いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

変な企業CM 誰も何も思わんか?その1. AGC

2021-04-24 15:45:28 | 広告

 現在流れているテレビCMで「変な」企業のものがあると思いません?

 

 まずは「AGC」。

 ♪AではじまりCでおわる素材の会社は AGC.~

 「AGC」って、元は「旭硝子」。

 世界最大級のガラスメーカー。単体で5000億超、連結で1兆5000億超。

 世界に積極的進出をはかるために社名を変更。

 まぁ「Asahi Glass Co., Ltd.」の短縮形だからおかしくはないのだが・・・

 

 それ以上にあのCMはいただけないと思っている人も少なくないかも?

 前のCMもそう。

 高橋一生の滑稽なダンスのCM。

 「AGC」だけを認知させるのにあそこまでやるか?w

 企画制作:博報堂+ピラミッドフィルム
 CD:大島治

 今回も、博報堂CDの大島さんが担当。

 社名の認知をあぁまでするとは・・・よほど「余力」があるのでしょうねw

 

 なにせ旧社名時代の元社員は、すごい違和感を持っているし、なんだか「へんてこ~」と思っているとw

 

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「酒類提供禁止」で「ノンアル飲料」がチャンスに!

2021-04-24 11:32:19 | 米屋の親父のつぶやき

 三度目の緊急事態宣言が発令されました。

 「酒類提供店へは営業自粛」が要請された。

 「酒類提供」を止めれば「時短営業」すれば営業はできる。

 

 なら「酒類」を「ノンアルコール飲料」に代替すれば少しは顧客満足を補えるのでは?

 店頭に「ノンアルコール飲料」各種のポスター掲示をし、少しでも集客に役立てることはできないか?

 

 アルコール飲料メーカー各社は、消費者志向の変化もあり「ノンアルコール飲料」を強化してきた。

 これは絶好の機会-チャンスではないか?

 「ビール系飲料」→「ノンアルコールビール」に

 「酎ハイ」→「ノンアルコールカクテル」などに

 「日本酒」ですら「ノンアルコール日本酒」まである

 

 「酒類提供禁止」に対抗するには、「ノンアルコール飲料」しかないのでは。単に手をこまねいているよりはマシかも?

 ちょっと注目「ノンアルコール飲料」。

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<苺> 恋苺

2021-04-24 10:35:38 | 食品

 「恋苺」

 「恋苺」の特徴
 通年収穫可能(温度に不感)
 “恋苺”は、高温でも低温でも温度に関係なく花芽をつける特性を持っているので、 従来品種で必要であった特別な処理(短日処理、低温処理、窒素飢餓等)を行う必要がありません。

 夏でも高糖度
 “恋苺”の糖度は、冬季には、18度前後、夏季には11度前後と、甘く感じるイチゴです。 (ただし栽培環境により変化します。)

 食味のよさ(高い商品価値)
 “恋苺”は、、大きさ色や形、香り艶も申し分なく、果皮の堅さと中身の柔らかさがほど良いバランスで食感 も良く、輸入性にも優れています。

 耐病性(60年の交配による、地道な研究)
 “恋苺”は、意図的な病気の環境の中から選抜し、誕生した品種ですので、多くの生産者からも病気に強いと 定評を受けています。病気に強く、農薬散布の回数を減らすことが可能となります。

 バイオ苗で提供(樹勢が強い)
 “恋苺”は、生長点培養(メリクロン技術)で生産したバイオ苗で提供します。バイオ苗は生長が早く、定植 後2~3ヶ月から収穫することが可能です。 また、従来品種のようなランナー取りが不要のため、1年を 通じて収穫ができ、その収量は従来のものに比べ3~4倍になります。

*https://nii-bio.jp/koiichigo/ より

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<言 葉> 春の言葉 晩春

2021-04-24 09:12:22 | 言葉

 「晩春」

 【子季語】 季春/春終る
 【解説】 春の終わりのころを言う。北国も雪解けが進み、春たけなわとなる。田打ち、種まきなど農作業も本格的になる。

*http://kigosai.sub.jp/archives/9685 より

 

