いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<苺> Xベリー

2021-04-09 08:18:36 | 食品

 「Xベリー」

 日本で唯一のいちご 「Xベリー」 (福島県産)

 福島県のある地域で作られているこのいちご。

 日本で唯一、ここでしか栽培されていない幻の品種で、名前を「Xベリー」(エックスベリー)といいます。

 大量生産の逆を行く、手間ひまをかけて育ててるイチゴのため、少量しか作ることができないそうです。

 11年の年月をかけて研究されて完成したこの「味」は、口こみだけで広がり、今では、各界の有名人、著名人のご予約でいっぱい!

 栽培されている数が本当に少ないため、最初は「売れません!」と断られました。

 しかし、当店のお客様のために少しだけでも・・・とお願いを続け、実に2年の歳月をかけて、よ~やく生産者の方から販売の許可をいただきました。

 たいへん貴重な品のため、不定期販売の商品です。他ではけして手に入らない幻のイチゴ「Xベリー」を、どうか皆様の目で、舌で、五感で味わってくださいませ。

*https://www.rakuten.ne.jp/gold/aionline-japan/iframe2/ctg/win_furu.html?scid=af_pc_etc&sc2id=af_115_1_10000448 より

 
 くちの中でつぶれる時の、その食感!

 とろりととろけるようなシルクの舌触りとジューシーな果汁が広がり、幸せな気持ちになります。

 この美味しさの証拠は、中までまっかっかの果肉!

 市販のイチゴと比べると、その違いは一目で分かります。

 (普通のいちごって、中は意外と白いんです。)

 大きく、甘く、みずみずしいのに水っぽくはない、ぎゅ~っと詰まった肉質。

 そして濃厚な味!
 そのコクの深さが、この色にも表れています。

 キメの細かい果肉が生み出す味の違いに、いちごを口にに入れたとたん驚きます。

 一目で、一口でわかってしまう、市販のいちごとは全く違う味の深みです。

 この味、肉質の秘密は、「おしん栽培法」とつけられているオリジナル栽培法。

 「おしん」のごとく、強く、たくましく、自らの生命力の強いいちごに育てるための独特の栽培方法です。

 そのため、葉っぱは低く、根がはり、水を極限まで与えないので、実がみずっぽくなく、絹のようにきめが細かいのです。

 詳しい栽培方法は極秘…とのことですが、太陽エネルギーを最大限活用し、いちご自身の力で実に最大限、おいしさを集積させているとか。

 理想の肉質・味を出すために、教科書にはのっていないオリジナル栽培方法を研究し続け、完成させるまでに、実に11年間もの歳月がかかっています。

 こうして、日本でたった一つの幻のいちご、「Xベリー」が誕生しました。
Xベリーを食べた方の中でも、「いちごって、こんな味だったの!~」

というご感想が、最も多いそうです。

 いちご好きの方には、特にわかるその違い。
 いちごの概念が変わる!とおっしゃる方もいます。

 いちごが本来持っている味を極限まで引き出した、宝石のように貴重なフルーツです。

 ほんの僅かな量ではありますが、日本でもここにしかない秘密のいちごです。どうぞお楽しみ下さい♪

*https://www.aionline-japan.com/item/itemgenre/sb009/ より

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<言 葉> 春の言葉 春意

2021-04-09 08:12:17 | 言葉

 「春意」

 「春意-しゅんい」とは、春めく気配。また、春ののどかな気分。

 窓の枝揺るるは春意動くなり/富安風生

*goo辞書 より

 春の季語でもあり、「春のおもむきを楽しむ心である。春の野山と一体になった心でもある。」という意。

*http://kigosai.sub.jp/kigo500g/196.html より

 またもう一つの意味がある。

 「男女間の欲情。色欲。」

 どうしても「春」という言葉にはそういう意味が含まれることが多い。

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-さとう宗幸

2021-04-09 07:52:58 | MUSIC

 「さとう宗幸」

 1949年1月25日生まれの72歳

 【特別インタビュー】歌手・さとう宗幸さん ~故郷、仙台で生まれた名曲たち~ 2020/11/26 

「広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず」―仙台のご当地ソングとして多くの人に愛されており、JR仙台駅新幹線ホームの発車メロディとしてもなじみ深い「青葉城恋唄」。この曲を皮切りに、長年歌手として活躍し続けているさとう宗幸さんに、これまでの人生を振り返り、仙台への想いを語っていただいた。

