~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

高い楽譜には何も書いてない

2008年08月29日 17時16分59秒 | ピアノ
8月もあと2日で終わり。
家の中は、夏中かけて子どもたちが散らかしてくれたおかげで、とても人サマにお見せできるような状況ではなく・・・かといって大掃除&片付ける気力もなく・・・


ピアノは次の曲もやらないといけないので、コンペ前と変わらず弾いてます。
コンペ期間中は、7分程度の曲の細かいところをグルグル練習していたので、2時間も練習すればかなりやった感じになるのですけど、そうでないときは、譜読み曲やテクニックの練習や仕上げ間近のものとかいろいろ取り混ぜて練習するので、2時間くらいだとあっという間です。

ここのところ速い動きの練習を怠っていたので(ほんとはコンペ中でもちゃんとやらないといけないことなのですが・・・汗)、まずはそれからやらないといけません。

1.ハノン:スケール&アルぺジオ&カデンツを毎日ふたつくらいの調で(じょじょに増やしています)。不確実な音がないように。

2.ピシュナ:自分の苦手な動きを3曲ほど(これは、手を傷めるのがこわくてコンペ中はやってませんでした)

3.ショパン:エチュードを2曲。超ゆっくりていねいに

4.モーツァルト:2台のソナタの第1ピアノ(友人のMちゃんのリクエスト・・「う、上になってください」)の譜読み

5.ベートーベン:「熱情」ヘンレ版で一からやり直し。ペダルなどが全然入っていないので、今まで使った版も参考にしています。版が違うと印象が違いすぎて、今までの弾き方が疑問だらけ。なかなか進みません。



ところで、7月23日の新聞に吉田秀和氏が「ブレンデルの引退」という文章を書いておられました。
ブレンデル氏は今年いっぱいでの引退を宣言しておられ、今各地で引退公演をされている最中だとか(ちなみにこの記事を読んで、ブレンデル氏がワーグナー好きであることを私初めて知りました)。

吉田氏によると
「ブレンデルは、私はこのところ敬遠してきた。・・・・グールド、グルダ、シュタイヤーからプレトニョフといった連中が、色々テンポを工夫したり、装飾音や何かの遊びを加えた『おもしろい』演奏を聴かせる中で、あくまでも律儀に曲の構造と性格を浮かび上がらせる彼の演奏は立派だけれど、もうたくさんと言いたくなる。何か飽和した感じ。でも・・・
・・・・(ブレンデル自選の8枚組のCDの)何枚かを聴き直す中で、ベートーヴェンの第4番のピアノ協奏曲がとりわけ味わい深かった。昔のモノクロームの写真をじっくり眺めた感じ。そう、ここ数年、何か欠けていると思っていたのは、まじめで行儀正しい演奏に飽きたのではなくて、彼のピアノの音の性格を捉え損なっていたからだった。
いまだに鮮やかに残っているポリー二のあの磨きたてた石畳みたいに艶光りするピアノの音の美しさに比べれば、ブレンデルには陰影の深み、薄墨色のパースペクティヴの中での形態美を伝えるものがある。ベートーヴェンの音楽の懐の深さ、奥行きをたどるうちに仄かに見えてくる明暗の幾層にも重なった音の味わい。これはもう響きを超えた音楽なのだ。音響はまだ音楽ではなく、音楽は音響に始まり、音響に終わるものではない。・・・・・・・・・・・・・・・」

楽器はもちろん響いてなんぼですし、響きのない音は表情に乏しく、美しさにも欠けます。
ただ、いろいろな演奏(老若男女、プロやアマや子どもなどなど)を聴いていて、「音響を追求して自在に楽器を操って行く先にはいったい何があるのだろう・・」と思うことがあるのも事実です。
楽譜を読み取りしっかりした構成で、音響にすぐれ、迫力に満ちた演奏・・・・バランスの取れた演奏がすばらしいものであることはいうまでもありませんが、ピアノやホールがすばらしく立派になった今日、音響の魅力にとりつかれ、音楽を離れて音響が一人歩きしてしまっている演奏もないとは言い切れません。


今日、ヘンレ版の楽譜を読んでいて、ふと上記の吉田秀和氏の文章を思い出しました。
「熱情」は弾こうと思えばいくらでも、派手にもアクロバティックにも弾ける曲ですし、実際そうした演奏も少なくはありませんが、楽譜から受ける印象はそうしたものとは違っているような気がします。
それがどのようなものであるのかは、これから時間をかけて考えていきたいと思います。