「鳥井駒吉をご存じですか?」
少し前にある方が当店においでになりました。
あるブログに「当店と鳥井駒吉」のことが少し書かれており、気になっておいでになったとか。
その方は「鳥井駒吉展」のキュレーターをなさっている「イシバシオサム氏」。
元・教師の方だそうです。
「鳥井駒吉」といって、すぐに「堺の偉人」と気づく人はどれだけいるでしょうか?
簡単に経歴を。
嘉永(1853年)6年3月12日生まれ
宿院町の米問屋「和泉屋」を営んでいた和泉屋伊助の二男として生まれた
1861年に分家して堺市甲斐町に移り酒造業
父(伊助)の死により、1870年に鳥井駒吉は17歳で家業を受け継ぐ
1879年に26歳で堺酒造組合の初代組長に就任すると、1883年6月に精米会社、1886年9月に酒造改良試験所、1887年5月には共同醸造所を設立した
1889年11月5日、大阪麦酒初代社長に就任しビールの製造、発売に向けて腐心する一方、引き続き酒造業界でも活躍を続ける
創業17年目を迎えた1906年3月26日、大阪麦酒は日本麦酒、札幌麦酒と合併し国内屈指の大企業、大日本麦酒が誕生する
この「大日本麦酒」がのちの「アサヒビール」となる
駒吉32歳の時、「阪堺鉄道 のちの南海電鉄」の設立発起人に
42歳 「南海鉄道」設立 51歳 「南海電鉄」二代目社長
サントリーの創業家「鳥井家」とは全く関係が無いらしく、偶然「同姓」だったと(笑
あまり知られていない「堺の偉人」である「鳥井駒吉」をクローズアップした「鳥井駒吉展」が、2月21日から開催されます。
ご興味のある方はどうぞ!
「鳥井駒吉展」
開催日時:2月21日~3月4日
会場:ギャラリーいろはに 072-232-1682
主催:「鳥井駒吉の会」
後援:堺市、アサヒビール㈱
*2月22日には「講演会」も開催されます。
講師:竹田芳則 氏-堺市立北図書館
会場:開口神社瑞祥閣
先着80名
入場料 1000円
主催「鳥井駒吉の会」、開口神社
後援:堺市、アサヒビール㈱、南海電気鉄道㈱
お問い合わせは「ギャラリーいろはに」まで
話を戻しますが・・・
うちは小さいながら「米屋」を江戸時代から営んできました。
正確なところが不明ですが、「米屋」と駒吉の実家「米問屋 和泉屋」とは少なからず関係があったかもしれません。
私の母校でもある「堺市立 市小学校」は明治五年に開校しました。
それ以前は「米市場」でした。
この米市場に集積された「お米」を「米問屋」が買い、それを我々のような小さな米屋が買い取り販売していたのでは?と推測されます。
だから「取引関係」にあったかも?しれません。
遠縁にあたる「山本家」の祖父は「当家」から養子に行かれた方。
その方がどうも「和泉屋」で働いていたとか・・・
何かご縁があるのかも?
「和泉屋」のこともあまりわからず、現在のところ手掛かりはありません。
隠居できる年齢になったら、もっと調べてみたいところです(笑
少し前にある方が当店においでになりました。
あるブログに「当店と鳥井駒吉」のことが少し書かれており、気になっておいでになったとか。
その方は「鳥井駒吉展」のキュレーターをなさっている「イシバシオサム氏」。
元・教師の方だそうです。
「鳥井駒吉」といって、すぐに「堺の偉人」と気づく人はどれだけいるでしょうか?
簡単に経歴を。
嘉永(1853年)6年3月12日生まれ
宿院町の米問屋「和泉屋」を営んでいた和泉屋伊助の二男として生まれた
1861年に分家して堺市甲斐町に移り酒造業
父(伊助)の死により、1870年に鳥井駒吉は17歳で家業を受け継ぐ
1879年に26歳で堺酒造組合の初代組長に就任すると、1883年6月に精米会社、1886年9月に酒造改良試験所、1887年5月には共同醸造所を設立した
1889年11月5日、大阪麦酒初代社長に就任しビールの製造、発売に向けて腐心する一方、引き続き酒造業界でも活躍を続ける
創業17年目を迎えた1906年3月26日、大阪麦酒は日本麦酒、札幌麦酒と合併し国内屈指の大企業、大日本麦酒が誕生する
この「大日本麦酒」がのちの「アサヒビール」となる
駒吉32歳の時、「阪堺鉄道 のちの南海電鉄」の設立発起人に
42歳 「南海鉄道」設立 51歳 「南海電鉄」二代目社長
サントリーの創業家「鳥井家」とは全く関係が無いらしく、偶然「同姓」だったと(笑
あまり知られていない「堺の偉人」である「鳥井駒吉」をクローズアップした「鳥井駒吉展」が、2月21日から開催されます。
ご興味のある方はどうぞ!
「鳥井駒吉展」
開催日時:2月21日~3月4日
会場:ギャラリーいろはに 072-232-1682
主催:「鳥井駒吉の会」
後援:堺市、アサヒビール㈱
*2月22日には「講演会」も開催されます。
講師:竹田芳則 氏-堺市立北図書館
会場:開口神社瑞祥閣
先着80名
入場料 1000円
主催「鳥井駒吉の会」、開口神社
後援:堺市、アサヒビール㈱、南海電気鉄道㈱
お問い合わせは「ギャラリーいろはに」まで
話を戻しますが・・・
うちは小さいながら「米屋」を江戸時代から営んできました。
正確なところが不明ですが、「米屋」と駒吉の実家「米問屋 和泉屋」とは少なからず関係があったかもしれません。
私の母校でもある「堺市立 市小学校」は明治五年に開校しました。
それ以前は「米市場」でした。
この米市場に集積された「お米」を「米問屋」が買い、それを我々のような小さな米屋が買い取り販売していたのでは?と推測されます。
だから「取引関係」にあったかも?しれません。
遠縁にあたる「山本家」の祖父は「当家」から養子に行かれた方。
その方がどうも「和泉屋」で働いていたとか・・・
何かご縁があるのかも?
「和泉屋」のこともあまりわからず、現在のところ手掛かりはありません。
隠居できる年齢になったら、もっと調べてみたいところです(笑
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