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マチュピチュと日本人

2019-07-15 10:32:10 | 米屋の親父のつぶやき
秋篠宮家の長女眞子さまが「マチュピチュ遺跡」を視察されたという報道があった。
ペルーへの公式訪問の目的は、日本人移住120周年記念式典への参加というものだった。

古くは(正確な日本側のデータはないが)、1613年以前に既に「メキシコ」や「ペルー」には日本人の住民登録の記録があるという。*Wikiより
日本人も古くから海外移住は行われていたと考えられる。
そして、日本人も世界のいろいろな国に移住を推進した時代があった。
政府公認としては、1885年に「ハワイ」への移住が最初とされる。
その後、1893年に「グアテマラ」へ、1897年に「アコンカグア」へと組織的移住が推進された。
そして「アメリカ」や「ブラジル」、第二次世界大戦前には「ペルー」「アルゼンチン」「ボリビア」「パラグアイ」や「チリ」への移民も盛んに行われた。
第二次世界大戦後は、沖縄などから「南米」へと移住が多かった。

移民に対しては、各国によって政府支援が手厚かったり、逆に見捨てられた(言い過ぎ?)場合もある。
日本以外の国に移住し当該国の国籍または永住権を取得した日本人、およびその子孫を指す「日系人」は、2017年時点で、約380万人存在すると推定されている。*Wikiより

話は戻るが・・・
「ペルー」在住日系人は、約10万人。
代表する日系人としては、やはり元大統領の「アルベルト・フジモリ氏」であろう。
意外?にも日本との関りはかなり深いとも云える。

「マチュピチュ遺跡」と日系人の関りも深いと。
「マチュピチュ遺跡」とは、「インカ帝国」の遺跡。
「インカ帝国-アンデス文明」は文字を持たなかったため、記録がなく、多くの謎を残している。
インカ帝国の首都「クスコ」からは約100km離れているが、世界遺産にも登録され、また「天空の城ラピュタ」のモデル?ともなったところで有名に。
現在は、世界遺産になった要因である「インカ帝国の遺跡」というだけでなく、周辺の「自然的側面」もあり、保存に力を入れている。
そのため、遺跡を見渡せる「ワイナ・ピチュ」では一日の観光客数を400人に制限している。
マチュピチュ遺跡には「ガイド同行」「人数制限」以外にも多くの制限を設けている。

この「マチュピチュ遺跡」の麓にある「マチュピチュ村」。
この「マチュピチュ村」を作ったのが日系人でもある「野内与吉」氏。
ペルーへ移住、ペルー国鉄で勤務し、マチュピチュまでの鉄道建設に携わる。
その後、「マチュピチュ」に移住し、「村」を開村する。
その功績は日本ではあまり知られていないのだが、私も今回の件で知ることとなった。

日本からの移住者-日系人は世界のいろいろなところで活躍し功績を残すこともある。
あまり知られていないその活躍には敬服するばかりである。
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