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-ジーン・シモンズ

2021-04-24 08:07:41 | MUSIC

 「ジーン・シモンズ」

 1949年8月25日生まれの71歳

 

 ジーン・シモンズ「ロックが死んだのは、若いファンが原因」 2021.2.9 21:59

 「ロックは死んだ」との持論を持ち続けるキッスのジーン・シモンズは、それを招いたのは若い世代のミュージック・ファンだと考えているそうだ。

 2014年、『Esquire』誌での息子との対談で「ロックは歳を取って死んだんじゃない。殺されたんだ」と話し、その後も「ロックは死んだ」と繰り返し発言してきたシモンズは、ニューヨークのラジオ局Q104.3の番組で、それはラジオのエアプレイやストリーミング数の観点からかと問われると、こう答えた。

 「あらゆる点でだ。そして、その原因は若いファンたちだ。君らが、自分らの愛するものを葬ったんだ。ストリーミングが出てきてすぐ、君らは、陰に潜んでいた素晴らしいニュー・バンドたちのチャンスを奪ったんだ。彼らは音楽をリリースしたって、ちっとも金にならないから仕事を辞められない。君らがダウンロードしている限り、1ペニーの100分の1とか1000分の1にしかならない。100万回、10億回ダウンロードされてやっと数千ドルだろ。そういうファンに葬られたんだよ。この業界は死んだ。ってことは、次のザ・ビートルズとかは、俺らのようなチャンスには恵まれないってわけだ。俺らには、金を出してくれるレコード会社がいて、アルバムが作れたり、ツアーができた。9時5時の仕事を心配しなくてよかった。9時5時の心配があると、自分の作品にじっくり取り組めない」

 そして、「Napsterや違法ダウンロードが出てきたころ」状況が変わったと、こんな喩え話を上げた。「1匹のキツネが鶏舎から卵を盗んだ。でも、殺されることはなかった。そうすると、他のキツネたちは“おい、俺ら、卵がただで手に入るぜ”と言い出す。そんなことしてたら、農家が破産し、卵が無くなるってことに気づきもせずに。卵がないスーパーもつぶれ、卵を配達していたトラック会社もつぶれる。最初に卵を盗んだキツネを殺さなかったからだ」

 シモンズは、2014年の時点では、「インターネットとかNapsterとかのせいだ。ダウンロードしファイルシェアするのは、新しいバンドがフルタイムで活動できるチャンスを潰すことになる。俺らが始めたときと同じように、いまも才能のある連中はいる。でも、新しいバンドは母親の地下室で暮らさざるを得ないだろ。人々がダウンロードやファイルシェアするせいで、音楽はフルタイムの仕事にならないんだから。あいつらの特権だよ。俺らがそれを許したんだ。止めるよう訴えなかった。だから、みんなの責任だ」と話し、このような状況では第2のザ・ビートルズや第2のザ・ローリング・ストーンズが誕生するとは思えないが、それでも、新しいバンドには頑張って欲しいとエールを送っていた。

Ako Suzuki

*https://www.barks.jp/news/?id=1000196604 より

 

 ジーン・シモンズ
 ロックバンド、KISSのベーシスト、ボーカリスト。1949年イスラエル・ハイファ生まれ。母親のフローレンスさんはナチスの強制収容所のサバイバー。58年に母親とともに米国に移住。当初英語がまったく話せなかったが、テレビやマンガを通じてマスターしたという。ビートルズにあこがれ、学生時代に音楽活動を開始。70年代初頭、ポール・スタンレーとKISSを結成。シングル、アルバム総売り上げは1 億3000万枚超にのぼり、現在も活動を続けている。実業家としても知られ、キャラクタービジネス、ブランドビジネスの可能性にいち早く気づき、ライセンス商品、権利管理、分配などを自ら担当。音楽関連以外にも数々の事業を手がけている。

