「ブルース・スプリングスティーン」
1949年9月23日生まれの71歳
ブルース・スプリングスティーンを今聴くべき理由とは? 誤解されてきた音楽的魅力を再考 Yuji Shibasaki |2020/11/04 18:00
通算20作目となるニューアルバム『レター・トゥ・ユー』が全世界11カ国で初登場1位を獲得したブルース・スプリングスティーン。今も海外では圧倒的な人気を誇る一方、ここ日本ではなかなか伝わりきっていない「ボス」の音楽的魅力について、音楽ディレクター/ライターの柴崎祐二に解説してもらった。
世代を超えた影響力(と誤解)
10月23日に最新アルバム『レター・トゥ・ユー』リリースしたブルース・スプリングスティーン。長年彼に付き添ってきたEストリート・バンドと共に作り上げたその内容は、今彼が何度目かの黄金期を迎えつつあることを高らかに知らしめる圧倒的な出来栄えだ。2010年代を振り返るなら、『レッキング・ボール』(2012年)、『ハイ・ホープス』(2014年)、『ウェスタン・スターズ』(2019年)という充実作をコンスタントに発表してきた他、各地での精力的なツアー、自伝『ボーン・トゥ・ラン』の刊行(2016年)やそれに伴うブロードウェイでの弾き語り公演『スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ』の記録的成功など、既にシルバー世代の仲間入りを果たしたボスの活躍は途切れることがなかった。
US本国を始めとして、彼の人気は今や錚々たるレジェンド達の中でも群を抜いた(そして不動の)ものとなって久しく、今回の米大統領選挙に臨んでの様々な発言を含め、その一挙手一投足が音楽ファンにとどまらない幅広い層から注視されてもいる。また、こうした盤石の支持は、ベテラン・ファンからのものに限らず、現役のミュージシャンを含めた後年世代をも巻き込んだものであることは特に重要だ。ここ数年にフォーカスしても、トリビュート作品『Musicares Person Of The Year: A Tribute To Bruce Springsteen』(2014年)へも参加したアーケイド・ファイアやジョン・レジェンドなどのビッグネームを始めとして、常々ボスからの影響を公言しているウォー・オン・ドラッグスや、先日も名曲「ダンシング・イン・ザ・ダーク」をアンディ・シャウフがカバーしたり、ボン・イヴェールがボスを招いた新曲「AUATC」をリリースするなど、彼へのリスペクトを隠さないアーティストが引きも切らない。男性からの敬愛ばかりが目立つかといえばそうではなく、女性アーティストに目を向けても、代表的にはかねてからメリサ・エスリッジの熱い敬愛があるほか、最近でもシャロン・ヴァン・エッテンが昨年リリースしたアルバム『リマインド・ザ・トゥモロー』に収録された「セブンティーン」が明らかに“ザ・ボス”な曲調であることなど、様々な例がある。
音楽界以外、例えば映画界においてもこうした状況は同様で、古くは「ハイウェイ・パトロール・マン」を基にしたというショーン・ペンの初監督作品『インディアン・ランナー』(1991年)や、近年においてもインド系の女性監督グリンダ・チャーダによる青春映画『カセットテープ・ダイアリーズ』(2019年)や、ボスの代表曲名をそのままタイトルにしたオフ・ビート・コメディ作『サンダーロード』などがあるし、他のジャンルでも……いや、キリがないのでこのへんでやめておこう。
もちろん、日本でも古くからのファンを中心に彼への信頼は止んだことはないが、一方で、現在広く若手音楽ファンへブルース・スプリングスティーンの音楽が浸透してるかというと、やや疑問符を付けざるをえないだろう。かつて『ボーン・イン・ザ・USA』(1984年)以降にあった「マッチョなアメリカ保守の代表」的な極端な思い込みはその後ほぼ払拭されたとはいえ、現在において彼の音楽をライブリーな視点のもとに味わうという態度は、残念なことにあまり一般的とはいえないのではないか。独特の歌詞表現の重要性に鑑みても、第一に言語の壁こそがこの状況を醸成してしまったとはいえるかもしれないが、様々なレベルでアメリカ社会の美質と響き合い、あるいは病巣をえぐり出す彼の音楽が、ここ日本におけるリアリティ(生活実感)と隔絶されたものに感じられてしまう(本当はそうではないはずなのだが)ということも大きいだろう。また、彼の音楽に触発され日本で生まれた音楽が、佐野元春や一時期の長渕剛などの優れた例を除いて、きわめて記号的(袖なしGジャンとバンダナ的な意匠など……)に消費されてしまったこともこの不幸の一要因になっているかもしれない。本来の芳醇なストリート・ロック的思想が矮小化され、ときにパロディの対象にすらなってしまったことが、スプリングスティーン本人への評価と乖離した場面で共有されてきたことは、それが仮に無意識的であったとしても、拭い難い集団の記憶として引き継がれてきてしまったふうだ。
