いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<苺> こいのか

2021-04-25 07:15:35 | 食品

 「こいのか」

■こいのか/恋の香とは

 
●「さちのか」と「とちおとめ」の交配種
恋の香(こいのか)
こいのかは農研機構九州沖縄農業研究センターで、日持ち性と食味に優れる「さちのか」を母親に、早生性と収量性に優れる「とちおとめ」を父親として交雑して生まれた品種です。

2008年に発表され、2011年に品種登録されたとても新しい品種です。

早生で連続出蕾性に優れ、年内収量の多い促成栽培用イチゴ品種とされたいます。

●こいのか/恋の香の特徴
恋の香(こいのか)
果実は長円錘形で小ぶりのいちごで、さちのか位の大きさです。種の部分のくぼみがやや深く、ヘタ(ガクの部分)が比較的小さいのが特徴です。

味的には甘み酸味ともバランスがよく、みずみずしさを感じます。果肉は白に近いピンクといった感じ。

●こいのか/恋の香の主な産地
こいのかは主に長崎県で作られています。

*https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/Strawberry-Koinoka.htm より

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<言 葉> 春の言葉 霜止出苗

2021-04-25 07:11:10 | 言葉

 「霜止出苗-しもやみてなえいずる」

 4月25日は、七十二候の第十七番目の「霜止出苗」。

 「霜止出苗」とは、気温は暖かくなり、朝晩の霜は北国でも降りなくなり、苗がすくすくと育つ頃。日差しも強くなり、田植えの準備が始まる。*https://hp.otenki.com/6148/ より

 

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-リチャード・カーペンター

2021-04-25 07:03:05 | MUSIC

 「リチャード・カーペンター」

  1946年10月15日生まれの74歳

 4月22日は“カーペンターズの日”! カーペンターズ   2009/03/13 16:17掲載

 今なお世界中の人々を魅了し続けているカーペンターズ。1969年4月22日にメジャー契約したその日から、今年でいよいよ40周年! ユニバーサル ミュージックは、この記念すべき日を日本記念日協会に記念日として申請、“カーペンターズの日”と認定されました。

*https://www.cdjournal.com/main/news/carpenters/23091 より

 

 リチャード・カーペンター、17年ぶりのカーペンターズ新作について語る 2018/11/16

 来年でデビュー50周年を迎えるカーペンターズがロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と共演した新作アルバム『カーペンターズ・ウィズ・ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団』を12月7日に発売する。

 この度、1983年に死去したヴォーカル、カレンの兄であるリチャード・カーペンターのインタビュー動画が公開された。共同プロデューサーのニック・パトリックは動画の中で、「これらの曲を実際に生み出したリチャード・カーペンターというソングライター兼アレンジャー兼プロデューサーと一緒に仕事をできるのは、途轍もなく素晴らしいことです。これで新たにカーペンターズを聴こうという人々が大勢現れるはずです。ちょうどエルヴィスの時に起きた現象と同じように」と語り、リチャードも「“これを一から全てやり直せたら”と思う楽曲はごくわずかですがそれでも度を越さずに程好くアレンジの厚み深みを加えられるところは確かにある。秘訣は、そのさじ加減にあるのです」とコメントをしている。

 本作には「イエスタデイ・ワンス・モア」や「青春の輝き」、「トップ・オブ・ザ・ワールド」など多くのヒット曲が収録。日本盤ボーナス・トラックとして「プリーズ・ミスター・ポストマン」も収録されている。ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団は、過去にエルヴィス・プレスリーやビーチ・ボーイズなどと共演してきたが、アーティスト本人がプロデュース、アレンジ、指揮をするのは今回が初めてのことだ。現在、アルバムから「涙の乗車券」が配信中。リチャードはアルバム・リリースに合わせて、今年12月に9年ぶりのプロモ―ション来日する予定だ。

*http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/69893/2 より

 

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<日本酒> 福井 一本義/一本義久保本店

2021-04-25 06:55:46 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(金沢国税局)】
 〈福井〉 一本義/一本義久保本店

 