*https://business.nikkei.com/atcl/interview/16/060700004/060900005/ より

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<日本酒> 福井 常山/常山酒造 

2021-04-24 07:37:58 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(金沢国税局)】
 〈福井〉 常山/常山酒造

 CLIMATE 風土

 越山若水と呼ばれる緑かがやく山々と清らかな水、そして雄大な日本海。常山酒造のある福井県は豊かな自然に恵まれ、海の幸・山の幸など旬の食材が揃う食の宝庫として知られています。昔から日本有数の米どころでもあり、白山水系を水源としたミネラル豊富な水と変化に富んだ気候は酒づくりにも最適な環境です。

 常山酒造は福井の気候風土に寄り添いながら、酒米や水にこだわり、きれ上がりの良い淡麗でありながらも米の旨みを十分に引き出す“淡麗旨口”すなわち“越前辛口”を表現する酒づくりを特長としています。
常山の酒米は、福井県嶺北地方のほぼ中央に位置する福井市美山地区で育てられています。その名の通り美しい山に囲まれた美山の地で大切に育てられた米と、清らかな水から常山の酒は生まれます。

 山の呼吸が実りを育み、ゆるやかな時を重ね、自然と融け合い醸された酒ひとしずく。
その一滴に想いを込めて、真摯に酒づくりと向き合っています。

 SYMBOL 象徴

 常山酒造のシンボルとして掲げている亀甲の紋章は、数字の「六」をモチーフに象られています。
 初代蔵元「勘六」という名に刻まれた「六」からインスピレーションされた「六」つの山形の中心に亀甲を配した、シンプルで力強い象となっています。

 六角形は大自然界の秩序に適合した、最も安定した力を発揮する形といわれています。調和・バランス・周期・融合・美を一つにまとめ、亀甲の紋様に常山の想いを重ねました。

 HISTORY 歴史

 常山の歴史は400年前にさかのぼります。古くより日本有数の貿易港・三國湊で、綿屋という名で藩の御用商人として江戸時代初期より商いを営み、元和7年(1621)に領地を賜り福井へ移りました。福井藩公認の両替商となり福井きっての名家として栄え、やがて城内から現在の地へ移り、江戸時代末期に「常祝」の銘で酒づくりを始めたのが常山酒造の始まりです。

 その後、福井名産品の高級絹織物・羽二重の名を冠した「羽二重正宗」が生まれ、絹のようにのど越しなめらかな清酒として広く地元で親しまれる事となりました。そして、さらなる高みを目指し「銘酒としてその名が轟くように」という想いをこめて誕生したのが現在の主力銘柄「常山」です。

 当代で酒蔵として8代目を数える常山家。時代の変化を見極めながら変革を繰り返し、代々繋げてきた精神を継いで、これからも伝統文化を守りつつ、新しい発想と独自の感性を大切にしながら日本酒の魅力を伝えていきます。

 常山酒造合資会社 福井県福井市御幸1丁目19-10

 ラインナップ

 「常山」純米超辛・純米大吟醸 超辛・特別純米とびっきり辛口・純米吟醸 槽場初詰・大吟醸 播州山田錦・純米大吟醸 越前山田錦・大吟醸 吉祥黒松

 「霞」純米吟醸 

 「旬吟 香の栞」

 「玄達」純米吟醸 

 「荒磯」純米大吟醸  など

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<伝統野菜> 北海道 まさかりカボチャ

2021-04-24 07:30:29 | 伝統野菜

 「まさかりカボチャ」

 【生産地】北海道

 【形状】色は黒やダークグリーンで形がふぞろいで重さ約2kg位になる。ラグビーボールのような形で、皮が非常に硬く、太刀やまさかりでなければ割れないのが名前の由来。

 【食味】中身はホクホクとした食感で、クセのない甘みがある。

 【来歴】明治11年にアメリカから輸入された「ハッバード」という品種が、北海道の気候に順化したものとされている。冷涼な気候に適しており、長期保存ができるため、北海道の冬場の貴重な栄養源として、開拓期の頃から昭和30年頃まで栽培されてきた。皮が硬く調理しにくいことから、栽培者が減り、「幻のカボチャ」と言われている。現在は、生産者の直売などで入手可能。

 平成20年に士別の農業成年者団体が「まさかりかぼちゃ」のを使って交配した「まさかり岩男」として新たに誕生させた。

 【収穫時期】9月初旬~ 出荷時期10月~12月中旬

*https://tradveggie.or.jp/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e4%bc%9d%e7%b5%b1%e9%87%8e%e8%8f%9c%ef%bc%8d%e5%8c%97%e6%b5%b7%e9%81%93/#i-17 より

 

 まさかりかぼちゃの士別ブランド「まさかり岩男」の消費拡大に取り組むBLUE SEEDSのメンバー。
 BLUE SEEDS 「まさかり岩男」

 開拓時代の味、幻のかぼちゃ

 北海道開拓時代、人々のお腹を満たしたかぼちゃがあります。まさかりで無くては切れないほど皮の硬い、その名も「まさかりかぼちゃ」。明治開拓当時、米国より導入された「ハッバード」種が、道内各地で在来化したもので、北海道では昭和30年代まで広く栽培されていました。戦時中は、まさかりかぼちゃが主食代わりだったという方もいます。味はすっきりとした甘みがあり栗のようにホクホク。しかし、まさかりを使わないと料理できない不便さのせいか、急速に栽培が減少。昭和40年代には姿を見なくなり、幻のかぼちゃとなっていました。

 僕達だけの種・・・まさかり岩男の誕生

その「まさかりかぼちゃ」が、「まさかり岩男」として復活しました。「まさかり岩男」を作るのは、士別市のBLUE SEEDS(会員13名)。同団体は「士別の新しい特産物を作ろう」と、平成13年に結成された農業青年者団体です。

 「BLUE SEEDS」は直訳すると青い種。そこには「未熟者。まだまだ自分たちはこれからだ」という思いが込められています。平成13年に仲の良い仲間6名が集まってスタートしたBLUE SEEDS。当初は、ブルーベリーの栽培に挑戦。しかし収穫に手間がかかり、なかなか軌道に乗りません。そこに来たのが、まさかりかぼちゃの依頼でした。

 「北海道中央農業試験場が保存するまさかりかぼちゃの遺伝資源の特性を調査して欲しい」。平成17年、そんな依頼がBLUE SEEDSのもとに来ました。数種類のまさかりかぼちゃの在来種の特性を調べ、試験交配を行うのです。
 さっそく、メンバーが家の畑でそれぞれの種類を栽培。翌年は、そこから何種類かを掛け合わせて交配させます。より美味しい味を求めて、試験交配は3年続きました。平成20年、交配した多くの中から一番食味が良かった組み合わせ種子を「まさかり岩男」と命名しました。その年は、250株の栽培で500kgのまさかりかぼちゃを収穫。平成23年には、2.7~3.0トン(1個約3kg)まで収穫数を伸ばしています。
 「それは、僕達だけの種。ここにしかない種です。せっかくできた種を『美味しかったね』だけで終わらせたくない」と、BLUE SEEDS 5代目代表の佐藤貴之さんは語ります。
 まさかり岩男は、形も独特なひょうたん型。皮の厚みは約2mm。ホクホクとした素朴なくせのない甘さで、茹でてから数10分時間が経った後でも、鮮やかな黄色のまま。そして「硬い」と言われる皮は、ほんとうに硬くて歯でかじってもビクともしません。その代わり、実は皮からホロッと簡単に綺麗に取れます。

