【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(金沢国税局)】
〈福井〉 一本義/一本義久保本店
奥越前に生まれて
壱 全国有数の酒米産地 豊かな自然の中で
日本海に面する北陸、福井県。その北東に位置する奥越前勝山は、四方が山々に囲まれた盆地で、最深積雪量が1メートルを超すことも珍しくない、県内屈指の豪雪地です。25,000人が暮らす市の一部は福井・石川・富山・岐阜の4県にまたがる白山国立公園に含まれ、市内中央には、国の天然記念物「アラレガコ」が生息する大河川・九頭竜川が流れています。
土の肥沃さ、根がしっかりと張る地の深さ、こんこんと湧き出る地下水とともに、夏の昼夜の気温差が大きい盆地気候のおかげで良質の米が育ち、酒造好適米「五百万石」の全国有数の産地として知られています。
かつて、秋になると何処でも当たり前のように飛んでいた赤とんぼ。そんな日本の原風景が、実は近年おびやかされているのです。それは水田そのものの減少と、箱苗処理剤の使用が原因だったのではないかと考えられています。
これまで箱剤の使用が無かったことなどから、幸いにして赤とんぼが普通に飛び交う奥越前勝山。日本の原風景を次世代に残し、日本人にとって大切なお米を安心していただくために、いま勝山では農家・JA・市民が連携して「赤とんぼと共に生きるプロジェクト」を展開しています。
弐 奥越前勝山 その歴史が開かれたのは 千三百年前
ここ奥越前勝山を語るとき、その象徴ともいえるのが、越前・加賀・美濃の国境にそびえる白山です。富士山、立山とともに日本三名山のひとつに挙げられ、標高は2,702m。その歴史が開かれたのは、今から千三百年前にさかのぼります。706年、泰澄大師が開山し、その後、越前・加賀・美濃の三方から白山への禅定道(登拝道)が開かれました。
越前禅定道の馬場である平泉寺は、717年に開かれました。白山登拝を目指した泰澄大師が、母の生誕地である勝山市南部の伊野原を訪ねたとき、夢の中でお告げを聞き、東の林の泉に行くと、そこで白山の女神を見たことが平泉寺のはじまりと伝えられています。平泉寺は最盛期には、48社36堂6千坊、僧兵8千人の巨大な宗教都市を形成したと伝えられています。
参 恐竜王国 世界に誇れるきれいな町
1988年、勝山市の北谷地区で1億2千万年前の肉食恐竜の化石が発見されました。以来、日本で発掘される約8割の恐竜化石が、ここ勝山に集まることから「恐竜王国」と呼ばれるようになりました。
2000年には福井県立恐竜博物館が完成。世界三大恐竜博物館のひとつともいわれ、全国から恐竜ファンが集まります。
勝山市は2007年、アメリカの雑誌フォーブス誌「世界でもっともきれいな都市トップ25」で、アジア1位、世界9位に選ばれました。カルガリー(カナダ)、ホノルル(アメリカ)、ストックホルム(スウェーデン)など、世界的都市がトップを競う中、小さな市である勝山が選ばれたのは画期的なことでした。
百年の歴史を越えて
壱 勝山藩主・小笠原家に愛育された「一本義」
越前勝山藩は、江戸初期、徳川家康の次男である結城秀康が治めた福井藩の支藩として成立しました。しかしその直後、廃藩を経て幕府直轄領となります。再び越前勝山藩が立藩されたのは、1691年のこと。美濃より小笠原貞信公が転封され、明治維新の廃藩置県までの180年間、小笠原家が8代に亘り勝山を治めました。
小笠原家は室町時代より武家の礼法を伝える家系であり、その理念は行儀作法の代名詞「小笠原流礼法」として現代にも伝えられています。そんな文人大名であった小笠原家が、御用酒として代々愛育した酒銘が「一本義」でした。
弐 明治三十五年創業「一本義」の物語
初代の直蔵より、農業を中心として林業・生糸業・機業などで生計を立ててきた久保家でしたが、明治35年、隣家の酒造家が廃業されるということで、5代目当主の仁吉が酒蔵・道具一式を買い受け、酒造業を興しました。当初の酒銘は、地籍(福井懸大野郡勝山町澤)に由来するとともに、白山の伏流水による豊かな湧き水を象徴した「井」を併せ、「澤乃井」としました。しかし、この酒銘を長らく名乗り続けることはできませんでした。当時の家業の中核であった機業製品の出荷と合わせて、横浜へ酒を持参した際に、東京にこの時すでに百年以上前から同銘を使われている酒造元があったことを知るのです。その帰りの汽車中、たまたま隣り合ったのは同郷勝山の屈指の素封家といわれた笠松家のご当主でした。
