「鉄のまち その1.」
「鉄のまち」は、日本国中にいくつかある。
「室蘭」
日本製鋼設立の地・室蘭が「鉄の町」に発展したわけ
炭鉱から鉄道が引かれ、石炭の一大積出港として栄えた室蘭。
明治末期に製鉄所と製鋼所ができたことにより、「鉄の町」として急成長を遂げていきます。
日本製鋼設立までの道のり:屯田兵による室蘭の開拓
内浦湾(噴火湾)東端にあり、天然の良港を有する室蘭。北海道と本州を船で結ぶのに有利な立地で、1799(寛政11)年に幕府の直轄地となりました。1887(明治20)年に輪西(わにし)村に約800人の屯田兵が入植したことで、開拓が始まりました。
日本製鋼設立までの道のり:室蘭の転換期!日本初の民間兵器工場の誕生
1889(明治22)年、政府によって開発が進められていた幌内(ほろない)炭鉱が北海道炭礦(たんこう)鉄道株式会社に払い下げられました。北海道炭礦鉄道は石炭を搬出するために岩見沢~輪西間に鉄道を開設し、室蘭港などに船舶を多数所有していたため海運業にも進出。 1898(明治 31)年には、室蘭港は道内一の石炭積出港となりました。
北海道炭礦鉄道は、1906(明治39)年に鉄道国有法により鉄道を売却し、社名を北海道炭礦汽船株式会社(以下、北炭)に改名。専務取締役・井上角五郎は、製鉄事業への関心が高く、内浦湾の砂鉄鉱区を所有していたこともあり、鉄道の売却資金で製鉄所の建設を計画していました。
しかし、兵器製造を急務としていた政府からの助言を受け、製鋼所を建設することとなりました。そして、当時の日英同盟を背景に、イギリスの兵器会社アームストロング社、ヴィッカース社との共同出資で、1907(明治40)年に株式会社日本製鋼所を設立。日本初の民間兵器工場が誕生しました。
日本製鋼設立までの道のり:室蘭は製鉄所と製鋼所の建設で銑鋼一貫都市に
製鉄所への思いを諦められなかった井上は、内浦湾の砂鉄、自社の幌内炭鉱などの石炭を原料とした製鉄所を、1909(明治42)年に輪西屯田兵村に建設。溶鉱炉で砂鉄と鉄鉱の混合による日本初の精錬が行われましたが、砂鉄製錬は困難を極め、操業開始直後に休止することになりました。
1913(大正2)年に操業再開、1916(大正5)年に北炭から分離し、北海道製鉄株式会社を設立。1919(大正8)年に日本製鋼所と合併し、日本製鋼所室蘭工業所となりました。
これにより、室蘭は民間初の銑鋼(せんこう)一貫製鉄都市に。しかし1931(昭和6)年には、日本製鋼所から離れ、輪西製鉄株式会社を設立しました。
日本製鋼設立までの道のり:鉄の町・室蘭は軍需と戦後の北海道開発で成長・発展を遂げた
戦争の激化により、日本製鋼所は兵器製造で急成長。輪西製鉄は5社の合併により日本製鉄株式会社輪西製鉄所となり、銑鋼一貫の仲町工場が建設されました。従業員は1944(昭和19)年に日本製鋼所が3万9642人、輪西製鉄所が1万1122人とピークに達しました。
戦後、日本製鋼所と日本製鉄はともに操業停止。輪西製鉄所は1950(昭和25)年に日本製鉄の解体により、富士製鉄株式会社輪西蘭製鉄所(翌年、室蘭製鉄所と改称)となりました。北海道開発の需要で室蘭製鉄所は発展。輪西工場を解体して仲町工場に集約し、1960(昭和35)年には123万トンを生産。日本製鋼所は、民需品メーカーへ転換しました。
鉄の町室蘭の現在~工場夜景の町へ~
特定工業地区への指定などにより、室蘭市には製鉄、石油関係企業が進出。「鉄の町」として栄えた室蘭は、現在は工場夜景の町として注目されています。