 地元の力で、かぼちゃのスイーツ

 まさかり岩男の販路拡大を目指し、当時BLUE SEEDSの代表だった大友仁司さんと石黒修さんは、慣れない飛び込み営業で卸し先を捜し回りました。素材としての魅力を認められ、札幌の洋菓子店と小樽のホテルで使ってもらえる事に。ただ、皮が硬いためペースト状にしなくては売れません。初めは、ペーストにする加工代が先に発生するため、メンバーでお金を出し合ったこともありました。
 地元でも、北の菓子工房もり屋が協力し、まさかり岩男を使って商品を開発。ムースのような食感の「まさかり岩男かぼちゃのぷりん」を販売しています。また、士別翔雲高校の商業科でも、地元のものを使って商品を作る実践授業で、生徒達はかぼちゃプリンを使ったお菓子を発案。若者らしい自由な発想で、ロールケーキの中にプリンを閉じ込めてしまいました。この「かぼプリロール」も、同店で販売しています。「地元のものなので、まずは地元で使ってもらいたいと思っていました。もり屋さんには感謝しています」と佐藤さん。全国版の新聞でもまさかりかぼちゃの事が紹介され、「昔食べて忘れられない味。あの懐かしい味をもう一度食べてみたい」と全国の北海道出身者から多くの注文が来ました。

 "ブルーシーズ"未熟者の挑戦

 佐藤さんは、ふぁーむさとうの4代目。30歳の時、地元に戻り本格的に農業を始めました。かつて旅行会社の添乗員として全国を回りわかったのは、この町の良さでした。「士別は野菜が美味しい。この野菜をすぐ近くに居て食べられる人生も良いと思った」。他のメンバーも4~5代目が多く、地元に根付き代々の土地を守っています。「皆、気がついていないだけで、士別は良い町だと思う。だから、こうして後を継ぐ人たちがいる。皆が戻ってきたくなる土壌があるのに、今1つくすぶっている感じがある」。メンバーは、色々なイベントにも積極的に参加。「僕達が頑張っている姿が人目に付いて刺激になってくれたらと思います。それで、若い人たちがもっと盛り上がってくれたらと思う」。

 できるだけ皆が代表を経験して、新しい風を取り込めるように、BLUE SEEDSは2年毎に代表が変わります。平成27年現在は、佐藤さんに代わり沼舘 圭一さんが代表を務めています。

 沼舘さんはBLUE SEEDS立ち上げ時からのメンバー。当初まだ20代半ばだった沼舘さんも士別に根を張り、十数年にわたってBLUE SEEDSと共に農業の道を歩んできました。

 まさかりかぼちゃの交配実験を行い、その名を復活させたのも実は沼舘さんなのです。「せっかくここまで“まさかりかぼちゃ”と関わってきましたので、私が先頭に立ち、士別の特産品化を目指そうと意気込んでいるところです。まだまだですが」と志を語る沼舘さん。今後の活動目標として消費拡大・販路開拓を掲げ、先頭に立って地域の特産品創出により一層力を入れています。


 BLUE SEEDSは北海道の平成25年度優秀農業青年クラブで最優秀賞を受賞し、さらに平成27年には全国の優秀農業青年クラブで農林水産省経営局長賞を受賞するなど、その活動が高く評価されてきています。士別に芽吹いた“青い種たち”は十年以上の努力を経て見事に花を咲かせ、そしてこれから夢の実りを迎えようとしているのかもしれません。

*http://www.kamikawa.pref.hokkaido.lg.jp/ss/srk/113_blueseeds.htm より

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<漢字検定> 1級 読み 58.回答 59.出題

2021-04-24 07:20:35 | 漢字検定

 前回の回答

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 譴責  -けんせき-
 1 しかり責めること。不正や過失などを厳しくとがめること。

 2 懲戒処分のうち最も軽いもの。職務上の義務違反について警告し、将来を戒めること。現在、法令上では戒告という。

 

 問2 抒情  -叙情-じょじょう-自分の感情を述べ表すこと。

 