 奥越前に生まれて

 壱 全国有数の酒米産地 豊かな自然の中で

 日本海に面する北陸、福井県。その北東に位置する奥越前勝山は、四方が山々に囲まれた盆地で、最深積雪量が1メートルを超すことも珍しくない、県内屈指の豪雪地です。25,000人が暮らす市の一部は福井・石川・富山・岐阜の4県にまたがる白山国立公園に含まれ、市内中央には、国の天然記念物「アラレガコ」が生息する大河川・九頭竜川が流れています。
 土の肥沃さ、根がしっかりと張る地の深さ、こんこんと湧き出る地下水とともに、夏の昼夜の気温差が大きい盆地気候のおかげで良質の米が育ち、酒造好適米「五百万石」の全国有数の産地として知られています。
 かつて、秋になると何処でも当たり前のように飛んでいた赤とんぼ。そんな日本の原風景が、実は近年おびやかされているのです。それは水田そのものの減少と、箱苗処理剤の使用が原因だったのではないかと考えられています。
これまで箱剤の使用が無かったことなどから、幸いにして赤とんぼが普通に飛び交う奥越前勝山。日本の原風景を次世代に残し、日本人にとって大切なお米を安心していただくために、いま勝山では農家・JA・市民が連携して「赤とんぼと共に生きるプロジェクト」を展開しています。

 弐 奥越前勝山 その歴史が開かれたのは 千三百年前

 ここ奥越前勝山を語るとき、その象徴ともいえるのが、越前・加賀・美濃の国境にそびえる白山です。富士山、立山とともに日本三名山のひとつに挙げられ、標高は2,702m。その歴史が開かれたのは、今から千三百年前にさかのぼります。706年、泰澄大師が開山し、その後、越前・加賀・美濃の三方から白山への禅定道(登拝道)が開かれました。
 越前禅定道の馬場である平泉寺は、717年に開かれました。白山登拝を目指した泰澄大師が、母の生誕地である勝山市南部の伊野原を訪ねたとき、夢の中でお告げを聞き、東の林の泉に行くと、そこで白山の女神を見たことが平泉寺のはじまりと伝えられています。平泉寺は最盛期には、48社36堂6千坊、僧兵8千人の巨大な宗教都市を形成したと伝えられています。

 参 恐竜王国 世界に誇れるきれいな町

 1988年、勝山市の北谷地区で1億2千万年前の肉食恐竜の化石が発見されました。以来、日本で発掘される約8割の恐竜化石が、ここ勝山に集まることから「恐竜王国」と呼ばれるようになりました。
 2000年には福井県立恐竜博物館が完成。世界三大恐竜博物館のひとつともいわれ、全国から恐竜ファンが集まります。
 勝山市は2007年、アメリカの雑誌フォーブス誌「世界でもっともきれいな都市トップ25」で、アジア1位、世界9位に選ばれました。カルガリー(カナダ)、ホノルル(アメリカ)、ストックホルム(スウェーデン)など、世界的都市がトップを競う中、小さな市である勝山が選ばれたのは画期的なことでした。

 

 百年の歴史を越えて

 壱 勝山藩主・小笠原家に愛育された「一本義」

 越前勝山藩は、江戸初期、徳川家康の次男である結城秀康が治めた福井藩の支藩として成立しました。しかしその直後、廃藩を経て幕府直轄領となります。再び越前勝山藩が立藩されたのは、1691年のこと。美濃より小笠原貞信公が転封され、明治維新の廃藩置県までの180年間、小笠原家が8代に亘り勝山を治めました。
 小笠原家は室町時代より武家の礼法を伝える家系であり、その理念は行儀作法の代名詞「小笠原流礼法」として現代にも伝えられています。そんな文人大名であった小笠原家が、御用酒として代々愛育した酒銘が「一本義」でした。