 

―歌手としてデビューされた経緯は

 歌を作り始めたのは、僕が高校1年生で、ベトナム戦争が激化していた時期です。僕と変わらない年齢の子どもたちが、毎日何千人も戦死している状況が、連日報道されていました。ちょうどその頃はフォークソングの台頭期で、反戦歌を歌うシンガーの影響を受けて、日本でもそういった歌を作る人たちが増えていたんだよね。僕もそのうちの一人として、戦争や戦争をよしとする社会を批判する歌を作り始めました。そして大学4年生になった頃、歌声喫茶に出会い、歌声リーダーのバイトを始めました。

 歌声喫茶では、お客さんみんなで、歌を歌って楽しみます。歌声リーダーは、一緒に歌いながら司会進行をする役割です。

 僕は最初客として店に行っていたんだけど、オーナーにこのバイトを勧められて。歌うことが大好きだったから、一も二もなく引き受けました。今思えば歌声喫茶が無かったら、歌うことを仕事にする道は無かったと思うね。

 でも結局、大学卒業後は周りに合わせて就職し、東京に行きました。歌はきっぱりやめるつもりだったんだけど、歌から離れるほどやっぱり歌いたい思いが強くなるんだよね。

 そんな時、関東のラジオ局の方から、ラジオに出てみないかというお誘いを受けました。実は、歌声リーダー時代に、自主制作でレコードを作っていたんです。歌声喫茶で歌った「岩尾別旅情」という曲が、ありがたいことに非常にお客さんに好評で、その評判がラジオ局の方に伝わったことがきっかけでした。ラジオを通して自分の歌が世に出た時、それが歌をなりわいとして生きていこうと決めた瞬間でした。

 

―デビュー後の活動は

 歌手は非常に厳しい世界で、デビューしても活躍し続けられる人はごくわずか。生活していくためには、やはり仙台で活動するのが一番確実だろうということで、歌声喫茶に戻り、毎日50曲ほど歌っていました。

 歌声喫茶では、ビブラートなんかをかけて、技巧をこらして歌おうとすると、お客さんに「なんだよ、格好つけて」って言われてしまうんですよ。窓をビリビリ震わせるくらいの大きな声で歌う方がうけるんです。そのせいで一度、喉を壊してしまって。お医者さんから、1週間声を出すのを休まないと、一生声が出なくなると言われてしまいました。曲作りや歌い方は独学ですが、歌声喫茶で過ごしたあの期間に鍛えられました。

 

―歌手活動の苦労は

 自分で作った曲が増えてからは歌声喫茶をやめて、コンサート活動を始めました。でも、少し仙台から離れると、僕は全然知られていないんです。一番ひどいときはお客さんが2人しかいなかったんですよ。そのお客さんも、たまたまライブがやっていたからのぞいてみただけで、他にお客が来たら帰ろうと思っていたって言うじゃないですか。

 それではライブハウス側は赤字なんですよね。でもオーナーは快くライブをさせてくれて。とてもありがたかったし、売れて、ライブハウスの方に恩返しをしたいと思いました。

 

―さとうさんにとって仙台はどんな場所ですか

 やっぱり住めば都だね。特に仲の瀬橋のあたりが好きです。学生の頃はよく河原に腰掛けて、ぼうっと川面を見つめていました。青葉城恋唄の「広瀬川流れる岸辺」っていうのは、歌声喫茶にいた時代のあのあたりのことを歌っているんです。

 東京にいた頃は、曲作りのためにホテルに缶詰めにされることもあったけど、林立するビルを見ながら曲は作れなかったね。だから僕の曲はほとんど仙台に戻ってきてから作ったものです。

 幼少期からもう50年くらい仙台を見ているけど、人口が100万人を超えても、空気感はずっと変わらない。街の真ん中を都市高速が走っているような、都会的な感じがあまりないところが気に入っています。「杜の都」の名にふさわしく、緑が多い仙台が好きです。

*https://ton-press.blogspot.com/2020/11/sato-muneyuki.html より

 

