「山中漆器」
Description / 特徴・産地
山中漆器とは?
山中漆器(やまなかしっき)は、石川県加賀市の山中温泉地区で作られている漆器です。山中独自の木地挽物技術に優れており、主にお椀や茶托など丸い物の製造が一般的で、茶道具の棗(なつめ)など木地の多くは山中で挽いています。山中漆器の特徴は、自然の木目と優雅な蒔絵(まきえ)の美しさです。
山中漆器には、加工した天然木に漆を塗って仕上げる伝統的な「木製漆器」と、プラスチック素地にウレタン塗装をした「近代漆器」があります。山中の「木製漆器」は、豊富な種類の「加飾挽き」や華やかな「蒔絵」の技術で知られ、名人たちによる繊細で高度な技術が現在にも伝えられています。制作行程のほとんどが地道な手仕事のため、完成までに長いもので1年以上かかる場合もあります。
一方の「近代漆器」は、木だけでは表現できない色彩や形状が魅力で、自由度が高いため、インテリア空間などにも活かされています。また、プラスチックの一種であることから耐久性や手入れの容易さにも優れており、学校給食用の器にも採用されています。
History / 歴史
山中漆器 - 歴史
山中漆器は、安土桃山時代の天正年間に諸国山林伐採許可状を持った集団が良い材料を求めて移住してきたことから始まりました。加賀市山中温泉の上流にある真砂(まなご)という集落に移住した職人集団が「ろくろ挽き」を行って生計を立て、その技術が山中温泉のあたりに定着したと言われています。
江戸時代中期には、湯治客にお椀やお盆、土産用の遊び道具を作って売るなどして温泉とともに発展していきます。文化年間には木地に筋を入れる「加飾」の技術が作られました。さらに19世紀前半には京都や会津、金沢などから塗りや蒔絵の技術を導入し、山中独自の技法が開発されました。
第2次大戦によって一時的に中断した時期がありながらも、山中漆器の伝統技法は高く評価され、全国に名を知られていきます。親しみのある大衆的な塗り物として支持される一方、繊細な加飾挽きや優雅な蒔絵の美しさは、その芸術的価値も認められています。
昭和30年代に入ると山中町と加賀市に工場や生産団地が造られ、合成樹脂や科学塗料を導入しました。それにより多様なデザインと機能性に優れた低価格の商品が多量生産され、1970年(昭和45年)以降に大きな発展を遂げています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/yamanakashikki/ より
圧倒的なろくろ挽きの技術、山中漆器
安土桃山時代、ろくろ工たちが山中温泉の上流の集落に移住したことから始まったと言われる山中漆器。芸術的とも言える高度なろくろ技術は、木地づくりの段階での加飾すら可能にした。
木の香りが立ちこめる作業場
山中漆器の特徴はなんといっても、その圧倒的な木地挽きろくろの技術にある。他の漆器産地も認める日本最高峰の見事な技は、それ自体が芸術と言ってもいいくらいだ。その素晴らしい技の継承者である伝統工芸士の山本実さんは、木の香りが立ちこめる作業場で、シャーシャーと小気味よい削り音を立てながらろくろに向かっていた。
道具作り、つまり鍛冶屋から自分でやる
「何でも挽けるような職人が求められますから。」という山本さん。求められれば「どんな形でも挽けるつもり。」という。この自信の秘密はずらりと並んだ鉋(かんな)にある。鉋はろくろに取り付けられた木地を削るための柄の長い刃物。「ここにあるだけで200本ほどかな。ほんの一部ですけど。」というから驚きだ。
「鉋そのものを作るのも職人の仕事。鍛冶屋から自分でやります。新しい形の木地を挽く時は新しい鉋を作ります。」道具から自分で作ってしまうのでどんな形でも挽けるのだ。また、鉋は職人ごとに形が違うという。「同じ鉋でも人が違うと(挽いた)形も変わります。昔は親方が基本的なやり方と道具の作り方を教えてくれて、後は“自分で作って工夫しろ”でしたから・・・。」
木地づくりの難しさは、削りすぎてしまうともとに戻すことができないこと。速さと同時に慎重さも求められる厳しい仕事だ。
他産地の追随を許さぬ、加飾挽きの技
ろくろ挽きのポイントは「要を効かすこと。例えばお椀だと中心をしっかり平らにする。」木地は回っているため、中心部分をきれいに挽くのが難しい。
加飾挽きは刃物を使い、挽き物木地の表面を加飾する伝統的技法。その数、40種とも50種とも言われるが、なかでもわずかな間隔で並行して筋といわれる溝を彫りつけてゆく糸目挽きが有名。1ミリメートルの間に数本もの筋をいれることも可能という。美しさと同時に手に持ったときの滑り止めも兼ねている。まさに木地師の誇りが生んだ高度な技法だ。また、山中の木地は縦木どり。横木取りでは木目の具合で加飾挽きは難しいという。
回転数をも制御する特殊なろくろ
加飾挽きを可能とする秘密は、山中ならではのろくろの仕組みにある。2本の平ベルトを使ったろくろは逆回転も含めた回転数の制御が可能。「一定回転のろくろでは加飾挽きはできない」という。動力を伝える平ベルトを、足下のペダルを操作して回転軸に引っかけることでろくろを回す。その引っかけ具合で回転力を調節するのだ。2本のベルトのうち1本は一度ねじってあるため、このベルトを引っかけると逆方向にろくろが回る仕掛けだ。回転力を伝えたり切ったりするため、車のクラッチのような働きを思い浮かべるとわかりやすい。
常に先を考えながらの流れるような作業
鉋や小刀から伝わる振動を手と腕で感じとって微妙に力加減をコントロールしつつ、同時に足ではろくろの回転数を調節する。「体で覚えるしかないです。教わったからといってできるものではありません。」
さらに「木というのは中心部分と外周部分で固さが違います。だから一つの木地でも柔らかいところと固いところがある。」だから木を挽くことは金属を削るよりも難しいと言われる。
山本さんの周りには、手の届く範囲にきっちりと並べられた鉋、小刀。そして、それらを研ぐための数々の砥石。目にもとまらぬ早さで鉋を砥石で研ぎ、ろくろの回転数を調節しつつ木地を削り、鉋を取り替え、研ぎ、削る。一連の作業にはまったく継ぎ目がない。「挽きながら次はどこの部分をどの鉋で挽くか常に考えています。」ただの丸太だったものが見る見るうちに美しい器に仕上がっていく。その流れるような作業はいつまで見ていても飽きることがない。職人の技とはそういうものなのだ。
職人プロフィール
山本実
伝統工芸士。ろくろ挽きは49年のキャリア。求められれば「どんな形でも挽けるつもり」という。
こぼれ話
山中の温泉と漆器の深い関わり
山中といえば、漆器とともに有名なのが温泉です。山中温泉は松尾芭蕉も「奥の細道」の旅の途中、九日間逗留し「山中や菊は手折らじ湯の匂ひ(山中の湯につかれば不老長寿の菊の露を飲むまでもなく長寿を得る)」の句を残すなど、古くから文人らに愛されてきた名湯。温泉の発展に伴い、上流の木地師たちの作る生活用品としての食器類が湯治客の土産物にも使われるようになりました。
その後、川を下った木地師たちがさらに技に磨きをかけ、現在の山中漆器の礎である挽物木地を確立したのです。山中漆器は温泉との深い関わりの中で育まれてきた漆器なのです。
*https://kougeihin.jp/craft/0514/ より
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます