~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

モチベーションの話

2008年09月12日 23時07分58秒 | 私のピアノ歴
ここのところ、あちこちのピアノ友達のブログで「ピアノのモチベーションが下がってしまって・・・」というグチ(?)を読むので、ちょっとそういう話題を。

とりあえず、ここ数年私は「モチベーションが下がった」という経験はないです。モチベーションがあまり必要ないレベルといったら変ですけど、「炊事・洗濯・ピアノ」というか、「食う・寝る・ピアノ」くらいの日常に成り下がって(笑)いるので、弾くことについてあまり深く考えたことはありません。なので、弾ける日はたくさん弾くし、時間がなくて弾けない日は20~30分しか弾きません。

今はそうなんですが、そうではない時期が相当長かった。
子ども頃は、時計を見ながら「あと何分弾けばいいんだろう」と練習してましたし、再開したころは譜読みで疲れ、指を動かせばイヤになり、まず続けることに苦労しました。弾く気はあるのですけど、気がつくと何日も弾いていない。
それではいけないと、とりあえず毎週レッスンに通うことにしました。練習してもしていなくても、とにかく毎週行く。弾かなくても怒られないような先生についていたし(殴)、レッスンに行ってもほとんどしゃべっていることもあり・・・。
このころはたいがい「明日はレッスンだった(汗)」とドロナワの前日練習。なんで1週間てこんなに早いの?という感じでした。
しかも、同じ曲を2~3ヶ月弾くとあきる。音が並んで暗譜できてとりあえず弾けるようになるとそれ以上やるべきことを思いつかない。発表会なんかで弾こうもんなら、「これで終わり!以上」でした。

それが変わったのは、やっぱりコンクールを受け始めてからで、「ここまでやってやっと曲になるんだ」というのは目からウロコの今さらながらの体験でした。
もちろん子どもの頃は何回かコンクールを受けていますし、どれだけ大変な練習が必要かということはわかっていましたけど、それはあくまでも「先生の言われたように完璧に弾く」という話で、自分で曲を仕上げるということではなかったので、大人になってからのコンクールとはまったく別モンです。
もちろん大人のコンテスタントでも「自分は先生の言われる通りに弾いてます」とおっしゃる方もおられるので、一概には言えないのですけど、多くの方が、自分の好きな曲を何ヶ月もあるいは何年もかかって仕上げてこられるさまは相当にショックでした。
コンクールにはもちろん負の部分もあります。受けることが必ずしもいいこととは私も思いませんし、不愉快なこともないわけではありません。なので、お勧めするには勇気が要りますけど、私について言えば、コンクールに出て初めて「練習の詰め方」みたいなものがわかったような気がします。

モチベーションについてもコンクールに出る意味は微妙です。
上がることもありますけど、下がることもあります。下がることのほうが多いかもしれません。ものすごいレベルの人を目の当たりにすると、自分の弾く意味を見失う。一生かかったってこんなレベルには達しないのだから、聴き手に徹したいなあ、と思ってしまいます。実際、私にもそういう経験があります。
もしこれから音楽に進むかどうか迷っている若い学習者であれば、それで進路が変わってしまうこともあるのかもしれないのですが、自分の場合は趣味なんだし、やめてもどうってことないです。だから逆にモチベーションを維持するのは大変なことなんですけど、私の場合は弾きたい曲がつねにあったし、それは誰と競う必要もないような曲ばかりで(笑)、楽譜が好きで作曲家の裏話が好きで(殴)、掃除するよりははるかに楽しいことだったので(蹴)、今のところこうして9年近く続いているわけです。

本を読むのは最近面倒なんですけど、楽譜を読むのは楽しいです。炊事しながら読んでることもあります。読めば読むほどやりたいことが出てくるし、それが本当に自分にできることなのか試しだすとやめられない。
そう考えると、予習をしなかったり、あきたりしていたころは、楽譜がちょっと苦痛だったような気がします。苦痛とは思っていなかったかもしれないけど、楽譜がここまで面白いものだ、ということに気づいていなかったかも・・・。

私は外国語がからきしダメなんですが、楽譜ってガイジンさんが書いたものが多いのに、結構簡単に読めてうれしいんですよね(笑)。
それも深い意味があったり、場合によってはそれに自分の気持ちものせられたりするので、二度でも三度でもおいしい気がして、寝かしては取り出し、取り出しては寝かせして遊んでます。

練習はストイックなところがありますけど、私の場合、その下心はやっぱり「遊び」です。道楽ですね。





野暮用の合間に

2008年09月12日 16時17分01秒 | 雑感
今朝、洗濯物を干しにベランダに出たところ、カメ君(8年ほど飼ってます)が、いかにも「腹減った~、なんかくれ」的ポーズで首を持ち上げていました。
たいがい、レタスとかきゅうりとかやっているのですが、あいにく今日はどちらも品切れ。しかたなくりんごをむいて自分が半分ほど食べつつ、皮を入れてやりました。結構うまそうで、パクパクと食べてました。

その後、たまった用を済ませるため街に行き、帰りに足りない食品の買い足しがてら、デパート地下の生鮮品売り場をのぞいてみました。
そうそう、カメくんのためにきゅうりも。
きゅうり 2本で・・・・なんと驚きの398円!
別に大きいわけでもなんでもないんです。たしかに有機栽培の京野菜ではありますが、それにしても一本約200円っちゅうことですか?
このきゅうり1本半で激安ブラジャーが買えます(←この激安モノ、数度の洗濯に耐え、いい感じで使えてます)。
あまりの衝撃に、いくらなんでも普通のきゅうりはそこまでじゃないだろうと他を見てみたのですが、そこでも3本で200円少し。1本70円程度。
きゅうりって1本せいぜい50円くらいであってほしいです(泣)。いやあ、カメに食べさせてる場合じゃありませんね。とりあえず買わずに帰りました。なければないでかまわないです・・・カッパじゃないんだし。

今日はピアノも弾かず(弾くヒマなく)あちこち歩きまわってましたけど、途中珍しくコーヒーショップへ立ち寄りました。
(ふつう、喫茶店とかには寄らないです。用をダダーッと済ませてダッシュで帰ります)。
昼間のコーヒーショップって平均年齢高いんですねえ。同じ店に夜入ったことがありますけど、そのときとはまったく雰囲気が違いました。
若い人は店員さんくらいで、あとは60歳以上?という感じです。
私のとなりの高齢のおじさまは、カップ満タンのコーヒーをうまく操れず、飲むそばからドバドバとこぼされ、しまいには立ってテーブルから身体を離して飲んでおられました。
お友達同士と思われるおばさまがたは、「早い時間でないと(買い物するにも)混んでくるからねえ」と話しておられました。
敬老の日も近いことですけど、ほんとに高齢者が多いのだと実感します。
人口構成とか、就業率とか、景気の動向等私なぞが考えてもどうにもならないことだらけなんですけど、老後に楽しみが残される、いや、楽しみを創造できる世の中であってほしいです。世の中の制度の整備とともに、中年以降それぞれ個人が「人生設計士」として知恵を絞っていかなければならなんでしょうね。

などつらつら考えた昼下がりでした。