「山形の小京都 酒田」
江戸時代、酒田が北前船の港として栄えた歴史を持つのは、庄内地方が米の一大産地だったことによる。最上川の河口に港町だった酒田は、川村瑞賢が北前船の西回り航路を整備したことで、一気に江戸時代の主要港町に踊り出ることになり、それは「西の堺、東の酒田」と謳われたほどだ。
北前船による交易では、人や荷物の往来だけではなく、京文化も一緒に運ばれてきた。日本一の大地主として、藩主以上の力を持った豪商・本間家などが登場するのもそのころだ。井原西鶴の「日本永代蔵」に北国一の米商人として登場する鎧屋も実は酒田の商人。今はやや閑散とした雰囲気のある中心部だが、市内を歩くと随所に繁栄の跡を感じることができる。
また、当時の豪商が収集した文化財は、今では美術館などで公開されている。
港町としてのシンボルとなるのが、山居倉庫(さんきょそうこ)で、百年を経た今でも実際に使われているから驚く。
市内には港町の面影をあちらこちらに見ることができる。
六角灯台も自慢のひとつで、至る所で六角形をモチーフにしたモノを見かける。
「古寺巡礼」などで知られる写真家・土門拳の出身地でもあり、氏の業績を記念して作られた土門写真記念には遠方より訪れるファンも多い。
=山形県の小京都・酒田市の観光ポイント=
江戸時代からの「豪商の面影」を見ることができる
「山居倉庫」
米どころ庄内のシンボル山居倉庫。1893(明治26)年に建てられた米保管倉庫です。
米の積出港として賑わった酒田の歴史を今に伝え、NHK朝の連続テレビ小説「おしん」のロケーション舞台にもなりました。
白壁、土蔵づくり9棟からなる倉庫の米の収容能力は10,800トン(18万俵)。夏の高温防止のために背後にケヤキ並木を配し、内部の湿気防止には二重屋根にするなど、自然を利用した先人の知恵が生かされた低温倉庫として、現在も現役の農業倉庫です。
敷地内には酒田市観光物産館「酒田夢の倶楽」、庄内米歴史資料館が併設され観光客で賑わっています。
樹齢150年以上のケヤキ35本の連なるケヤキ並木の色合いは、季節とともに変わり見る人を魅了します。
2021(令和3)年3月26日、国指定史跡に認定されました。
「北前船で富を築いた豪商達も愛した料亭文化」
江戸時代から酒田を代表する料亭であった「相馬屋」。木造の主屋は、1894(明治27年)の庄内大震災の大火で焼失してしまいましたが、残った土蔵を取り囲み、伝統に新しい息吹を加えて修復した「相馬樓」で、酒田舞娘の踊りやお食事を楽しみ、雛人形や古美術品の展示も見ることができます。
*https://www.little-kyoto.com/yamagata/sakata.html より
*やまがた 酒田さんぽ より
何度も訪れている「酒田」。しかし、時間の余裕がなく、見て回ることを一度もしていない。
「西の堺、東の酒田」という言葉はあまりにも有名。酒田には「堺町」という町名もある。私が通った「堺市立市小学校-明治5年開校」は、江戸時代 「米市場」だった場所。酒田から北前船でお米を運び、最終寄港地「堺」にまでやってきた。当店も江戸時代創業なので、関りが深かったことに時代を超えて感慨深い。
今年は数年ぶりに訪れる予定。最低でも「山居倉庫」ぐらいは見学してみようと思います。