いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<都市の異名> 木都

2022-07-29 07:43:09 | 都市の異名

 「木都 能代」

 「木都能代」の言われ

 明治になって新産業が台頭すると、木材界にも新風が流れ込みました。明治の政商大倉組や、深川の材木問屋久次米商店が秋田材に目を付け、農商務省とかけ合い、大量の秋田材を伐りだしていきました。
 主として板に製品化された木材は、東京・大阪などの新都市建設で需要が伸びる一方でした。井坂は、明治40年(1907)に資本金200万円の秋田木材株式会社を創立しました。当時としては破格な規模の工場を持ち、全国に販売網を拡げ、北海道・樺太・朝鮮にも原料供給の基地をつくりました。
 すでに秋田材は枯渇の危機を迎えていましたが、第一次大戦の、いわゆる大戦景気に乗って、国内はもとより海外にまでその経営網を拡げて、「東洋一」の秋田と称せられ、その故に能代は「木都」と称せられたのです。

 

 木材関連の建物

・能代木材工業団地

 能代木材工業団地は、能代港に隣接した臨海部(約13ヘクタール)と、港湾道路で結ばれた内陸部(約15ヘクタール)にわかれた近代的な総合木材工業団地です。各工場からは、長年培われた豊富な経験を生かした高度な技術で、それぞれ特色ある優れた製品が生み出されています。

・能代市内の小学校

 能代市内には木造建築の小学校があります。ある小学校の校舎は秋田杉のフローリ ングや木製のサッシ、秋田杉の小径木や間伐材を利用した机やいすなど枚挙にいとまがありません。また、別の小学校では廊下では採光を考え、障子を組み込み光を取り入れられるようにしていたり、正面昇降口には杉を縦格子状に巻きつけた柱がそびえ、ひと際目を引きます。

・木の学校

 色々な道具を使って、作品を仕上げていきます。森林や木を正しく知り、木に直接 触れ、木の良さを学び、木工の楽しさを体験する施設です。教室は常に盛況で、市民の木材に対する関心度の深さがよく見えます。


・木材高度加工研究所  

 木材産業の高度化や、木材製品の付加価値の工場を支援する為の研究開発拠点とし て、この研究所は建設されました。ここでは杉を中心に、秋田県の木材産業を従来の資源依存型から、技術立地産業へ転換する為の木材利用の先端技術を開発しています。

・能代木材工業総合展示館  

 原木の伐採から搬入、生産工程の移り変わりを見ることが出来、木都能代の歴史を 感じることができます。建具や家具、住宅建築など、現在の職人技も各種見ることが出来、自然を生かす技と、知恵に驚かされます。

・銘木センター

 協同組合秋田県銘木センターは、昭和47年秋田杉を利用する全ての業者に木材の流通が円滑化する開かれた拠点となるべく創設されました。能代の基幹産業である木材の製品の出荷では重要な役割を占め、天然秋田杉を主体とした銘木製品、一般建築、盤類、原木などを取り扱っています。

*https://www.city.noshiro.lg.jp/res/kanko/theme/1202 より

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<日本おもちゃ大賞2022> すみっコぐらし ピピッとスキャンでおかいもの!すみっコセルフレジスター/アガツマ

2022-07-29 07:33:27 | 日本おもちゃ大賞

 日本おもちゃ大賞2022

 ベーシック・トイ部門-五感を育む基礎的な玩具

 < 大 賞 > 「すみっコぐらし ピピッとスキャンでおかいもの!すみっコセルフレジスター」

 

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<和製英語> ハイウェイ

2022-07-29 07:28:08 | 言葉

 「ハイウェイ」

 高速道路の意として使われる。

 英語の「highway」は、公道、特に複数の町の間を結ぶ幹線道路のこと。法的定義として「自動車が通行できる公道」とされることがあり、この場合は住宅街の道から高速道路まで、あらゆる道が含まれる。*Wikipedia より

 高速道路を英語では、《主に米国で用いられる》 a freeway; an expressway; a speedway; a superhighway; 《主に英国で用いられる》 a motorway; a turnpike (有料の).。*weblio辞書 より

