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<経産大臣指定伝統的工芸品> 兵庫 豊岡杞柳細工

2021-07-03 08:50:35 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「豊岡杞柳細工」

 Description / 特徴・産地

 豊岡杞柳細工とは?
 豊岡杞柳細工(とよおかきりゅうざいく)は兵庫県豊岡市周辺で作られている木工品です。円山川周辺に自生する「コリヤナギ」でかごを編んだことから始まったとされ、豊岡が城下町として賑わった時代に産業として確立されました。
 豊岡杞柳細工の特徴は、自然素材の優しい風合いでありながら、しなやかで強靭な柳の特性から丈夫であることです。全て職人の手で一つひとつ編まれた製品はどこか温もりに溢れ、生活に溶け込む実用的な伝統工芸品です。
編み方が豊富で、縄編みが6種類、側編み(そくあみ)が33種類、縁組(ふちぐみ)18種類あります。それらを組み合わせると様々な形を成形することができます。
 伝統的には弁当箱として使われた蓋とセットになった四角い小物入れや、深さのある丸い籠などが主に作られていましたが、最近では現代風にアレンジされたモダンなデザインの杞柳細工のバッグなども人気があります。

 History / 歴史
 豊岡杞柳細工の起源は1世紀の始め頃と言われており、西暦27年(垂仁天皇56年)に新羅(しらぎ)の王子、天日槍命(あめのひぼこのみこと)が日本に柳細工を伝えたことに端を発するとされています。円山川の荒れ地に自生する柳を使って籠などの日用品を編んだことから始まったその技術は、およそ9世紀頃には確立されていたと考えられており「但馬国産柳箱」と呼ばれる豊岡杞柳細工の作品が東大寺の正倉院に残されています。
 江戸時代に京極高盛(きょうごくたかもり)が柳の栽培と技術促進、販売強化を行って柳細工産業として発展させ、豊岡杞柳細工は全国に名を知られる工芸品となりました。
 明治時代に入ると西洋風の手提げバッグの制作され始め、大正時代には錠前をつけたバスケット型のバッグが流行し「大正バスケット」と呼ばれました。
 近年では1965年(昭和40年)頃には皇太子徳仁親王が学習院幼稚園時代にご愛用された籐豆バスケットが「ナルちゃんバック」と呼ばれ話題になり、雑貨やインテリアの分野にも広く進出しています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/toyookakiryuzaiku/ より

 

 新しく生まれ変わる豊岡杞柳細工
 ひと昔前まではどこの家の押入れにもあった柳行李(やなぎごうり)。引越しや旅には欠かせないものだった。また弁当箱として重宝したのも飯行李(めしごうり)だった。こうした一世を風靡した豊岡の杞柳細工は今や忘れ去れようとしている。はたしてその将来はどうなるのか、この道40年の伝統工芸士に聞いてみた。

 
 柳の柔らかさと強さ
 「見た目はとても柔らかく、それが人を引きつけていくのでしょう。でも素材そのものは非常に固く強いのです。」と語るのは伝統工芸士の八木田昌男さん。なるほど外見は柔らかく、つやがあり、時には涼しさを感じさせるが、触ってみるとしっかりとした作りになっている。八木田さんは「素材の良さが杞柳細工の持ち味」という。そもそも杞柳とはどんなものなのだろうか。杞柳とはヤナギ科ヤナギ属の「コリヤナギ」のことである。普通の、枝が下垂している柳とは違い、水辺に生育する落葉低木である。吸湿性が高く、虫が寄りつきにくいという特性を持っている。そのため衣装箱や弁当箱の材料に使われてきた。乾燥しているときはとても固いが、水分を含むと柔らかくなり加工しやすくなる。


 手間のかかる栽培・皮むき
 需要の多いときは原料が全国から豊岡に集められ、原料に苦労することなどなかったが、今では自分たちで制作する分を栽培している。畑に植え、毎年秋刈り取り、冬越しさせ、そして春になったら、2、3本ずつ田んぼに挿す。そうすると新芽が出て、皮と茎との間に樹液が回り剥がれやすくなる。「このときだけです。簡単に剥げるのは。このとき皮をむくわけです。」と八木田さんはその微妙なタイミングを説明してくれる。また皮をむいた後も川の中できれいに洗い、ぬめりを落として、陰干しして土用をすぎてから使うとのこと。原料は太いままのものから、細く裂いたものなど準備しておく。作るときは材料を水にぬらしながら作るが、乾燥すると固くなり作業しにくくなるので、夏でも冷房をつけず作業することも多いという。とても手間のかかる仕事ではあるが、それが杞柳細工の奥の深さになっているといえる。

 時代の流れ
 戦後も買い物篭やバスケットの生産に追われ、昭和48年のオイルショックのときも需要は落ちなかった。でも昭和52~53年頃中国から大量の製品が輸入されると急激に需要が落ちた。「そのときは本当に大変でした。なかには、中国からの半製品を豊岡で加工するということもありました。粗悪品であっても安いほうが支持されましたね。」と当時を振り返る八木田さん。


 引き継がれる伝統
 需要減によってその存在意義が変わらざるをえなくなった。すなわち実用品から工芸品への転換である。本来のコリヤナギの特性がもつ価値をどのように伝えていくか。伝統を引き継ぐ人をどののように育てていくか。現在、八木田さんは初心者コースで30名、専門者コースで11名に教えている。初心者コースから専門者コースへ随時2~3名が進級されている。そこでは新しい試みがたくさん行われている。草木染め、漆染めなどである。草木染めはフキ・ツツジ・オニノゲシ・ウラジロカシ・クズなどを原料にしている。漆は今はカシューを主体にしている。形も今風にアレンジされ自由な作品が生まれている。講習生の多くは主婦の方たちであり、これまでの職人の仕事というより工芸士・作家へその質がかわっていっている。伝統工芸が、新たに市民レベルの参加をえて生まれ変わっている。再び息づいてきたのである。


 職人プロフィール

 八木田昌男 (やぎだまさお)

 大正15年(1926)生まれ。
 杞柳細工40年以上・伝統工芸士。長年にわたり県の工芸指導所の職員をされた。愛情と熱意を持って教えられているのが伝わってきます。

*https://kougeihin.jp/craft/0624/ より


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