いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<苺> かんなひめ

2021-04-20 07:47:56 | 食品

 「かんなひめ」

 酸味が少なく甘みが強い、おいしいイチゴです。果皮が硬いため、日持ち性に優れています。11月(神無月)頃から収穫できるイチゴのため、かんなひめと名づけられました。

 甘さ 4.0
 酸味 1.0
 硬さ 4.0

 <品種登録第22823号>
 <品種登録名:垣研9k206号>

 「紅ほっぺ」×「さがほのか」

 愛媛県の垣本商事株式会社が育成
 果皮が硬く、輸送性に優れます。
 小玉で花数が多く、連続性の良い品種です。
 萎黄病の抵抗性が低いという試験結果が見られますので、防除を徹底してください。

*https://www.miyoshi-agri.co.jp/strawberry/kanna-hime/ より

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<言 葉> 春の言葉 葭始生

2021-04-20 07:35:47 | 言葉

 「葭始生-あしはじめてしょうず」

 4月20日は「葭始生」。七十二候の第十六候。

 二十四節気の「穀雨」の初候にあたる。

 水辺の葭が芽吹き始め、山の植物、野の植物が緑一色に輝き始める頃。葭は、最終的にすだれや屋根などに形を変え、人々の生活を手助けしてくれます。*https://www.543life.com/season-kokuu.html より

 

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-三原綱木

2021-04-20 07:14:41 | MUSIC

 「三原綱木」

  1945年11月3日生まれの75歳

 三原綱木は今なお健在!
 ◆三原綱木のギターテクニックは、幼少の頃からクラシックギターをやっていたため、ビートルズのジョージ・ハリスンが日本公演で、彼のギターを褒めた程の腕前。

 三原綱木はブルコメ脱退後は田代みどりと結婚「つなき&みどり」で1972「愛の挽歌」を発売したが離婚で解散。

 三原綱木は、1976年から郷ひろみバンドリーダーを努め、1986年・小田啓義の後を継ぎ、「ニューブリード」バンドマスターに就任。「NHK紅白歌合戦」の指揮・編曲担当。2015年70歳古希を祝うライブ開催。

*https://commu-chika.jp/organizations/196/posts/81 より

 

 【PROFILE】

 生年月日:1945年11月3日 出身地:新潟県
 血液型:O型

 【経歴】
 小学校4年生の時からクラシック・ギターを習い、高校1年生の時からジャズギターを勉強し、クラブのジャズバンドに所属する。その後、渡辺プロダクション系列大橋プロダクション所属の「ファイヤーボール」で約2年間の活動を経て、1964年に田村亘の後任としてブルー・コメッツに入った。
 井上忠夫と人気を二分していたが、単にルックスだけでなくその完璧なまでのテクニックは多くのギターを志す少年たちの手本となり、また夢を与えていた。
 主にブルー・コメッツの中期から後期に掛けての作品など幅広く作曲を担当し、ブルー・コメッツの全盛期を築いた。また、「北国の二人」ではメインボーカルを担当している。
 1976年から8年間は、郷ひろみバンドのリーダーをつとめた。1985年よりフジテレビ系の「夜のヒットスタジオ」のオーケストラ指揮を担当
 1986年から「三原綱木とザ・ニューブリード」を率いて現在に至る。「NHK歌謡コンサート」、「NHK紅白歌合戦」などのステージで指揮や編曲を担当しており、一方、近年はブルー・コメッツを再結成させ、数々の番組に出演している。
 2015年11月15日、HIT STUDIO TOKYOにて自身の70歳古希を祝うスペシャルライブ「三原綱木Happy 70th Birthday LIVE」をザ・ニューブリードのバックバンドと共に行った。
 現役時代の経験を、大いに生かした演奏スタイルと、曲への解釈は大勢の歌手たちから「安心して歌いやすい」と定評がある。また、明るくフレンドリーな人柄から若いミュージシャンからも信頼と尊敬を集めており、広い意味での後進の指導に当たってるといえよう。

*https://j-sha.com/2020/01/28-22.html より

 

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<日本酒> 富山 立山/立山酒造 第三工場

2021-04-20 07:01:02 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(金沢国税局)】
 〈富山〉 立山/立山酒造 第三工場

 

 日本酒「立山」とは?