これまで、そのような「誤解」を解こうと様々な批評的努力が積み重ねられ、実際に多くの優れた言説が提出されてきたわけだが、今回のキャリア屈指の新作リリースに伴い、改めて筆者なりのブルース・スプリングスティーン再評価を企図してみようと思う。おそらくそのための正道とは、一般に歌詞面の詳細な読み解きをするという方法なのかもしれないが、本稿ではよりとっつきやすいように、主に彼が作り出してきたサウンドの面に絞った構えで筆を進めてみよう。
元来からの広範な音楽観
まず始めに取り上げてみたいのが、ごく初期キャリアについて。コアなファンには知られているが、彼の本格的な演奏キャリアの発端は、10代の頃地元ニュー・ジャージーで活動したザ・キャスティールズというバンドに遡る。ロックンロールの名曲や、ザ・ビートルズ、ザ・フーなどのブリティッシュ・ビート、あるいは同時代のソウルやR&Bから直接的に影響された、今で言うところのガレージ・パンク的なサウンドを聴かせるローカル・バンドで、スプリングスティーンはそこでギターを担当していた。ヴォーカリストとしてではなく、元々彼がギタリストとして始動したという事実は思いの外重要に思う。後に全盛を極めるシンガー・ソングライター・ミュージック的な弾き語り+バック演奏という単純な図式ではなく、あくまでアンサンブル全体を見通そうとするある時期から貫徹されてきた彼の大方針というべきものは、この時期に萌芽を見ることができるだろう。キャステイルズによる貴重な音源は、先述の自伝の副読的作品としてリリースされたコンピレーション『Chapter and Verse』で聴けるので是非聴いてみてほしい。
今となってはかなり意外な感があるが、この時期の彼は、ニュージャージー・シーン屈指の速弾きギター奏者として認知されていたようで、そのギター・オリエンテッドな方向性がリーダー・バンドでの演奏へ繋がっていく。スティール・ミルと名付けられたそのバンドにおけるスプリングスティーンのプレイは、後の彼の音楽に親しんできた方ほど驚くだろう。巧みなギターさばきは勿論、その音楽性はほとんどグランド・ファンク・レイルロードなどの初期アメリカン・ハード・ロックを彷彿とさせるものだ(これも同じく『Chapter and Verse』で聴ける)。スティール・ミルは当時、あのフィルモア・オーディトリアムのオーナー、ビル・グレアムの目に止まりオーディションを受けたこともあるというから、もしスプリングスティーンがこの路線でレコード・デビューしていたらその後のロック音楽史はかなり違ったものになってのではないか。
これらの例からわかることは、ときに一辺倒なロックンロール・パーソンだと思われがちなスプリングスティーンが、元来からその実相当に広範な音楽観を蔵した人物であったということだ。後の彼一流のロックンロールは突然に発生したものでなく、様々な蓄積の上での果実であったことがわかるだろう。
こうした視点と関連してみるとき、一部ファンからは未だ失敗作などと形容されることのある初期ソロ作品、『アズベリー・パークからの挨拶』(73年)と『青春の叫び』(74年)に対する違った評価も呼び寄せるだろう。初期マネージャーであるマイク・アペルとジム・クレテコスがプロデュースを担当したこの2作は、一般的にスプリングスティーン自身が自らの音楽的アイデンティティを確立する前の習作ともされているが、むしろだからこそ、様々な音楽的な懐を開陳しようとした記録として興味深い。まず前提として、CBSの伝説的A&Rマンであるジョン・ハモンドを前にしての弾き語りオーディションでデビューのきっかけをつかんがことが影響し、CBS及びマネージメント・サイドは彼をセカンド・(ボブ・)ディラン的なキャラクターで売り出そうと画策していた(ハモンドはボブ・ディランをCBSにスカウトした男でもある)。あわせて、先述の通り70年代前半はいわゆるシンガー・ソングライター・ブームの真っ只中で、アコースティック・ギターと歌、簡素なバッキングというプロダクションが主流化していた時期だった。そのため、地元で繰り広げてきたタフなロックンロール・レビュー・スタイルでの録音を求めたスプリングスティーン自身との思惑とどうしてもすれ違うことになっているのだ(特に1stアルバム)。