酒銘を再考する必要があることを話すと、「それならば、うちが昔殿様から拝命した酒銘を受け継いだらどうか」と、勝山藩小笠原家の御用酒銘であった「一本義」を譲り受けることになったのです。
一本義は、禅語「第一義諦」に由来し、それは「最高の真理、優れた悟りの知恵を極めた境地」を意味します。
現在、勝山で造り酒屋は弊社一軒のみ。勝山の歴史にとって大切な意味のあるこの銘を受け継がせていただいた誇りを胸に、しっかりと後世に伝えていきたいと思っています。
参 奥越前地酒「一本義」 限定流通酒「伝心」
「一本義」は、以来百有余年に亘り、福井の食生活の中で育まれ、昭和の始め頃より福井県内の酒造家としては製造・販売高ともにトップブランドに成長します。
平成に入り、酒の級別制度が廃止された頃、一本義久保本店は全国有数の酒米産地に所在する酒蔵として、できうる最良の酒造りを具現化するため、「一本義」とは別に、新たな限定流通ブランドを立ち上げました。地元の契約栽培農家と共に「酒造りは米づくりから、米作りは土壌づくりから」を合言葉とし、「五百万石」・「山田錦」・「越の雫」という3種類の酒米を育て、通年4種、限定1種、季節4種の酒を醸しています。人が面と向かい、話し合うだけでは心を通い合わせることができないとき酒が一滴の魔法となって心を伝え、和を結ぶことができる。日本人がはるか昔から大切に育んできたそんな知恵をもとに、新たに立ち上げたブランドには、「伝心」と銘を付けました。
香味のきれいさ、真骨頂の後キレ
壱 食と共にあってなお 食も酒も花開く
食材の宝庫であり、素材の素直な味わいを大切にするといわれる福井の食文化。
こうした背景のもと、一本義は「キレ味の良さ」を酒造りの身上としてきました。日本酒は食中酒であり、食と共にあってなお、食も酒も花開く。舌の上にいつまでも余韻が残る酒ではなく、流れ消えるような後口のキレの良さを、高級酒から定番酒まですべての酒に共通して大切にしています。
弐 追い求めていく 香味のきれいさ
キレ良い辛口酒を評価され、製造・販売石高が順調に伸びはじめた昭和30年代。6代目当主 久保直正は、この先に一本義が追い求めていく味わいについて考えました。それは例えるならば、「純粋と表現できるような香味のきれいさ」。そこで、雑味ない酒造りに定評のある南部流酒造りに答えを求めました。以来半世紀にわたり、平成27年(2015)まで杜氏をはじめとした酒造り職人である蔵人集団を、南部(岩手県)より迎えてきました。
同時に、出稼ぎの酒造り職人たちの減少と高齢化の将来に備え、昭和の終わりころからは一本義社員も醸造部への配置を開始。南部蔵人と社員蔵人のチームによる30年の酒造りを経て、平成28年(2016)からは、南部流に学んだ一本義社員蔵人による酒造りが始まりました。
参 南部杜氏 自醸清酒鑑評会「首席賞」受賞
南部杜氏として酒造りに携わる者ならば、その酒造り人生の中で一度は栄誉に輝きたいと想い描くのが「南部杜氏自醸清酒鑑評会」での首席賞(第一位)です。
一本義は2007年に行われた第89回南部杜氏自醸清酒鑑評会において、586出品酒中・第1位の首席賞を受賞。「雑味がなく、きれいな味わい」と表現される、南部流の酒造りの頂点。それは、一本義が長年追い求めてきた味わいの方向が、ようやく見えた瞬間でした。
さらに2016年、第97回を数えた南部杜氏自醸清酒鑑評会において、二度目となる首席賞を受賞。一本義ならではの南部流酒造りの継承が名実ともにかなった受賞となりました。
株式会社一本義久保本店 福井県勝山市沢町1丁目3-1
ラインナップ
「一本義」Le premier rouge・山田錦 袋吊り純米大吟醸・槽搾り(ふなしぼり)純米大吟醸・甜潤系(あまうるおしけい)純米吟醸・辛爽系(からさわけい)純米吟醸 など
「第一義諦」大吟醸酒(限定品)
「一本義物語」大吟醸酒(限定品・予約販売制)
「一朋」大吟醸熟成酒 など