 問3 耽美 - たんび-美を最高の価値として、ひたすらその世界に心を傾け陶酔すること。

 


 問4 拈出  -捻出-ねんしゅつ-
 1 知恵をしぼって考え出すこと。

 2 やりくりして、金銭・時間などをつくること。

 

 問5 贅肬 -贅疣-ぜいゆう-
 1 いぼやこぶのような、よけいな肉。

 2 無用なもの。むだなもの。

 

 今回の出題

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 桎梏

 

 問2 綾羅  

 

 問3 謬説  

 

 問4 截然  

 

 問5 駑鈍

 

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書 ・精選版 日本国語大辞典 より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 山梨 甲州水晶貴石細工

2021-04-24 07:15:56 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「甲州水晶貴石細工」

 Description / 特徴・産地

 甲州水晶貴石細工とは?
 甲州水晶貴石細工(こうしゅうすいしょうきせきざいく)は、山梨県甲府市で作られる石細工です。天然の鉱石に美しさをプラスする貴石細工は、透明感溢れる貴石(きせき)が持つ色や輝きを損なうことがありません。自然が生んだ天然の貴石に彫刻を施し、入念に研磨をすることによって芸術作品を仕上げる伝統工法です。
 甲府は古来より水晶の産地であったため、水晶細工が作られてきました。
 甲州水晶貴石細工の特徴は、躍動感のある動物や縁起のよい登り龍、子どもにも愛されるチャーミングなキャラクターなど多岐に渡るデザインです。職人の手作業によって、原石を削り出し彫刻して磨く、という工程で進められます。
硬質な分、刃の当て方や力加減によって一瞬で原石を傷つけたり破壊する可能性があるため、緊張した作業が続けられます。石を鎖状に彫る遊環(ゆうかん)は甲州水晶貴石細工を代表する技術で、硬質な貴石を彫り込んでいくには伝統的な高い技術を駆使できる職人の存在が必要です。

 History / 歴史
 甲州水晶貴石細工の起源は、平安時代に山梨県北部の御岳昇仙峡、金峰山周辺から水晶の原石が発見された当時に遡ります。発掘された水晶は、原石をそのまま信仰の対象として置物にするなど、珍重されてきました。
 1830~1844年(天保元年~15年)になると、京都の玉造より職人を呼び、産地で玉の手磨き法を習得します。鉄板の上に金剛砂をまいて玉を手で磨く「甲州研磨」が定着し、装飾具などがつくられるようになりました。 1876年(明治9年)には山梨県令であった藤村紫朗が甲府に水晶加工部を置き、清へ技術講習生を送り込むなど職人の育成を奨励します。
 しかし明治時代末期には水晶の資源が絶えてしまい、大正時代にはいると輸入した水晶、めのう、ダイヤモンドなどの貴石を加工する、研磨技術を生かす産地となりました。設備が電化されると精密機械部品の生産にも着手します。
戦後はその多くが海外向けとして輸出されたものの、昭和後半のドルショックを境に、国内向けに技術を駆使した工芸品を生産し、美術品としての質を高めました。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/koshusuishokisekizaiku/ より

 職人と石との響き合い、甲州水晶貴石細工
 貴石を用いた仏像彫刻。木彫りとは全く違った加工方法の魅力もさることながら、石と職人さんとの関係も、水晶のような奥が深さを見せてくれる。
 石の魅力に惹かれ続けて数十年の伝統工芸士、小澤さんと詫間さんにお話を伺った。

 
 昔から神聖なものを作ってきたんです
 身延線南甲府駅から5分ほど歩いていくと、軒先に大きな石が山積みされた建物がある。甲州水晶貴石細工、小澤さんの工場(こうば)である。工場へ入ると想像をはるかに超えた原石の山。これらは遠くアフリカやブラジル、マダガスカルから運ばれてくる。「戦後はほとんど、原石は外国からですね。始まりは昇仙狭なんかの水晶だったんですけど、最近はもう日本ではとれなくってね。」と小澤さん。今でこそ外国の石を使っているが、水晶貴石細工自体はここ甲府で、すでに江戸時代から始まっていた。
「はじめは玉づくりだったんです。それを眺めて宝物にしたり、お寺に奉納したりしてたんですよ。」と詫間さんが教えてくれる。そこから彫刻技術が発展し、現在では仏像はもとより、干支(えと)や大黒様などの縁起物(えんぎもの)、茶道に使う茶器、また別途アクセサリーも製作している。