 弐 明治三十五年創業「一本義」の物語

 初代の直蔵より、農業を中心として林業・生糸業・機業などで生計を立ててきた久保家でしたが、明治35年、隣家の酒造家が廃業されるということで、5代目当主の仁吉が酒蔵・道具一式を買い受け、酒造業を興しました。当初の酒銘は、地籍(福井懸大野郡勝山町澤)に由来するとともに、白山の伏流水による豊かな湧き水を象徴した「井」を併せ、「澤乃井」としました。しかし、この酒銘を長らく名乗り続けることはできませんでした。当時の家業の中核であった機業製品の出荷と合わせて、横浜へ酒を持参した際に、東京にこの時すでに百年以上前から同銘を使われている酒造元があったことを知るのです。その帰りの汽車中、たまたま隣り合ったのは同郷勝山の屈指の素封家といわれた笠松家のご当主でした。
 酒銘を再考する必要があることを話すと、「それならば、うちが昔殿様から拝命した酒銘を受け継いだらどうか」と、勝山藩小笠原家の御用酒銘であった「一本義」を譲り受けることになったのです。
 一本義は、禅語「第一義諦」に由来し、それは「最高の真理、優れた悟りの知恵を極めた境地」を意味します。
 現在、勝山で造り酒屋は弊社一軒のみ。勝山の歴史にとって大切な意味のあるこの銘を受け継がせていただいた誇りを胸に、しっかりと後世に伝えていきたいと思っています。

 参 奥越前地酒「一本義」 限定流通酒「伝心」

 「一本義」は、以来百有余年に亘り、福井の食生活の中で育まれ、昭和の始め頃より福井県内の酒造家としては製造・販売高ともにトップブランドに成長します。
 平成に入り、酒の級別制度が廃止された頃、一本義久保本店は全国有数の酒米産地に所在する酒蔵として、できうる最良の酒造りを具現化するため、「一本義」とは別に、新たな限定流通ブランドを立ち上げました。地元の契約栽培農家と共に「酒造りは米づくりから、米作りは土壌づくりから」を合言葉とし、「五百万石」・「山田錦」・「越の雫」という3種類の酒米を育て、通年4種、限定1種、季節4種の酒を醸しています。人が面と向かい、話し合うだけでは心を通い合わせることができないとき酒が一滴の魔法となって心を伝え、和を結ぶことができる。日本人がはるか昔から大切に育んできたそんな知恵をもとに、新たに立ち上げたブランドには、「伝心」と銘を付けました。

 

 香味のきれいさ、真骨頂の後キレ

 壱 食と共にあってなお 食も酒も花開く

 食材の宝庫であり、素材の素直な味わいを大切にするといわれる福井の食文化。
 こうした背景のもと、一本義は「キレ味の良さ」を酒造りの身上としてきました。日本酒は食中酒であり、食と共にあってなお、食も酒も花開く。舌の上にいつまでも余韻が残る酒ではなく、流れ消えるような後口のキレの良さを、高級酒から定番酒まですべての酒に共通して大切にしています。

 弐 追い求めていく 香味のきれいさ

 キレ良い辛口酒を評価され、製造・販売石高が順調に伸びはじめた昭和30年代。6代目当主 久保直正は、この先に一本義が追い求めていく味わいについて考えました。それは例えるならば、「純粋と表現できるような香味のきれいさ」。そこで、雑味ない酒造りに定評のある南部流酒造りに答えを求めました。以来半世紀にわたり、平成27年(2015)まで杜氏をはじめとした酒造り職人である蔵人集団を、南部(岩手県)より迎えてきました。
 同時に、出稼ぎの酒造り職人たちの減少と高齢化の将来に備え、昭和の終わりころからは一本義社員も醸造部への配置を開始。南部蔵人と社員蔵人のチームによる30年の酒造りを経て、平成28年(2016)からは、南部流に学んだ一本義社員蔵人による酒造りが始まりました。

 参 南部杜氏 自醸清酒鑑評会「首席賞」受賞

 南部杜氏として酒造りに携わる者ならば、その酒造り人生の中で一度は栄誉に輝きたいと想い描くのが「南部杜氏自醸清酒鑑評会」での首席賞(第一位)です。
 一本義は2007年に行われた第89回南部杜氏自醸清酒鑑評会において、586出品酒中・第1位の首席賞を受賞。「雑味がなく、きれいな味わい」と表現される、南部流の酒造りの頂点。それは、一本義が長年追い求めてきた味わいの方向が、ようやく見えた瞬間でした。
 さらに2016年、第97回を数えた南部杜氏自醸清酒鑑評会において、二度目となる首席賞を受賞。一本義ならではの南部流酒造りの継承が名実ともにかなった受賞となりました。

