「出羽の小京都 山形 山形」
戦国大名の最上義明が、五十七万石の城下町として整備したのが山形。
駅の近くにあり、今は博物館や郷土館のある霞城(かじょう)公園は明治維新までのお城だった。
ただし、藩として山形は江戸末期のころの石高はわずか五万石程度にまで落ち込んでいた。
古くからの特産は染料となる紅花で、これが京都へ送られ、西陣織りなどに使われて縁を深めた。
山形には近世の建物も残っており、ルネッサンス様式の文翔館(旧県庁舎・議事堂)、山形市郷土館、教育資料館が見所。特に、文翔館は重厚な雰囲気を持つ。
山形市郊外にあり、松尾芭蕉が「閑さや〜」と歌ったことでも知られる山寺(立石寺)は、慈覚大師により千百年前に創建されたもの。近くにはには山寺芭蕉記念館もあり、多くの観光客が訪れる。
石段を登り始めると、次第に移り変わる景色がある。
夏の五穀豊穣を願う田植え踊りから始まった「花笠まつり」は、東北を代表するお祭り。
冬になると蔵王の樹氷が見事だ。
現在の山形市では、霞城公園の本丸が復元工事中で、石垣の復元の工事中だ。
また、山形駅に隣接して新しく作られた二十四階立ての「霞城セントラル」には観光案内所がある他、展望台(無料)からは市内を一望することができる。
=山形県の小京都・山形市の観光ポイント=
江戸時代からの「城下町」
扇状地に築かれた400年前の名残を留める城下町
標高約180m~120mの傾斜60mの高低差にある山形城と城下町は、等高線に合わせて北東に傾いて築かれています。そして、通常城下町は城の下方にありますが、山形は上方にあります。それは最上義光公が、町人の生活を重んじたとも、取水目的の地下水脈に合わせたとも、城西側に扇状地の扇端部(湿地帯)を城郭防御のため配したともいわれています。また、城下町には馬見ヶ崎川から堰(山形五堰)が張り巡らされ、農業用水をはじめ、町人の水場、三ノ丸堀水、伏流水として整備されるなど、地理的条件が巧みに活かされています。現在も山形城、城下町、山形五堰、街路等、その面影が色濃く残されています。
(出典元:はじめての山形)*https://satomusubi.jp/tourisms/view/3334 より
名刹の「お寺」がある
「宝珠山立石寺」 比叡山延暦寺の別院として、貞観2年慈覚大師・円仁が開山した天台宗の名刹。比叡山に習い、根本中堂他の堂塔伽藍が建つ。本堂にあたる根本中堂には、伝教大使、最澄が中国から比叡山に持ち帰ったとされる灯が、開山時に分けられた後、一度も絶えることなく千年以上の時を超え、今なお灯り続けている「不滅の法灯」がある。
「立石寺中堂(根本中堂)」 初代山形城主斯波兼頼が延文元年(1356)再建したものといわれる。現在は、慶長十三年(1608)の大修理当時の形式に復原された。慈覚大師・円仁の作と伝える木造薬師如来坐像を本尊として安置。伝教大師・最澄が中国から比叡山に移した灯を立石寺に分けた「不滅の法灯」を拝することができる。 また、この灯は、信長によって比叡山が焼き討ちにされた後、延暦寺の再建の際に、立石寺より分けた灯と言われている。
など *https://4travel.jp/domestic/area/tohoku/yamagata/yamagata/yamagatashinai/temple より
*https://www.little-kyoto.com/yamagata/yamagata.html より