 立山は、富山県砺波市で生まれた銘酒です。その名は、日本3大名山の1つである「立山」から名づけられ、富山県内での消費率は出荷量の8割以上を誇ります。キレのある辛口の飲み口は、食中酒にはぴったり。地元の人に愛されるおいしい地酒として本醸造から大吟醸までさまざまな種類の立山が流通しています。
 蔵元は「立山酒造株式会社」

 蔵元は、富山県砺波市にある「立山酒造株式会社」です(以下、立山酒造)。創業は1830年。当時の幕府から酒造株を許可された井波町新明屋仙助から酒造りが始まりました。現在は北陸地域最大の蔵元としてその名は広く知られています。

 立山酒造のこだわりは、有数な米所として酒製造には恵まれた環境にある中で、あえて兵庫県産の山田錦をその原料に採用していること。その理由は山田錦がおいしい酒を造るためには最適であることです。そしてその最適な米には、白山を源泉とする庄川の澄んだ水を合わせています。


 立山の味わいと評価
 立山の味わいは辛口で定評があります。山田錦を基準値最大まで精米して使うそのこだわりで、嫌な雑味がなく、透明感のある仕上がりに。純米だからこそあとからやってくるあま味やその風味はとても上品。また、お料理を選ばないので食中酒としても重宝しますよ。

*https://macaro-ni.jp/59565 より

 立山酒造株式会社 富山県砺波市中野217

 ラインナップ

 「立山」大吟醸・無濾過大吟醸愛山・純米大吟醸雨晴・吟醸 など

 

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<伝統野菜> 北海道 食用ユリ

2021-04-20 06:55:43 | 伝統野菜

 「食用ユリ」

 【生産地】北海道

 【形状】食用ユリの品種「白銀(はくぎん)」は、草勢が旺盛で、鱗球の肥大が極めてよく、鱗片は丸みを帯びて、肉が厚く、純白で品質がよい。

 【食味】野菜としては水分が少なく、デンプンを多く含み、たんぱく質の含有量も多い。独特の香り、甘味、食感で、またわずかな苦味がある。和風料理の材料としてあんかけ、和え物、炊き込みご飯、鍋物の具などに広く利用されている。

 【来歴】北海道には古くから、「えぞすかしゆり」「こおにゆり」「うばゆり」などが自生していて、これを先住者たちが食用としていた。

 北海道でのユリの栽培開始は明らかではないが、明治末期には栽培していたと推定されている。昭和10年(1935)には、北海道の各地で栽培されるようになったとされる。

 現在、栽培されている品種は、おにゆりとこおにゆりの白然交雑した中から品質のよい品種を選び、交配実生し、さらに選抜して得た中から育成した「白銀」という品種。関西の市場を中心に出荷されていて、国内消費の大半を占めている。

 【収穫時期】9月~10月

*https://tradveggie.or.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C%EF%BC%8D%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93/#i-11 より

 

●ユリネ(百合根)とは

 ◆ユリ科ユリ属の隣茎(球根) (英)lily bulb (仏)bulbe de lis
ゆり根/ユリネ/百合根
●ユリネは鬼ユリ(オニユリ)、小オニユリ(コオニユリ)などの隣茎(球根)です。たくさんの燐片が重なっているこの隣茎の形から「百合」の字が当てられたと言われています。古くから食用や薬用として利用されてきました。


●ゆり根の「隣茎」とは、字に「茎」が使われているように、実は「根」ではありません。葉が変形したものなんです。

●現在食用として栽培されているゆり根の95%は苦みの少ない小鬼ゆりだそうです。

◆ゆり根の生産は大変
ゆり根(百合根)の栽培はとても時間がかかり、種球から始めると何と6年もかかるそうです。
畑に植え付けするまでに3年、畑に植え付けてから更に3年の月日を必要とします。
また、畑を毎年のように植え替えなければならず、一度植えた畑には最低でも7年は空けなければならないそうです。