 株式会社一本義久保本店 福井県勝山市沢町1丁目3-1

 ラインナップ

 「一本義」Le premier rouge・山田錦 袋吊り純米大吟醸・槽搾り(ふなしぼり)純米大吟醸・甜潤系(あまうるおしけい)純米吟醸・辛爽系(からさわけい)純米吟醸 など

 「第一義諦」大吟醸酒(限定品)

 「一本義物語」大吟醸酒(限定品・予約販売制)

 「一朋」大吟醸熟成酒 など

 

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<伝統野菜> 北海道 ラワンぶき

2021-04-25 06:21:47 | 伝統野菜

 「ラワンぶき」

 【生産地】北海道 足寄町 (北海道遺産認定2001年)

 【形状】大きくなると高さ3m、太さが10cm以上に育つ日本一大きなフキ。大きく成長する原因は学術的には解明されていないが、アキタブキの突然変異、盆地である足寄町の気候、火山灰による土質、雌阿寒岳の麓オンネトーを源流とするラワン川の成分が影響しているなど、複合的要因により足寄町でのみ大きく育っていると考えられている。

 【食味】一般的に流通している山ブキに比べてアクが少なく、シャキシャキとした食感。

 【来歴】足寄町の螺湾川に沿って自生しているアキタブキの仲間。2001年10月に北海道遺産に選定されているため、苗や種の足寄町以外への持ち出しは禁止とされている。現在は特産品として栽培されている。

 【収穫時期】6月上旬から7月上旬

 【取扱・問合せ】JAあしょろ

*https://tradveggie.or.jp/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e4%bc%9d%e7%b5%b1%e9%87%8e%e8%8f%9c%ef%bc%8d%e5%8c%97%e6%b5%b7%e9%81%93/#i-17 より

 

 日本一大きなフキ
 「ラワンぶき」とは、足寄町の螺湾(ラワン)地域に自生しているアキタブキの仲間で大きくなると高さ3m、太さが10cm以上に育つ日本一大きなフキです。

 大きく成長する原因は学術的には解明されていませんが、アキタブキの突然変異、盆地である足寄町の気候、火山灰による土質、雌阿寒岳の麓オンネトーを源流とするラワン川の成分が影響しているなど、複合的要因により足寄町でのみ大きく育っていると考えられています。

 また、「ラワンぶき」は2001年10月に北海道遺産に選定されているため、苗や種の足寄町以外への持ち出しは禁止とされています。

 JAあしょろでは、乱獲や川の増水等により少なくなってきた「ラワンぶき」を絶やさないよう、保護の観点から畑での栽培面積を増やしています。
食感がよくアクが少ない「ラワンぶき」
 生のラワンぶきは足寄町の特産品として6月上旬から7月上旬に収穫され、その特徴は、大きさや爽やかな山の風味とシャキシャキした食感だけでなく、

(1)一般的に流通している山ブキに比べてアクが少ない。
(2)カルシウムやマグネシウム等のミネラルが豊冨で食物繊維も多く含まれている。
(3)ポリフェノールを含有している。

など健康食材として期待されています。北海道に昔から伝わるアイヌ伝説によると、フキの下には幸運を呼ぶ神様"コロポックル"が住むといわれています。

 様々な加工品にも
 昭和49年から山菜工場で加工を始め、平成25年から農産物加工処理施設で、「ラワンぶき」の加工・販売に力を入れてきました。

 「ラワンぶき」については、バイオ研究所で育苗の試験研究を重ね、平成元年に根からの栽培を、平成2年からはより効率の良い種からの育苗栽培に切り替えて畑での栽培をはじめ、平成21年から6月限定で道内のスーパーで「生ぶき」の販売を開始しました。