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<ぶどう> ルビー・オクヤマ

2022-07-29 07:21:05 | 果物

 「ルビー・オクヤマ」

 ■ルビー・オクヤマとは?
●マスカット・オブ・イタリアの突然変異種
 ルビー・オクヤマは、ブラジルで農園を営む日系ブラジル人の奥山孝太郎氏が自園の「マスカット・オブ・イタリア」の中から発見した、皮が赤く着色する「イタリア」の枝変りで、奥山氏の名前と、果皮色のルビー色から「ルビー・オクヤマ」と命名されました。

 1982年に種苗法に基づく登録出願され、1984年に品種登録されています。

 元となっている「マスカット・オブ・イタリア」はイタリア国立ローマ育種学研究所から生み出された高級な白ブドウ品種として知られています。

●ルビー・オクヤマの特徴
 大粒の果粒で皮の色は黄緑色の地にルビー色に色付いた部分があり、日に当たる加減や環境によって色付き具合には差が出るようです。

 果皮が薄く果肉と密着し、手で綺麗に剥けない粒も多いです。果肉は崩壊性で、薄い皮と共に食べると、パリットした歯ざわりで適度に口の中で存在感が楽しめます。

 甘さはそれ程強くはありませんが、酸味も少なく、皮と共に食べることで適度な渋味も感じられ、全体として深みのある上品な味に感じられます。

 農林水産省の品種登録データベースには以下の通り記載されています。

『-----

 果粒は楕円ないし短楕円で非常に大きく、果皮は紫赤色、果粉の多少は中、果皮は薄く、果肉との分離は困難である。

 果肉は黄緑色、崩解性、果汁の多少は中、甘味は中で酸味は少なく、マスカット香を有する。

 成熟期は試作地(山梨市)において9月中~下旬である。

 花振い性・単為結果性は小、裂果性は中、脱粒性は小である。

 「イタリア」と比較して、果皮が紫赤色であること等で、「レッドクィーン」、「ハニーレッド」、「ガーネット」及び「信濃ベリー」と比較して、成熟期が遅いこと、果粒の香気がマスカット香を有すること等で区別性が認められる。

-----』以上、抜粋。

■主な産地と旬
●主な産地と生産量
 政府がまとめた平成22年の栽培面積を見ると、最も盛んに栽培しているのは長野県で4.5ha、次いで山梨県で2.8ha、青森県2.7ha、山口県1.1haとなっています。

●ルビー・オクヤマの収穫時期と旬
 収穫時期は産地にもよりますが、9月下旬頃から始まり、10月初旬から中旬頃にかけて最盛期を迎えます。その後青森県など北部地方で11月頃まで続きます。出盛りの旬は9月下旬から10月中旬までとなります。

*https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/budou-RubyOkuyama.htm より

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<慣用句・諺> 金持ちと灰吹きは溜まるほど汚い など

2022-07-29 07:16:38 | 慣用句・諺

 「金持ちと灰吹きは溜まるほど汚い」

 たばこの灰がたまるほど灰吹きが汚くなるように、金持ちは財産が殖えるほど卑しく、けちになる。

 

 「鉦や太鼓で探す-かねやたいこでさがす」

 ⇒鉦太鼓で探す

  《迷子を探すときに、鉦や太鼓を打ち鳴らしたところから》大ぜいで大騒ぎをして方々を探し回る。鉦や太鼓で探す。

 

 「金を落とす」

 その場所で金を使う。

 

 「金を食う」

 費用がかさむ。

 

 「金を寝かす」

 金銭を活用せず、ためておく。

 

*goo辞書 より

 

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< 焼 酎 > 大分 銀座のすずめ/八鹿酒造

2022-07-29 07:11:28 | 焼酎

 【令和3年酒類鑑評会(本格焼酎部門)優等賞 麦部門 7/24

 (大分) 「銀座のすずめ/八鹿酒造」

『銀座のすずめ』とは、かつて銀座において、時を忘れ友らと粋に酔い、語り、夜を明かした酔人たちを、すずめになぞらえて名付けました。

アルコール度数 25度(33度・35度)

 