●ユリネ(百合根)の主な産地は
◆ほとんどが北海道産
ゆり根の主な産地は北海道の真狩で、北海道全体で全国の約95%を生産しています。

◆京料理に多用されますが「京都の伝統野菜」?
ゆり根は正月に限らず、京懐石料理に良く使われたりしています。一見、京野菜のようなイメージもありますが、「京都の伝統野菜」には含まれていません。とは言っても、京都でも丹波地方などゆり根の生産はされています。

●ユリネ(百合根)の旬は
◆ユリネの旬は晩秋から冬
ゆり根は南瓜やサツマイモなどのように、収穫してから2~3ヶ月寝かせた方がデンプンが糖分に変わって甘味が増し美味しくなります。

京都では丹波産が知られています。こちらは8月頃から秋にかけて収穫されますが、北海道では霜が降りる10月頃から年末にかけて主に収穫されます。

正月料理に使われる事が多いので、いずれも12月に出荷のピークをむかえます。

需要が最も高まる正月前に価格も最も高くなります。それを過ぎた途端に一気に価格が下がりますが、味が落ちるわけではないので、1月2月もお勧めです。

*https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/vegitable/yurine.htm より

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<漢字検定> 1級 読み 54.回答 55.出題

2021-04-20 06:53:07 | 漢字検定

 前回の回答

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 嘲戯  -調戯-ちょうぎ-あざけりたわむれること。からかうこと。

 

 問2 帑幣  -どへい-かねぐら(金蔵)の金銀財貨。

 

 問3 拇印  -ぼいん-手の親指の腹に墨や朱肉をつけて、印鑑の代わりに押すもの。法律上や取引上、印鑑のないときの代用にすることができる。爪 (つめ) 印。

 

 問4 黯然  -暗然-闇然-あんぜん-
 1 悲しみ、絶望などで心がふさぐさま。気落ちするさま。

 2 暗いさま。黒いさま。また、はっきりしないさま。

 

 問5 誣告 -ぶこく-故意に事実を偽って告げること。

 

 今回の出題

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 茗園  

 

 問2 夭折  

 

 問3 聊爾  

 

 問4 綟網  

 

 問5 癘気

 

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書・精選版 日本国語大辞典  より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 福井 越前打刃物

2021-04-20 06:46:56 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「越前打刃物」

 Description / 特徴・産地

 越前打刃物とは?
 越前打刃物(えちぜんうちはもの)は、福井県越前市で作られている金工品です。越前市一帯は古くから越前国と呼ばれていたことから「越前打刃物」の名が付けられています。
 越前打刃物の特徴は、包丁の「二枚重ね」技法や、鎌などの「廻し鋼着け」技法といった独特の工法による手仕上げです。
 「二枚重ね」技法は、刃を二枚重ねたまま裏と表からハンマーで叩いて、鍛え形を作る方法です。二枚重ねで厚みが倍となることから、ハンマーで叩いたときの力がよくかかり、包丁の刃が薄くのびます。また二枚重ねで温度が下がりにくく何度も熱する必要がないため、製品に板むらができにくくなります。
 「廻し鋼着け」技法は、刃先にあたる鋼(はがね)を片隅から全体を菱形に斜めにつぶしていくことから、薄く研ぎやすく丈夫な鎌の刃を作ることができます。これら独特の技法は、軽くて薄く、優れた切れ味が長く続く刃物を作り出しています。

 History / 歴史
 越前打刃物 - 歴史

 越前打刃物は、14世紀前半の南北朝時代初期に、京都の刀匠・千代鶴国安が刀づくりに適した土地を求めて現在の越前市に移り、刀を作るかたわら付近の農民のために鎌を作ったことが始まりとされています。それ以来、越前は農業用刃物の名産地となりました。
 江戸時代には福井藩の保護を受け、鍛冶株仲間が組織されたり、越前の鎌を愛用していた漆かき職人が漆を求めて全国を回っている際、打刃物類を売り回り、各地から鎌の注文を持ち帰ったことから、全国に販路が広がります。
 明治時代になると、福井藩の保護はなくなり株仲間は解散するもの、1874年(明治7年)には、越前の鎌は全国の鎌生産量の3割近く、包丁は約25%を占めていました。以降、昭和時代初期にかけては、絹織物業の発達により桑切鎌や桑切包丁などの需要が高まり、比較的安定した道を歩んできました。
 現在越前打刃物は、昔ながらの手仕上げによる技法を守り、主に包丁、鎌、鉈(なた)、刈り込み鋏などの優れた製品を作り続けています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/echizenuchihamono/ より