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<日本酒> 長野 木曽路/湯川酒造店

2021-04-09 07:49:56 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(関東信越国税局)】
 〈長野〉 木曽路/湯川酒造店

 醸し続けて、三七〇年
 脈々とつながる、すべてのご縁に感謝。
 湯川酒造店は、二〇二〇年に創業三七〇周年を迎えます。
 これはひとえに皆さまのご支援、ご愛顧の賜物であり、心より感謝申し上げます。

 十六代目の今、私たちは「造り手の誇り」をもち、木祖村の環境に寄り添う酒造りを追求していくこと、そして、一企業として活力を持ち続けることで、
地域とともに歩み続けていきたいと考えています。

 家族から、社員、地域、そしてお客様へ。
 小さなご縁のつながりが、大きなご縁となって湯川酒造店の歴史がつながります。

 ここ木曽で醸す最高の日本酒を通じてつながるすべてのご縁に感謝をお届けできるよう、一歩ずつ進化し、邁進していく所存です。

 何卒、今後の湯川酒造店にご期待いただきまして、引き続きご愛顧賜りますようお願い申し上げます。 代表取締役 湯川尚子

 株式会社湯川酒造店 長野県木曽郡木祖村薮原1003-1

 ラインナップ

 「木曽路」純米大吟醸 生酛 山田錦 磨き35・純米大吟醸 山田錦 磨き35・純米大吟醸 金紋錦・大吟醸  山田錦 磨き35・純米吟醸 など

 「十六代九郎右衛門」純米吟醸 生酛 愛山・純米吟醸 愛山 など

 「

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<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 105. 清水森ナンバ

2021-04-09 07:44:50 | 食品

 登録番号 第105号 清水森ナンバ
  
 特定農林水産物等の区分 第1類 農産物類 野菜類及び香辛料原料作物(トウガラシ)・第8類 調味料類 香辛料(トウガラシ)

 特定農林水産物等の生産地 青森県弘前市、平川市、中津軽郡西目屋村、南津軽郡田舎館村及び大鰐町
 登録生産者団体 在来津軽清水森ナンバブランド確立研究会

 特定農林水産物等の特性 青森県弘前市周辺で江戸時代から受け継がれてきた、大長型で肩部が張った独特な果形が特徴の弘前在来トウガラシである。
辛味成分であるカプサイシノイド含量が少なく、甘味を含んだまろやかな辛味と独特の風味を持ち、他の食材との相性に優れ、香辛料としての用途も多い。

 地域との結び付き 収穫期の最高気温がトウガラシの栽培適温と一致し、昭和40年代中頃までは、弘前在来トウガラシの栽培が盛んであった。
輸入物の影響により作付けが激減し、平成10年代には、清水森地区の1戸のみとなったが、その後、産官学連携による研究会を設立し、種子の栽培・管理から栽培指導、販売までを連携して行うことにより、徐々に生産が増加した。

*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i105.html より

 

 青トウガラシは7月中旬から収穫が始まり、徐々に色づいていき、赤くなったトウガラシは10月末ごろまで収穫することができる、弘前在来トウガラシの「清水森ナンバ®」。(※天候により前後する可能性有)
今回は「清水森ナンバ®」の歴史や特徴、おすすめの食べ方などをご紹介します。

 「清水森ナンバ®」の歴史
 約400年も前から!
 津軽地方で古くから栽培されてきたトウガラシで、始まりは約400年も前のこと。
 津軽の藩祖であった津軽為信が京都の伏見稲荷から持ち帰り広めたと言われています。

 為信はお礼にと、京都から旅行に来ていた百姓にひょうたん型のかぼちゃの種を贈ったことで、鹿ケ谷(ししがたに)かぼちゃが京都の伝統野菜となったそうです。(※諸説あり)

 なぜ「清水森ナンバ®」という名前なの?
 「ナンバ」は、津軽地方で使われるトウガラシの呼び方で、南蛮に由来しているといわれています。
 「清水森」は、弘前市の清水森地区のことです。昭和30年ごろまではナンバの栽培が盛んで、最盛期には10haほどの作付面積があり、全国の一大産地として名を馳せていました。