 八鹿酒造(やつしかしゅぞう)株式会社 大分県玖珠郡九重町大字右田3364番地

 「銀座のすずめ」琥珀・白麹・黒麹・ガスライト・ガスライト 琥珀・aged7years など

 「なしか!」

 「夢鹿」 など

 芋「玲瓏」「影武者」 など

 

 八鹿の歴史

 蔵元三代目と杜氏の名より、銘酒「八鹿」は生まれた。
 創業は元治元年げんじがんねん(1864年)、美しい九重連山を源として湧き出る伏流水、その豊かで清冽な水が流れ込む玖珠盆地で八鹿酒造は起った。

 当時の名は「舟来屋ふなこや」。

 九州で現存する最古の鏝絵こてえが描かれた当時の仕込蔵が、今でもその歴史を物語っている。

 

始まりは舟来屋
 江戸時代末期の元治元年(1864年)、初代麻生東江(とうこう)により八鹿酒造の歴史は始まる。当時の名を「舟来屋(ふなこや)」と称し、この屋号と鏝絵が描かれた仕込元蔵が、今でもその歴史を物語っている。 当時の九重の地は水利が悪く、井路をつくり村人を飢えから救おうと決心した。しかし灌漑工事は難しく、資金不足、百姓一揆、天災など次々と危機が訪れ、息子・二代目豊助(とよすけ)とともに進めてきた工事は幾度も挫折した。やがて井路はできないまま、麻生家は家財や山林原野を売り、酒造権利をも手放してしまう。

 三代目 麻生観八
 舟来屋の再興を果たしたのは、わずか15歳で養子に入った三代目麻生観八(かんぱち)だった。観八は天領日田の豪商・草野家の分家で酒造家・草野丈右衛門の五男として生まれた。名家に生まれながら12歳の時に家が破産したため、並々ならぬ貧乏と屈辱を味わってきた。
「自分が大人になったら必ず家業の酒屋を再興しよう。」

 その志を養子先の麻生家で果たすこととなる。観八は明治18年(1885年)、当時の酒造免許の最下限であった百石(一升瓶1万本)をもって舟来屋・麻生酒造場を再興した。

 清酒「八鹿」誕生
 明治18年、弱冠20才の観八と34才の杜氏・仲摩鹿太郎(なかま しかたろう)が精魂傾けて造った酒は、地元の名瀑、龍門の滝にちなんで「龍門」と名づけられた。この酒が次第に評判となり、観八は互いの心意気を讃え、自分の名と鹿太郎の名を一文字ずつとり『八鹿』と名を改めた。

 家業の酒造業が軌道に乗ると、観八は「世のため人のため」の公共事業に力を注ぐ。先代が果たせなかった井路を完成させ、国鉄久大線敷設という大事業にも着手し、20年を越す絶え間ない努力の末、昭和4年、久大線の引治・恵良・森の各駅が開通した。観八はその前年に63歳でこの世を去った。念願の鉄道開通を見ることは出来なかったが、遺徳を偲ぶ人々によって銅像が建てられ、今も恵良駅と八鹿酒造を見守っている。

 努力の末に
 四代目麻生益良(ますよし)は、堅実経営で無借金経営を貫き通した。益良は純粋酵母の研究に注力し、全国酒類醤油品評会において立て続けに優秀賞を受けるなど、「八鹿」を銘酒の座へと押し上げた。 そして戦後、麻生家五代目として酒造業を継いだのが医学を志していた麻生太一(たいち)である。それまで地方の酒造業では考えもしなかった鉄筋コンクリートの製造蔵を造った。“普通酒にして銘酒”と酒通に賞賛される九州では稀な辛口の酒「笑門八鹿」の誕生である。さらに昭和43年(1968年)には四季醸造が可能な空調設備をもつ鉄筋の「永錫蔵」を完成させるなど、八鹿の長い歴史の中でも革命ともいえる功績を刻んだ。

 焼酎ブームの襲来
 平成10年、六代目麻生益直(ますなお)が社長に就任した。昭和60年代から清酒の消費量に翳りが見え始めた。本格焼酎ブームの余波だった。しかし、益直にはこれを好機とする一つの考えがあった。銀座で粋に遊ぶ本物を知る大人たちに支持される洋のスタイルをもつ焼酎造り、それが現在の八鹿焼酎の主力製品にもなった「銀座のすずめ」である。益直の思いは発売後まもなく日本の中心、銀座に届くことになる。今では「銀座のすずめ」ブランドは、新タイプ焼酎として、焼酎ファンのみならず広く酒通にも愛飲されている。

