今朝テレビを見ていたら、中村勘三郎さんが出ておられました。
某テレビ局内のホールで現代語の歌舞伎をされるそうで、それに関してのインタビュー。
そのなかで印象に残ったQ&Aがこれ。
Q:「今でも、初日の舞台は緊張されますか?」
A:「そりゃするよね。特に、初めてやるやつなんか何しゃべってんだかわかんないよ。これ(今回の演目)なんかは寝言でもいえるくらいやってるから平気なんだけどね」
Q:「舞台でハプニングはありますか?」
A:「あるよ。かつらとれちゃって、羽二重までとって地毛で芝居したことあるよ。いろいろなことがありますよ。でもね、そういうときだよね、その人の本当の力が出るのは。だってお客さん見てるんだからなんとかしなきゃね」
・・・いやあそうですか。寝言でいえるくらいになってやっと平気。まだ「セリフ」という段階では芝居ではないんですねえ。
そういえば(これもテレビで見たのですけど)、以前、松本幸四郎さんにこんなことがあったそうです。
『ラ・マンチャの男』の長期公演のちょうど真ん中あたりで、心身ともに疲労困憊「もうダメだ~」という日があり、でも舞台は務めなければならないので出られたそうなのですが、自分では最悪の出来。奥さんに「今日はひどかったろう。もう全然ダメだったよ」みたいなことを言ったところ、「いや今までで最高でした」と。
同じことを娘さん(松たか子)も感じとったのだそうで、「舞台にいるのは父(松本幸四郎)ではなく、役そのものの存在でした」というようなことを答えていました。
芝居のことはよく私わからないのですけど、同じものを毎日毎日1ヶ月、いやそれ以上と続け、しかもそれを一生にわたって演じたりしますよね。
日によっては自分自身から発せられる言葉より、セリフをしゃっべてる時間のほうが多いことも当然あるでしょうね。
勘三郎さんが「初回なんか何しゃべってんだかわかんないよ」とおっしゃってましたけど、初回といっても稽古には膨大な時間が費やされているはずで、それでも舞台にのるとそれくらい「板につかない」ものだということ。
それを考えると、「とりあえず弾けるようになって」「いちおう暗譜できて」「1、2回ステージで弾いてみた」けど、「自分では何弾いてるかわけわかんなかった」というのはむしろ当然のことで、こそからがスタートで長い長い道のりなのだ、とあらためて感じたことでした。
某テレビ局内のホールで現代語の歌舞伎をされるそうで、それに関してのインタビュー。
そのなかで印象に残ったQ&Aがこれ。
Q:「今でも、初日の舞台は緊張されますか?」
A:「そりゃするよね。特に、初めてやるやつなんか何しゃべってんだかわかんないよ。これ(今回の演目)なんかは寝言でもいえるくらいやってるから平気なんだけどね」
Q:「舞台でハプニングはありますか?」
A:「あるよ。かつらとれちゃって、羽二重までとって地毛で芝居したことあるよ。いろいろなことがありますよ。でもね、そういうときだよね、その人の本当の力が出るのは。だってお客さん見てるんだからなんとかしなきゃね」
・・・いやあそうですか。寝言でいえるくらいになってやっと平気。まだ「セリフ」という段階では芝居ではないんですねえ。
そういえば(これもテレビで見たのですけど)、以前、松本幸四郎さんにこんなことがあったそうです。
『ラ・マンチャの男』の長期公演のちょうど真ん中あたりで、心身ともに疲労困憊「もうダメだ~」という日があり、でも舞台は務めなければならないので出られたそうなのですが、自分では最悪の出来。奥さんに「今日はひどかったろう。もう全然ダメだったよ」みたいなことを言ったところ、「いや今までで最高でした」と。
同じことを娘さん(松たか子)も感じとったのだそうで、「舞台にいるのは父(松本幸四郎)ではなく、役そのものの存在でした」というようなことを答えていました。
芝居のことはよく私わからないのですけど、同じものを毎日毎日1ヶ月、いやそれ以上と続け、しかもそれを一生にわたって演じたりしますよね。
日によっては自分自身から発せられる言葉より、セリフをしゃっべてる時間のほうが多いことも当然あるでしょうね。
勘三郎さんが「初回なんか何しゃべってんだかわかんないよ」とおっしゃってましたけど、初回といっても稽古には膨大な時間が費やされているはずで、それでも舞台にのるとそれくらい「板につかない」ものだということ。
それを考えると、「とりあえず弾けるようになって」「いちおう暗譜できて」「1、2回ステージで弾いてみた」けど、「自分では何弾いてるかわけわかんなかった」というのはむしろ当然のことで、こそからがスタートで長い長い道のりなのだ、とあらためて感じたことでした。