 弘前市の中心街であった土手町のこみせでは、トウガラシ粉や収穫したそのままのトウガラシを藁で編んでいくつも繋げたものなどが売られていたようです。
 しかし、昭和40年代以降、安価な輸入唐辛子が全国に流通するようになると生産量が激減し、平成10年ごろには20~30aまで減少しました。

 「清水森ナンバ®」の特徴
 「清水森ナンバ®」の果実は大長型で、青トウガラシから成熟すると濃赤色の赤トウガラシになります。赤トウガラシが実る成熟期になると、苗の大きさは大きいもので1.5mぐらいまでぐんぐん伸びていきます。

 青トウガラシのときは辛味成分の値(カプサイシノイド含量2.86mg/100g当たり)が少なく、赤トウガラシになるにつれ値(カプサイシノイド含量82.8mg/100g当たり)が大きくなっていきますが、鷹の爪の辛味成分の値(カプサイシノイド含量301.2mg/100g当たり)に比べるとかなり低く、甘みを含んだまろやかな辛味と香りの良さが特徴です。

 弘前大学農学生命科学部の蔬菜花卉研究室調べによると、国内の他品種よりも糖分の含量及び、ビタミンC、Eの含量が高く、栄養価の高いトウガラシという研究結果が見られています。

 栽培
 「清水森ナンバ®」は生産・加工含め129会員しか作ることができません。絶滅の危機にさらされていることから、弘前大学農学生命科学部で種が作られており、苗業者に卸し、会員に配られます。また「清水森ナンバ®」は、弘前市、西目屋村、大鰐町、田舎館村、平川市の5市町村でしか栽培できません。

 絶滅の危機を脱しようと、ひたすらに栽培量や生産量を増やすのではなく、正しい栽培の仕方を学んだ会員のみが生産することで、「清水森ナンバ®」のブランド価値を高めているのです。


 収穫
 7月中旬から10月末まで花が繰り返し咲き、追肥していくと1本の苗から何度も果実を収穫することができます。
 開花→25日後(青トウガラシ)→50日後(赤トウガラシ)が、収穫の目安です。
 ①開花1週間程度
 ②開花2週間程度
 ③開花25日後(青トウガラシ収穫時期)
 ④開花50日後(赤トウガラシ収穫時期)
 ⑤収穫後に乾燥したもの
です。

 何度か開花~収穫を繰り返し、1本の苗から約2.5~3kgの「清水森ナンバ®」が収穫されます。年間生産量は天候に左右されることもありますが、平均で約20トンが生産されています。

 在来津軽「清水森ナンバ®」ブランド確立研究会
 2004年に地元関係者や学識経験者などの産学官連携による、在来津軽「清水森ナンバ®」ブランド確立研究会が発足しました。
 現在では「清水森ナンバ®」の商品名で、一味唐辛子や一升漬(地域によっては三升漬とも呼ばれる)、なんばん漬、醤油漬、グリーンカレーペーストやチリソース、ソフトクリームなど様々な加工品が展開されています。

 2008年には弘前市の津軽遺産認定実行委員会が決定する「津軽遺産」のひとつに認定されるなど、「清水森ナンバ®」のブランド化は着実に進んできました。在来津軽「清水森ナンバ®」ブランド確立研究会は、今なお調査や研究を進めており、更なる良品生産やブランド化を目指しています。

 在来津軽「清水森ナンバ®」ブランド確立研究会の活動
 研究会の活動として、弘前市内または周辺地域の学校との交流もあるそうです。小中学校では「清水森ナンバ®」鉢植え体験をしたり、高校、大学、専門学校では「清水森ナンバ®」を使ったメニュー開発を行ったり、周知活動を積極的に行っています。
 在来津軽「清水森ナンバ®」ブランド確立研究会会長の中村元彦さんは、このような活動を通して、さらに生産することができる会員を増やしていきたい、とおっしゃっていました。

*https://www.umai-aomori.jp/season-report/seasonal/shimizumorinanba-2.html より

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<漢字検定> 1級 読み 43.回答 44.出題

2021-04-09 07:41:05 | 漢字検定

 前回の出題

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 眷顧  -けんこ-特別に目をかけること。ひいき。

 