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<伝統野菜> 山梨 紅花いんげん

2022-07-29 06:58:05 | 伝統野菜

 「紅花いんげん」

【生産地】北杜市須玉町・高根町

【特徴】見た目は、いんげん豆に似ていて、花の色は紅色、豆は紫色に黒い斑点があるのが特徴。紅花いんげんは、栽培適地が高冷地に限られ、適地でも結実率が10%以下と低いことなどから、供給量が非常に少なく、希少的価値が高い品目である。

【食味】煮豆や餡などに使用

【来歴】八ヶ岳や茅ヶ岳南麓の標高の高い地域は、夏期の冷涼な気候が紅花いんげんの栽培に適していることから、昭和40年代前半に栽培が始まったといわれている。その後、転作作物として水田への作付が増加し、昭和55年には須玉町黒森地区に花豆部会が設立され、産地形成が行われてきた。後に、その他の地区でも生産が行われるようになってきた。

【時期】9月中旬~11月下旬

*https://tradveggie.or.jp/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e4%bc%9d%e7%b5%b1%e9%87%8e%e8%8f%9c%e3%83%bc19-%e5%b1%b1%e6%a2%a8%e7%9c%8c/#i-14 より

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<The Wonder 500> ものづくり 318 豊国草履

2022-07-29 06:55:27 | The Wonder 500

 「 318 豊国草履」

山形伝統の稲藁節草履-豊国-
山形伝統の稲藁「豊国」を使用した純国産で、日本でも山形にしか伝わらない本格的な稲藁節草履です。「節」とは、稲藁の茎のさらに内側に隠れたストロー状の部位です。通常の稲藁草履は稲藁全体を使いますが、「節」だけで編み上げた豊国草履は極上の艶と滑らかな肌触りが特徴で、その履き心地は他の追随を許しません。
200年続く山形草履の技術の粋を結集した豊国草履を是非お試し下さい。

鼻緒生地には山形米沢紬を贅沢に使用!
「 天地人」の舞台で知られている山形県米沢市に江戸時代から伝わる米沢織は、米沢藩十八代藩主上杉鷹山公が、藩財政建て直しのために武士の婦女子に手内職として織物を習得・開発したのが始まりです。
全てシルク100%の生地で織り上げた品物です。

完全受注限定生産
※豊国草履は純国産で少数の限定生産となります。製品の完成時期や出荷までお時間を頂くことがございます。ご了承の上、ご注文をお願い致します。

草履の巻き加工について
豊国草履は稲藁節と呼ばれる芯材だけを使用して編み上げております。
草履は巻き加工を行うことで耐久性が向上し、衝撃が加わったりした場合に縁部分の損傷を防ぐ事が出来ます。
巻き無しの草履は衝撃によって縁部分が損傷する事がございますが、豊国草履本来の美しさや味わいを楽しみたい場合にはこちらがお勧めとなります。

 軽部草履株式会社 山形県寒河江市中央工業団地 51

 

 日本の伝統を未来へ繋ぐ-

 軽部草履株式会社代表取締役の軽部俊男です。
 当社は、日本伝統の手編み草履の製造・販売を行っております。
 現在、草履の生産数量は最盛期(昭和16年)の1%以下の8万足ほどです。
 第二次大戦後の急速な近代化により、洋装の普及に伴い、草履に代わり靴が主に使用される事になりました。
 しかし、日本の伝統を重んじる祭事や芸能の世界では今も草履を愛用されている方が数多くいらっしゃいます。この独自の文化を持った日本という国が続く限り、草履は必ず必要とされるのです。
 軽部草履は日本の伝統を足元から支え、そして次世代に継承するため若手の育成にも尽力しております。今後も日本の草履が途絶える事の無いよう、軽部草履社員一同、努力と研鑽を重ねて参ります。   代表取締役社長 軽部 陽介

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