しかしながら、今あらためてデビュー作を訊いてみると、そのナロウな音質含め、この「控えめな」アンサンブルだからこそ表現された味わいがみなぎっているとも思える。スプリングスティーンのアコースティック・ギター・ストロークはごく小気味よく、フォーク的朴訥(彼がディランからも大きな影響を受けていることは確かに事実だ)とロックのドライブ感が入り混じったネイキッドな質感は、まさに初作ならではというべき青々しい躍動がある。バッキングのリズムを突き抜けて走り進むような速射砲がごときヴォーカルもその印象を一層補完する。
次の『青春の叫び』は、かねてより筆者お気に入りの一枚なのだが、まずは冒頭の「Eストリート・シャッフル」を聴いてもらいたい。R&B的なホーン・リフを交えたパーティー・ナンバーで、1stにあったフォーク的なキャラクターからはみ出ようとする強い気概がある一方、特にリズム面からはソウル・ミュージック的洗練も濃く匂い立っている。初期Eストリート・バンドを支えたデヴィッド・サンシャスのクラヴィネットとヴィニ・ロペスのドラムスはまさに「ファンキー」の見本たるもの。特にヴィニ・ロペスのプレイは当時から批評家筋からの評判が悪かったらしく、確かに後の竹を割ったようなバンドのグルーヴとは似ても似つかないが、ストリート的猥雑と洗練の融合という点から、渾身の演奏と評してもよい気がする(特に3:36〜ブレイク明けからの展開! これはいわゆる「フロア・ユースフル」というやつですらあると思うのだが)。その他、メロウなフォーキー・チューン「7月4日のアズベリー・パーク」の甘辛さ、「57番通りの出来事」におけるフォーク・ロック期のボブ・ディランに通じる爽やかさ、スプリングスティーン流ロックンロール最初の成功形である「ロザリータ」の疾走感、クラシック音楽から拝借したピアノ・フレーズすら交じる壮大な「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」など、雑多だからこそ立ち上がってくる若きスプリングスティーンの音楽的包容力と蓄積が聴きものだ。
ちなみに、時代は飛ぶが「失敗作」関連でもう一つ再評価しておきたいアルバムがある。それは、1987年にリリースされた『トンネル・オブ・ラブ』だ。一般にこの作品は、スターダムを極め尽くしたボスが一瞬の安らぎを求めた「例外的」な作品とされることが多く、相変わらず大セールスを記録したとはいえども、場合によっては音楽的な「低迷期」の入り口とする論調もあるようだ(AOR風のジャケット写真に戸惑ったファンも多かっただろう)。確かに、今作でもEストリート・バンドを従えているにせよフィジカルな質感は希薄で、デジタル楽器/録音特有の質感が前景化したプロダクションだ。しかし、今になって考えてみると、このマイルドな質感はむしろ、昨年リリースの『ウェスタン・スターズ』における西海岸ポップの趣味に通じるようなミドル・オブ・ロード路線の端緒としてみることも可能なのではないか。特に注目したいのが、ひときわソフトな「ウォーク・ライク・ア・マン」や「ワン・ステップ・アップ」、もはやバレアリックとすらいえそうなイントロが意外すぎるタイトル曲などだ。シンセサイザーによる柔和なアトモスフィアとスプリングスティーン流ポップネスの融合は他の作品では得難い本作だけの特徴であり、それこそ、ウォー・オン・ドラッグスの音楽と本作との間に補助線を引いてみたい誘惑にも駆られるのだった。
フォーク路線における豊穣な歌世界
次に、既に本稿で幾度か言及した「フォーク・ミュージック」的要素について突っ込んで考えてみよう。初期作での「やらされていた」弾き語り風スタイルを離れて、初めて自発的にそうした表現へ全面から取り組んだのは、やはり1982年の傑作『ネブラスカ』だろう。本作はバンドのデモとしてスプリングスティーンの自宅でテープ・レコーダーへ吹き込まれていた音源をもとにしており、弾き語りを軸に曲によってごく簡素な音が加えられているものだ。50年代に実際に起こった連続殺人事件の未成年犯の視点で歌われたタイトル曲をはじめとして、まさしくマーダー・バラッド的な沈鬱さを湛えた作品集であるが、そういったダークな色彩を演出するにあたって、この寒々とした簡素な編成がこの上なくマッチしているように思う。曲想自体は(バンド用デモという性格ゆえ)一部ロックンロール的なものもあるが、最も印象深いのは、アメリカという「バッドランド」の奥底に蠢いてきた地霊を掘り起こすような手付きだ。これは、必然的にアメリカン・ルーツ・ミュージックの豊穣と触れ合う作業でもあるし、現在に続く彼の創作スタンスの重要な要素が現れた記録でもある。