 700年の伝統、磨きぬかれた匠の技。「越前打刃物」
 福井県の中核都市、越前市。そこに注目の逸品「越前打刃物」の産地がある。決しておごらず、弛まず、しっかりと本物の技が受け継がれているからこそ、その切れ味と使い易さは格別である。

 
 情熱とこだわり。あくなき技術革新が越前打刃物独特の技法を確立
 なぜ700年もの間、「越前打刃物」が廃れずに受け継がれてきたのかが注目すべき点だが、そこのところを「越前打刃物産地協同組合連合会」増谷浩顧問に伺った。
 増谷さんはこの越前打刃物産地協同組合の設立や越前打刃物会館建設の立て役者。静かな語り口ながら、リーダーシップ固まりのような人でかなりのアイデアマンでもある。
 「越前打刃物の特徴は何と言ってもさまざまな手作りの工程から生まれる強さ、切れ味でしょう。ここの職人のほとんどは若いころから何年も厳しい修行を積み創意工夫して、その技を磨いて来た人間ばかりです。この技というのは一朝一夕には身につきません。まあ一つの段階として最低10年は必要かな。」
 「しかも技だけじゃない。心の問題。つまりモノづくりにかける執念というか、情熱、こだわりも同時に持っていなければならない。この両方があってはじめていいもんをつくれる。だから越前打刃物は一生もんで、刃を研ぎ続ければ小さくなってもずーっと使える。それが本物の条件だよ。」
 代々技だけでなくものづくりにかける心が基盤になってきたこと。それが素晴らしい作品を生みだし、人々に支持される。その好循環がいままで続いてきた最大のポイントなのかもしれない。


 逸品を育てた風土、歴史
 「越前打刃物」は、1337年(南北朝時代)京都の刀匠、千代鶴国安が刀剣製作に適した地を求め、府中(今の越前市)に来往し、そのかたわら近郷の農民のために鎌を作ったことから始まったといわれている。
 が、実際は当時すでに武生では野鍛冶が活動していた。つまり鍛冶の進んだ文化圏として下地があった越前だからこそ名工・千代鶴国安のアドバイスが生きたのだろう。その後、江戸時代は福井藩の保護政策により、株仲間が組織されるなど、販路は全国に及んだ。当初は、漆かき職人が漆かきのかたわらに、刃物を売り歩いたことがきっかけとなった。


 日本古来の火づくり鍛造技術・手仕上げを守りたい
 現在では、包丁・鎌・鉈・刈り込み鋏などが主製品。昭和54年には、刃物産地としては全国で最初に伝統的工芸品の指定を受けた。しかし、鎌や鉈などの特殊な製品は、需要が減って、あとを継ぐ人もいないのが現状。後継者問題はご多分にもれずここでも悩みらしい。
 伝統の技法であるだけに簡単には身に付かない技術、身体で覚える厳しい修行、そして社会の変化。実は会長の息子さん達は後を継いでくれたそうだ。もちろん、まだまだご本人もバリバリの現役ではあるが・・・。
 「でも、息子にはこれは絶対やらせないという工程がまだまだある。それをやらせるには修行が足りないんだよね。本物を作ることは簡単ではない。本物に一歩でも近づきたいなら、その努力の過程を経て、はじめていいものができてくる。それがわれわれ職人の誇りにもつながっていくんだね。」
 「時代は厳しいけどいいものは残る。残していかなければならない。そのために行動することそれが私の役割だね。」そう語る増谷さんの笑顔には、一生をかけて築きあげた信念が感じられた。

*https://kougeihin.jp/craft/0709/ より

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