 さらに鮮度を保持し道外などへの長距離輸送を実現するため、塩蔵処理した後に水煮状態にした商品を開発、本来、「ラワンぶき」が持っている「食感がよく、アクが少ない」という利点を生かした商品づくりの基礎を固めました。
 そして今、国が進める「6次産業化」施策の認定を受けて、“旬を閉じ込めた”より高品質の「ラワンぶき」の商品化に取り組み、全国への普及を目指しています。

*https://www.jaasyoro.jp/products/rawan.php より

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<漢字検定> 1級 読み 59.回答 60.出題

2021-04-25 06:02:39 | 漢字検定

 前回の回答

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 桎梏 -しっこく-人の行動を厳しく制限して自由を束縛するもの。

 

 問2 綾羅  -りょうら-あやぎぬとうすぎぬ。また、美しい衣服。羅綾。

 

 問3 謬説  -びゅうせつ-まちがった説や説明。

 

 問4 截然  -せつぜん-さいぜん-
 1 物事の区別がはっきりしているさま。

 2 がけや岩壁などが切り立っているさま。

 

 問5 駑鈍 -どどん-才がにぶく、知恵が足りないこと。また、そのさま。愚鈍。

 

 今回の出題

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 雨潦  

 

 問2 鴆毒  

 

 問3 咄嗟  

 

 問4 揶揄  

 

 問5 蛹虫

 

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書  より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 山梨 甲州印伝

2021-04-25 05:56:32 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「甲州印伝」

 Description / 特徴・産地

 甲州印伝とは?
 甲州印伝(こうしゅういんでん)は、山梨県甲府市で作られている革製品の工芸品です。甲州印伝の特徴は鹿革を用いて、漆で模様を付けることです。この技法を使って鞄や財布、小物入れ等様々な製品が作られています。
 戦国時代には武具にも利用されていました。革が柔らかく軽く長く使い込むに従って光沢が増し、漆を使うことにより丈夫で長持ちします。
 甲州印伝は模様の美しさも魅力の一つです。小桜、菖蒲、とんぼ等が描かれることが多く、自然や四季の美しさを彩ったデザイン性の高さも人気の理由と言えます。熟練の職人技巧が活かされ、藁の煙や松脂(まつやに)で燻(いぶ)して独特の色に着色していく日本で唯一の革工芸品になります。また、一色毎に型紙を変えながら着色する技巧も色鮮やかです。
 甲州印伝は戦国武将の武田信玄も武具入れにしていたとされ、長い間甲州で愛され続けている伝統工芸品になります。

 History / 歴史
 甲州印伝 - 歴史
 甲州印伝の歴史は長く、江戸時代の頃には産地が特定されていた記録が残されています。
革工芸品の歴史をたどると奈良時代まで遡り、革をなめし、漆で模様を描く方法が外国から伝播して作られました。印伝の名前の由来は1624年(元和10年)から1643年(寛永20年)の江戸時代に外国人が渡来した際に幕府にインド革製品を献上されたことと考えられます。印度が印伝になっていったとも、インド伝来であるからとも諸説様々です。
 江戸時代には各地で印伝が作られていたと考えられますが、現在製造されているのは、山梨県の甲州印伝のみとなります。明治時代には、信玄袋や巾着袋が内国勧業博覧会で勲章を得て、広く山梨県の工芸品として認知されるに至りました。大正期にはハンドバッグ等も作られ1987年(昭和62年)の昭和期に経済産業大臣指定伝統的工芸品に認定されました。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/koshuinden/ より

 使い込むうち手放せなくなる甲州印伝
 伝統工芸好きなら誰でも知ってる甲州印伝。戦国時代からの歴史をもち、今現在も老若男女に愛されつづけるお財布などの革小物。人を惹きつけて離さないその魅力とは何なのか、この道ひとすじ60年の赤池孝治さんに伺った。