その音像も興味深い。深いリバーブを伴ったヴォーカルが、アコースティック・ギターの金属弦と共鳴するように滲み出してくるとき、本作を一種アンビエント的と形容することにしくはない(その意味で、これは後にダニエル・ラノワのソロ作や、彼がボブ・ディランと共同作業した作品に通じるようにも感じる)。
そしてこのフォーク路線は、1995年の『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』で最初の完成を見せることになる。予てよりジョン・スタインベックの小説、並びにジョン・フォードによる同名映画『怒りの葡萄』(1940)年に描かれた「ダスト・ボウル」時代の大不況におけるアメリカの風景と主人公トム・ジョードの姿にインスピレーションを受けてきたスプリングスティーンが満を持して吹き込んだ本作は、『ネブラスカ』に描かれた物語と長く時代に抑圧されてきた「市井の人々」の精神史を接続するかのような見事な話法によって、彼をあのウディ・ガスリーの正統的後継者の座へと着かせるような遠大な世界を作り上げたのだった。そう、フォーク・ミュージックの芳醇を、現代的な詩作とプロダクションによって蘇らせるに至って、今作によってスプリングスティーンは同時期のボブ・ディランに比肩すべき存在へ上り詰めたと言って過言でないだろう。これ以降ボスは、もうひとりのフォーク界のスターであるピート・シーガー翁との共演で話題となった『ウィ・シャル・オーヴァーカム:ザ・シーガー・セッションズ』(2006年)や、『デビルズ・アンド・ダスト』(2005)をはじめとして、折に触れてフォーク・ミュージック色の濃い作品をリリースしていくのだった。
パンクとも共振してきたロックンロール・サイド
ここまで様々な要素について概覧してきたが、やはりここで、その胸のすくようなロックンロール・サイドの魅力についても触れなくてはなるまい。
3rdアルバムにしてブレイク作にあたる『明日なき暴走』(1975年)は、今も昔もボスの代表的傑作として聴き継がれてきた作品だが、改めてこの名盤にふれると、その曲の粒揃い(かつ鉄壁)なことはもちろん、スタジオ作家としての彼の偉大さが再確認される。かつて本作の発表にあたって「僕はボブ・ディランのような詩を書き、フィル・スベクターのようなサウンドを作り、デュアン・エディのようなギターを弾き、そしてなによりもロイ・オービソンのように唄おうと努力したんだ」と語ったように、オリジナル極まりない音楽を生み出した事実とともに称賛すべきなのが、優れたバランス感覚によって実現した極めつけのハイブリッド性がごときものだ。フィル・スペクターとは同時期にディオンのセッションを見学した際に邂逅しているスプリングスティーンだが、当然60年代の少年期からロネッツやクリスタルズなどを通じてスペクターの仕事に憧れ以上の敬愛を抱いてきたこともあり、ここでの取り組み方も生半可なものでない。ギターやホーンの執拗なオーバー・ダブはもちろん、ミックスにあたっても「ウォール・オブ・サウンド」へオマージュを捧げているのは瞭然で、改めて彼のマニア性のようなものが染み出してくる(個人的にも、その事実を強く意識しながら表題曲を聴き直した時のパッと視界が晴れたような感覚は忘れがたい)。他にも、ボス本人が言及した上述のアイドルたちからの影響はもちろん、60年代のスタックス等のサザン・ソウルやボ・ディドリーなど、敬愛する音楽遺産を換骨奪胎しまくる青年スプリングスティーンの姿には、ロックンロール・パフォーマーであると同時になによりも清々しいほどのミュージック・ラヴァーであることが力強く脈打っている。
こうした路線は、マイク・アペルとの訴訟騒ぎもありお蔵入りしてしまった70年代後半のセッション(2010年に『ザ・プロミス』として発掘リリース)や、次作『闇に吠える街』(1978年)でも更に深められてくことになるが、最も充実した形で結晶したのは、1980年リリースされた2枚組大作『ザ・リバー』においてだろう。最高のコンディションにある「世界最大のバー・バンド」ことEストリート・バンドとの演奏は、まさしく恍惚的ともいえるレベルで、豪快ながらも非常に緻密。疾走感と清涼感、重量感と余裕が入り混じった、黄金期ならではというべきものだ。例えば、ザ・バーズなどのフォーク・ロックを下敷きに鋭角的かつポップにアップデートしたような楽曲(「タイズ・ザット・バインド」や「トゥー・ハーツ」など)を始めとして、70年代後半以降に現れたパンク・ロック/パワー・ポップなどとの共振度も並でなく、名曲「ビコーズ・オブ・ザ・ナイト」を提供したパティ・スミスをはじめ、ロバート・ゴードン、グレアム・パーカー(更に、一時期のルー・リードやデヴィッド・ボウイなども含めてよいだろう)らとの交流からも得たであろう「バック・トゥ・ベーシック」な質感が漲る。
