に対する誇りと、伝統の技を受け継いでいる使命感が感じられる。
 
 金属の色の違いだけで色彩を表現
 鳥田さんが得意とする象嵌は、土台となる銅に溝を彫り、そこに金や銀などの金属を入れる。「メッキと違い、一度入れたら絶対に取れない。」と鳥田さんは力を込める。一見すると金色や銀色の細い線がただ描いてあるだけのように見えるものが、象嵌によって金属が埋め込まれていると分かったときには、本当に驚くばかりである。さらに驚くことに、描かれた絵はどれもきれいな色が付いているが、その色は金属が持つ色だけで表現されているのである。「金に銀を混ぜると青金、金に銅で赤金、銅に金で赤銅、銅に銀で四分一」など合金の種類によって色が変わるのである。「作っているときはそんなに色の違いはないんです。最後に薬品に入れて酸化させるとパッと色が出てくる。その時が一番楽しいですね。」と鳥田さんは目を細めて語った。
 
 アイデアは自然を見て
 鳥田さんは飾り皿や壺、香炉などに絵を描き、それを象嵌で表現する。その図柄を考えることから仕事の内である。「最近は魚のサヨリを題材にいくつか描いたけど、これは釣りに行った時にサヨリがエサに群がる様子が面白くて図柄にしたんです」と作品を見せてくれた。サヨリが群でぐるぐると回っている絵が生き生きと描かれている。島田さんの作品を見ていると「金属=冷たい」というステレオタイプは打ち崩されてしまう。「絵ができたらほとんど完成です。後はこつこつと象嵌するだけ。」と語る鳥田さん。高岡銅器の象嵌には絵を描く技術も高いレベルが要求されるのである。
 
 現物を見れば分かる
 「まあ、一つ作るのに3~4カ月はかかるかな。」それだけに一つの作品の値段は高い。しかし「現物を実際に見てもらえれば、その良さは分かると思います。決して高すぎることはありません」と自分の仕事に自信を持っている。銅器生産が全国シェアの90%を占める高岡は、その技術も他の追随を許さない。高岡のなかで揉まれて付けた自信は、実績が裏打ちされているので心強い。特に合金技術とその色を引き出す酸化技術に関しては、他の産地ではまねができないといわれている。
  
 心にゆとりを
 「私が作っているようなものは、ちょっと心にゆとりがないと手が出ませんわな。でも興味がある人はいつでも見に来て欲しい。見ないと分からないことが多いから。」鳥田さんの最近お気に入りの色は「緋金(ひきん)」。淡い赤みを帯びた金に近い銀色と表現すればいいのだろうか。不思議な柔らかい色をしている。これがまさに「見ないと分からない」ものである。この色はぜひ、心にゆとりを作り、直接自分の目で見た方がいい。

 こぼれ話

 象嵌(ぞうがん)の秘密

 土台となる銅に溝を彫って、そこに金や銀の金属を埋め込む象嵌の技術は大変高度なもの。象嵌された部分の断面図をとったとすると、溝の底の部分が広く口のほうが狭くなっていて、その溝に金や銀が埋まっているのです。職人さんが「絶対に取れない」というのもわかりますね。さらに、埋め込まれた金属の上に重ねて埋め込むこともあり、これを「鎧象嵌(よろいぞうがん)」といいます。 金属の埋め込みが終わると最後は薬品に浸けて酸化皮膜を付け、色を付けますが、このとき重要な役割を果たすのが大根おろし。薬品に浸ける前に大根おろしで全面を洗うと金属の色がきれいに出るのだそう。一体誰が発見したのでしょうか。先人が試行錯誤を繰り返したことが想像できます。

*https://kougeihin.jp/craft/0708/ より

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