 問2 僭称 - せんしょう-身分を越えた称号を勝手に名乗ること。また、その称号。

 

 問3 艟艨  -どうもう-軍艦。艨艟 (もうどう) 。

 

 問4 曩昔 - のうせき-さきの日。さきごろ。以前。昔。曩時。

 


 問5 泛論 -汎論-はんろん-広くその部門全般にわたって論じること。また、全体を概括した論。通論。総論。

 

 今回の出題

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 秉燭  

 

 問2 邁進  

 

 問3 沐雨  

 

 問4 鄙陋  

 

 問5 搗精

 


 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書 ・精選版 日本国語大辞典 より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 石川 加賀繍

2021-04-09 07:36:48 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「加賀繍」

 Description / 特徴・産地

 加賀繍とは?
 加賀繍(かがぬい)は、石川県金沢市で作られている刺繍です。材料には、色鮮やかな絹糸や豪奢な金糸・銀糸・うるし糸などが使われます。
 加賀繍の特徴は、繊細な技法で縫い上げた立体的な図柄と、華やかながらも奥ゆかしい美しさです。主な技法には「くさりぬい」「まつりぬい」「すがぬい」などがあり、職人の手でひと針ひと針丹精込めて作り上げられます。また、糸を何重にも重ねて立体的にする「肉入れ繍」や、絹糸の色を変えてグラデーションをつける「ぼかし繍」など高度な技法も使われます。
 染めた文様の上から刺繍をする京刺繍と異なり、無地の布地に下絵描きをしてから刺繍をする加賀繍は、浮かび上がる図柄が独特の雰囲気を持っています。
 利点としては、縒り合わせた糸を使用することにより強い刺繍ができることです。また、表の繍糸と裏糸が同一方向となっているため、糸が切れても手切れ部分のみで補修ができます。
 近年では高級呉服刺繍のみならず、加賀繍を使った額絵やタペストリー、ルームランプなどの装飾品も作られ、その芸術的な美しさがさらに注目を集めています。

 History / 歴史
 加賀繍 - 歴史
 日本では、仏画を刺繍で表現した繍仏(しゅうぶつ) として刺繍が始まり、京都では貴族や武士の装束を華やかに彩る刺繍技法が発展しました。
 加賀繍(かがぬい)は、室町時代初期に京都から加賀地方への仏教の布教に伴って伝えられたと言われています。当時は、打敷(うちしき)・袈裟(けさ)など仏の荘厳(しょうごん)飾りが製作され、貴重なものとして尊ばれました。
 江戸時代に入ると、加賀繍(かがぬい)は将軍・藩主の陣羽織や奥方の着物、加賀友禅などの加飾に用いられるようになります。そして、加賀藩の歴代藩主の保護により、金箔や友禅とともに独自の発展を遂げたと考えられています。
 伝統の技法は明治以降も衰退することなく、女性の手内職として洋風の飾り刺繍などが行われ、大正から昭和にかけては半襟・帯地の生産が始まります。その後も工場や職工が増えていき、加賀繍(かがぬい)は全国にその名を知られるようになりました。
 加賀百万石の誇りと加賀人の高い美意識から紡ぎ出された高級呉服は現在も高い評価を受けており、インテリアの開発や美術工芸部門への進出など今後の発展も期待されています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/kaganui/ より

 

 彩りの美しさと繊細な技をあわせ持つ手刺繍 加賀繍
 加賀繍の歴史は、遠く室町時代の初期に遡り、その起源は加賀地方への仏教の布教と関係が深い。
 その特色は、ひと針ひと針ていねいに手で繍い上げて描き出す文様と絵の豪華さ。金糸や銀糸などの多種多様の糸が世界にたったひとつしかないデザインを彩っていく。

 
 誇りとまごころを込めた作品は、かつては高級呉服の代名詞
 当時は、主として仏前の打敷(うちしき)や僧侶のお袈裟(けさ)など、仏の荘厳として使われていた加賀繍。単なる飾りとしての刺繍でなく、極めて尊いものとして位置づけられてきたという。のちの江戸時代に将軍や藩主の陣羽織や持ち物の装飾などに用いられ発展するようになったが、かなり高級な呉服の代名詞でもあり、大店(おおだな)の奥様の訪問着や金持ちの娘の花嫁道具の打ち掛けなどでしか見られることはなかったという。