 
 使い込む程に手になじんで、離せなくなりますね
 袋物屋やデパートのお財布売り場に行くとよくある「甲州印伝」の文字。印伝とは、鹿の革に漆で模様をつけたもの。黒、紺、えんじ、紫などに染められた革の上に、江戸小紋調の柄が付けられ、それが浮かび上がって艶が光る。現在は、財布はもとより印鑑入れ、ハンドバッグ、巾着袋など身近に使えるさまざまな用途に作られている。印伝のさきがけは遠く奈良時代からあり、戦国時代は武将の武具にも使われた。
 こんなにも古くから現在に至るまで人々に愛され続けてきた印伝。その魅力は一体どこにあるのだろう。「鹿革っていうのは軽くて丈夫で柔らかいんですよね。しかも使い込むうちに手になじんでくるのです。」と赤池さん。10年以上使い込んだ赤池さんのお財布を持たせてもらうと、クタっとしたようなやわらかい感触がたまらない。新品の印伝はアイロンがかったYシャツのように固めだが、使い込まれた印伝にはその人の手のぬくもりが染み込んで、ホッとするようなあたたかみが感じられる。「10~20年は楽に使えます。ボロボロになっても修理をして何回も使う人が多いです。」


 印伝ひとすじ60年、「奉公が一番きつかった」
 印伝には染色、裁断、柄付け、縫製の4つの工程があり、赤池さんは主に縫製を担当している職人さんだ。「やっぱり袋物の角を寄せていくのが大変ですよね。角のヒダをうまく、厚くならないように包丁で切って。」薄い布ですら角に凸凹をつけないことは大変なのに、もともと厚い鹿の革。財布など、角や曲線が多い印伝の製品をスムーズに縫っていくには熟練の技が必要だ。
 赤池さんは15歳の時から印伝をはじめ、8年間の軍隊生活を除けば、なんと印伝ひとすじ60年だ。「15歳から5年間年季奉公(ねんきぼうこう)をしましてね。この頃が一番きつかった。その後入った軍隊の方が全然楽でしたね。それまでに鍛えられてたから。仕事ってのを教えてくれないんですよ。“自分で見て覚えろ”って。盗み取りしてくんですよ。自分でどうすれば早くうまくなるのか研究しながら。」

 現在もいたるところで必要とされる、職人の勘
 職人技は教科書のない世界。今では時代が変わり、管理も数値化されてきたとはいうものの、まだまだいたるところで職人の勘は必要だ。「印伝は漆を使いますからね。漆は樹液、生きているものですから、扱いが難しいのです。建物がしっかりしてて湿度と温度が一定だったらいいって訳じゃぁないんです。やっぱり漆をきちんと扱うためには、長年の職人の経験と勘が大切なんですよ。」
印伝を作るのになくてはならない職人の勘。現在は若い世代と年長者との世代交代が緩やかに行われている。ところで、どのくらいたてば職人は一人前といえるのだろう。「5、6年で一通りのことはできますけど、長年やってこそはじめて正規のものができますからね。満足できるようになるのは30から40歳くらいかな。まぁ60年もやってて、まだわしが満足したことないんだからねぇ。」


 今の人に使ってもらってこそ意味がある
 今までも固定ファンを持ち続けながら安定的に支持されてきた印伝。もともとがお財布やカバンという形態で、現在の生活習慣に合っていた。だからこそ、こうして印伝は広まり続けていくのだろう。戦国時代から現在まで、生活様式の変化を柔軟に受けとめながら、絶えることなく多くの人に親しまれてきたこの鹿革細工。「自分が仕上げたものを、みなさんが使いいいように思ってくれることが一番うれしいですね。」という赤池さん。伝統的工芸品だからといって骨董品という扱いではなく、今の人に使ってもらってこそ意味があるとの想いのもと、今後もさらにセンスよく、レベルの高い商品作りを目指してゆく。


 職人プロフィール

 赤池孝治 (あかいけこうじ)

 印伝づくり一筋。
 その豊かな経験は60年をゆうに越える。
 印伝界の歴史の証人ともいえるほどの人だ。


 こぼれ話

 自然素材に自然な味付け「ふすべ手法」

 1回につき10数枚かしかできない、ふすべ手法。天然の革に、時をかけて、人がわらの煙で色づける。だからこそできる、この何ともいえないやさしい味。自然のものに自然素材で人間が味つけをする、そしてそれが粋な、文化になってゆく。自然と人との楽しい関わり。「ふすべ手法」のこの革はそんな日本独自の楽しい文化を思い出させてくれます。

*https://kougeihin.jp/craft/1407/ より

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