 石っていうのは地球と一緒にできたもの
 「水晶ってのは山の奥の奥のほうでとれるんですけどね、たまたま何かの拍子に岩の中に水と一緒に閉じ込められて、何千年もかけて育ってくんです。で、ある日突然地震とかで中の水がドーッてでると、中から水晶がキラキラキラーッってね。それはもう、すごい光景だそうですね。」と小澤さんは目を輝かせて語ってくれる。「石っていうのはね、地球が46億年前に生まれた時に一緒に出てきたもんですよ。永い時をかけて自然が育んできたもんだから、キズやくもりがあるのは当然です。石ってのはどんなに科学が発達しても、種をまいたら生えるってことが絶対ない。1回掘ったらそれっきりない、それが石の尊さですよね。」


 自ら輝きを放つ、甲州水晶貴石細工
 人類の歴史すらちっぽけにみえてしまうほど、永い永い時をかけて育ってきた貴石類。自然界の偶然がつちかったそれは息をのむほど美しい。小澤さんの工場にある原石を見て、お話を聞き、作品を見ると、これらの貴石が信仰の対象とされていったのかわかる気がする。
 この石で作られた仏像。それは木彫りとは全く違った魅力をもっている。石の上に漆や金箔や塗料など、何かを塗ったわけではない。だが信じられないほどのこの輝きは何だろう。人が上から手を加えずとも、仏像自ら、内側から輝きを放っているのだ。この「神々しい」という言葉がピッタリの輝きは単に原石がいいだけではない。彫る前に気を引き締め、神経を集中させて職人さんが一気に彫ってゆく。そして落ち着いた気持ちの時を待ち、最後に目鼻をスーっといれる。そうして石に新たな命が吹き込まれる。
 自然界の神秘に惹かれた人間が、想いをこめて磨き、彫り上げる。石と職人の響きがあってはじめて、仏像は仏像としての命をもつ。


 ある日突然わかるんです。「あ・なんだそうか」って
 とはいえ、そういった仏像は誰でも彫れるわけではない。「仏像ってのはね、10年も20年もやった人が作ってもね、仏像が仏像にならないってことがよくあるんです。」と詫間さん。「顔の表情ってのが難しいんです。50年やればわかるっていうのじゃない。悟りをひらかなきゃあかんのです。“あ、なんだそうか”というのがある日突然わかるんだよね。それまでは彫っても彫っても全然わからん。何としてもうまくいかないもんですよ。」こう語る小澤さんでさえ、もう31年やっているが、“わかった”のは7、8年前だという。

 まずは知って、知ったら一度見てください
 太古の昔から神秘性をもった石。その石を扱う貴石細工は今後どのようになってゆくのだろうか。詫間さんはインターネットに明るい未来を感じている。「私たちは作ってばっかりいてね、営業とかしないでしょ。だから全然人に見せる機会がなかったんです。でもインターネットがあれば全国の人の目に届くし、お客さんとの直接の取引になるから業者にマージンもとられなくって、だいぶ安く売れますよね。」宅間さんの息子さんも昨年からこの道に入り、今は水晶細工のホームページを製作中。全国の人に、今まで知れてなかった貴石細工の魅力が知れわたる日もそう遠くない。とはいえこの貴石細工、間近で見てこそ、じんじんと伝わってくる魅力をもっています。ぜひ一度本物を間近で堪能してみて下さい。

*https://kougeihin.jp/craft/1201/ より

 

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