 時代時代にあわせて多種多様な流行を創造
 大正から昭和にかけては半襟(はんえり)でおしゃれをするのが流行った時代。その半襟(はんえり)に、刺繍紋や染めの紋を入れるのが粋だということで、加賀繍の需要が一気に高まり、日本全体のシェアが9割近くとなったこともある。職人は3000人を数え、700件以上の加賀繍専門の手仕事場ができ、一世を風靡した。ところが、ミシンが台頭し、韓国、台湾、中国などから粗悪なものが入ってきて今や加賀繍は希少伝統となってきた。


 一年目は手が覚えるまでひたすら練習の日々
 女性の職人しかいないこの世界に入った森本悦子さんに、加賀繍の魅力をお伺いした。「手先の器用な人でも、基礎技術の体得には最低3年はかかりますね。私はちょうど10年くらいになりますが、初めはほんと難しいなと思いました。基礎を手が覚えるまで、うまくいかないことの連続。何度やっても思い通りに繍えませんでしたね。」森本さんは金沢に移り住み、ここ金沢をこよなく愛している女性のひとり。できれば何かこの町ならではのことを仕事にしたいと思い、知人の紹介でこの職についた。


 華やかな彩りの世界を創る15の技巧
 「加賀繍の特色は、金糸や銀糸などの多種多様の糸を、ひと針ひと針手で繍い上げて描き出していく文様と絵の美しさにありますが、全部で15種類ある技巧を必ず入れていくこともその特色です。刺繍の量によっても時間は異なりますが、半襟で1週間、帯だと1カ月から3カ月ほどかかりきりになるものもあります。」
針は広島に一件しかないお店の特注もの。糸の太さにあわせて10種類ほどあるが、どれも針先は鋭く短めで耳の所は生地に穴を開けないように、平たくつぶれている。はさみも手作りの特注品だそうだ。


 思いをこめて繍ったものは世界でたったひとつの作品
 繍い方、針裁きは見ているだけでも細かく鮮やかなものだが、繍を専門にする人は単に図案に沿って機械通りに手作業をするだけではない。まず、生地にあった絹糸の色を選び、そしてその糸の色の組み合わせや縫い方を考えながら手を運ぶ。
 「色選びは、その日の気分によっても多少変わってきますし、日中と夕方だけでも変わります。同じ色の生地と糸を選んでも、繍うときに少しづつ配色も変わっていきます。だから、できあがった作品全てが世界にたったひとつしかない一点ものということですね。」
 色の微妙な違いを見るために必ず、外光の入る北向きの窓の横で作業をする。蛍光灯に照らされたなかで作業をすると青みがかかってしまい、イメージしたものとまったく違う仕上がりになることもあるからだ。
 「今後は着物の帯や半襟など和の趣向のものだけでなく、バックなどの洋を意識したものを創っていきたいですね。ストールも最近人気だし、インテリア的なものとしては、テーブルクロスも考えています。」
できあがった作品のどれもに森本さんのやさしさと愛情が、糸と一緒に繍い込まれているようだった。


 職人プロフィール

 森本悦子

 金沢に移り住んで知人の紹介でこの職につき、加賀繍歴は10年。
 最近、娘の成人式の振り袖を刺繍したと語る優しい母の顔ももつ。

 こぼれ話

 今までは、高級呉服をメインに生産してきた加賀繍だが、近年、着物の需要が減り、海外から粗悪なものがの安価で輸入されてきていることからも、新しいライフスタイルの中に取り込んでもらおうとさまざまな商品開発を試みています。
パシュミナの人気に乗じて作ったストールは、年輩の方だけでなく広い層に人気だそう。また、繭の形をモチーフにシルクの糸から作ったしたライトも洋風のインテリアにマッチすると好評だとか。
 帯のデザインや色もオーソドックスなものばかりでなく、時代の流行にあわせて、斬新なイメージのものも取り入れています。
お客様となる人たちにアンケートをとり、モニター制度なども導入して、どんなものが喜ばれるのかという市場調査を始めています。他にも名刺入れや、バックなど現在開発中。

*https://kougeihin.jp/craft/0301/ より

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