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<パリパラリンピック2024> メダリスト 伊藤智也

2024-10-19 12:44:37 | パリパラリンピック2024

 「伊藤智也」 銅-陸上400m

*https://www.asahi.com/paralympics/2024/results/profile/?qrkydpg_paris2024_page2=PROFILE-4647825-------------------- より

 伊藤 智也(いとう ともや、1963年8月16日 -)は、日本の車椅子陸上アスリート。三重県鈴鹿市出身。ASSA-TC所属。メインスポンサーはJAグループ三重。マネージメントは株式会社オフィス TI-Rが担当している。 座右の銘は「勝って慢らず 負けて僻まず」。

*Wikipedia より

 悲痛のクラス分けから3年 戻ってきた“61歳の鉄人”【解説】 2024年8月31日 6時56分 NHK NEWS 

 悲痛のクラス分けから3年。

 再び世界の舞台に戻ってきた61歳の伊藤智也選手は、パリパラリンピック陸上の男子400メートル車いすのクラスで銅メダルを獲得し「幸せです」と笑顔で応えました。
(スポーツニュース部 記者 沼田悠里)

 3年前 東京大会は“まさかの事態”が
 34歳の時に難病を発症した伊藤選手は、アテネ大会から4大会に出場し、複数の種目でメダルを獲得、“車いすの鉄人”と呼ばれています。

 しかし、3年前の東京パラリンピックで伊藤選手を思わぬ事態が襲いました。

 東京パラ前に まさかのクラス分け(2021年8月)
 パラアスリートは、障害の種類や程度が異なる選手が公平に競い合うため、国際大会に合わせてクラス分けを行っています。

 伊藤選手は、メダルを期待された男子400メートル直前のクラス分けで従来のクラスではなく、より障害が軽いクラスと判定され、東京大会は予選敗退に終わりました。

 伊藤選手は、当時を振り返って…

 「ことばにできなかった。つらいとか悔しいとか苦しいとか。完全にメンタルが壊れたし、地獄の3年間だった」

 「諦めようか」

 そんな心境になりかけたこともあったといいますが、とにかく支えてくれた人たちが「諦めなかった」と、周囲の支えで伊藤選手は、再びパラリンピックの舞台を目指すようになりました。

 フォームの改造も
 まず取り組んだのが、25年間、ほとんど変えたことがなかったというフォームの改造でした。

 今まで使ったこなかった筋肉を最大限に生かそうと、前傾した姿勢を保つフォームに変えることにしたのです。

 病気の進行でまひが大きくなった左半身をカバーしようと、背中や胸などの筋肉を徹底的に鍛えた結果、61歳にして東京大会の時より胸囲は4センチほど大きくなりました。

 これまで多くを頼っていた腕の力だけでなく、体全体を使って力強くレーサーをこぐことができるようになったといいます。

 新たなフォームで手応えを感じ、迎えたパリ大会。

 しかし、大粒の雨が降り、気温は20度ほどと寒さで体が思うように動かなかったという伊藤選手。新たなフォームで走ることはほとんどできませんでした。

 それでも、粘りの走りで銅メダルを獲得し「地獄の3年間だったが、その間に積み重ねた友情や技術など、いろいろな意味で成長できた3年間でもあった。こうやって振り返れば、またこの舞台に戻ってこられて本当によかった」と充実した表情で話しました。

 パリ大会を終えた伊藤選手が見据えるのは、65歳で迎えるロサンゼルスで開かれる4年後のパラリンピック。

 「これから4年間も駆け抜ける」という“鉄人”の挑戦は続きます。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240831/k10014566771000.html より


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