ちなみに、本作収録のフィル・スペクター風の大ヒット曲「ハングリー・ハート」は、当初ラモーンズのために描き下ろしていたものだ。近年の『ハイ・ホープス』では、オーストラリアのパンク・バンド、ザ・セインツの「ジャスト・ライク・ファイア・ワールド」を取り上げ(渋い!)、更にはあのカルト・デュオ、スーサイドの「ドリーム・ベイビー・ドリーム」をもカバーし当時から彼らのファンだったことを公言するなど、パンクへのシンパシーと興味は極めて深く、広い。こうした点は、70年代当時各シーンの情報が断片的にのみ紹介されてきた日本のファンにはあまり浸透しなかった事柄なのだが、常に労働者階級よりのカウンター・カルチャーを牽引してきたスプリングスティーンにあっては、ある種当然の事実であるともいえる(デビュー時期がもう少し遅ければ、彼もパンク・ロックの一群にカウントされていたのでは、とすら思う)。こうした視座も、この『ザ・リバー』はじめ、今あらためてボスの音楽をより深く味わうための誘導線になるだろうし、なぜ彼の音楽がいわゆるインディー(DIY)系のミュージシャンから長く支持されているのかを理解する鍵にもなるだろう。
なお、この「バー・バンド」路線は、その後のEストリート・バンドとの共演機会の減少と解散により一時絶たれていたのだが、バンドの再結成ライブを記録したライブ盤『ライブ・イン・ニューヨーク・シティ』(2001年)を経て、スタジオ作においても『ザ・ライジング』(2002年)で鮮烈な復活を遂げた。続く『マジック』(2007年)、『ワーキング・オン・ア・ドリーム』(2009年)、『レッキングボール』(2012年)などもそれを継ぐ充実作といえるだろうし、まさに新作『レター・トゥ・ユー』こそは、デモを参考にせずバンドの一発取りを中心にした内容という点からも、この路線を自覚的に追求した作品といえるだろう。
また、こうしたバンド・サウンドの魅力は、当然ながらライブ演奏によってその本領を発揮するものであるといえる。本来は実際のステージに接するのが一番ではあろうが、それが難しいここ日本でも、大作『“ザ・ライブ”1975-1985』(1986年)から近年の実況録音盤まで、激烈なパフォーマンスを追体験できる各種作品(映像含む)が数多くリリースされているので是非チェックしてほしい(「スプリングスティーン入門にはライブ作品から」は今も昔もよく言われるが、かなり当を得ていると思う)。
ブルース・スプリングスティーンの音楽とは、ことほどさように様々な側面から評価しうるものであり、まだまだ紹介しきれていない魅力も多いのだが、さらなる探索は読者の皆さんの愉しみとしていただくとして、そろそろ筆を置こう。
昨今のインディー・ロック・シーン(特にロックの「終焉」が言われて以降)においては、かつてのロック・キッズ(インディー・キッズ)たちが、いわゆる「編集感覚的」それ自体に没入し、更にそれを倍加的に追求することによって、ある種の袋小路に落ち込んでしまったという見取りが相応の説得力を持っている。そうした「実験」の複雑化(という名のもとに行われる矮小化)を尻目に、ブルース・スプリングスティーンは、かつて自らが約束を交わしたロックンロールをあくまで追い求め、編集感覚を駆使するにせよロックンロールとルーツ・ミュージックに確かな軸足を起き続けることで、ついには様々な文化的小部屋の壁を跨ぐ絶対的存在へと上り詰めた(その地位に相当のストレスを感じるときもあったようだが、今の彼は自然体で楽しんでいるようにも見える)。「アメリカの良心」とは、同時にカウンター・カルチャーの良心でもあり、ロックンロールの魔法は、自身がそうと信じている限り誰にも解けるものではないのだろう。実際にその魔法は今、ブルース・スプリングスティーンの疾走の記録によって、混迷の時代(アメリカはいつでも混迷とともにあるわけで、だからなおさら)において最もアクチュアルな効力を発揮しようとしているようにも思う。その姿に勇気づけられるのは、アメリカで音楽を奏でている者たちとそれを聴く「普通の」者たちに限らず、ここ日本で暮らす「普通の」我々においてもきっと同じだろう。一度でもロックンロールの魔法を信じたことがあるのならば、それはいつでも、再び私達の元にやってくるのだから。
*https://rollingstonejapan.com/articles/detail/34825/4/1/1 より