ここのところ、あちこちのピアノ友達のブログで「ピアノのモチベーションが下がってしまって・・・」というグチ(?)を読むので、ちょっとそういう話題を。
とりあえず、ここ数年私は「モチベーションが下がった」という経験はないです。モチベーションがあまり必要ないレベルといったら変ですけど、「炊事・洗濯・ピアノ」というか、「食う・寝る・ピアノ」くらいの日常に成り下がって(笑)いるので、弾くことについてあまり深く考えたことはありません。なので、弾ける日はたくさん弾くし、時間がなくて弾けない日は20~30分しか弾きません。
今はそうなんですが、そうではない時期が相当長かった。
子ども頃は、時計を見ながら「あと何分弾けばいいんだろう」と練習してましたし、再開したころは譜読みで疲れ、指を動かせばイヤになり、まず続けることに苦労しました。弾く気はあるのですけど、気がつくと何日も弾いていない。
それではいけないと、とりあえず毎週レッスンに通うことにしました。練習してもしていなくても、とにかく毎週行く。弾かなくても怒られないような先生についていたし(殴)、レッスンに行ってもほとんどしゃべっていることもあり・・・。
このころはたいがい「明日はレッスンだった(汗)」とドロナワの前日練習。なんで1週間てこんなに早いの?という感じでした。
しかも、同じ曲を2~3ヶ月弾くとあきる。音が並んで暗譜できてとりあえず弾けるようになるとそれ以上やるべきことを思いつかない。発表会なんかで弾こうもんなら、「これで終わり!以上」でした。
それが変わったのは、やっぱりコンクールを受け始めてからで、「ここまでやってやっと曲になるんだ」というのは目からウロコの今さらながらの体験でした。
もちろん子どもの頃は何回かコンクールを受けていますし、どれだけ大変な練習が必要かということはわかっていましたけど、それはあくまでも「先生の言われたように完璧に弾く」という話で、自分で曲を仕上げるということではなかったので、大人になってからのコンクールとはまったく別モンです。
もちろん大人のコンテスタントでも「自分は先生の言われる通りに弾いてます」とおっしゃる方もおられるので、一概には言えないのですけど、多くの方が、自分の好きな曲を何ヶ月もあるいは何年もかかって仕上げてこられるさまは相当にショックでした。
コンクールにはもちろん負の部分もあります。受けることが必ずしもいいこととは私も思いませんし、不愉快なこともないわけではありません。なので、お勧めするには勇気が要りますけど、私について言えば、コンクールに出て初めて「練習の詰め方」みたいなものがわかったような気がします。
モチベーションについてもコンクールに出る意味は微妙です。
上がることもありますけど、下がることもあります。下がることのほうが多いかもしれません。ものすごいレベルの人を目の当たりにすると、自分の弾く意味を見失う。一生かかったってこんなレベルには達しないのだから、聴き手に徹したいなあ、と思ってしまいます。実際、私にもそういう経験があります。
もしこれから音楽に進むかどうか迷っている若い学習者であれば、それで進路が変わってしまうこともあるのかもしれないのですが、自分の場合は趣味なんだし、やめてもどうってことないです。だから逆にモチベーションを維持するのは大変なことなんですけど、私の場合は弾きたい曲がつねにあったし、それは誰と競う必要もないような曲ばかりで(笑)、楽譜が好きで作曲家の裏話が好きで(殴)、掃除するよりははるかに楽しいことだったので(蹴)、今のところこうして9年近く続いているわけです。
本を読むのは最近面倒なんですけど、楽譜を読むのは楽しいです。炊事しながら読んでることもあります。読めば読むほどやりたいことが出てくるし、それが本当に自分にできることなのか試しだすとやめられない。
そう考えると、予習をしなかったり、あきたりしていたころは、楽譜がちょっと苦痛だったような気がします。苦痛とは思っていなかったかもしれないけど、楽譜がここまで面白いものだ、ということに気づいていなかったかも・・・。
私は外国語がからきしダメなんですが、楽譜ってガイジンさんが書いたものが多いのに、結構簡単に読めてうれしいんですよね(笑)。
それも深い意味があったり、場合によってはそれに自分の気持ちものせられたりするので、二度でも三度でもおいしい気がして、寝かしては取り出し、取り出しては寝かせして遊んでます。
練習はストイックなところがありますけど、私の場合、その下心はやっぱり「遊び」です。道楽ですね。
とりあえず、ここ数年私は「モチベーションが下がった」という経験はないです。モチベーションがあまり必要ないレベルといったら変ですけど、「炊事・洗濯・ピアノ」というか、「食う・寝る・ピアノ」くらいの日常に成り下がって(笑)いるので、弾くことについてあまり深く考えたことはありません。なので、弾ける日はたくさん弾くし、時間がなくて弾けない日は20~30分しか弾きません。
今はそうなんですが、そうではない時期が相当長かった。
子ども頃は、時計を見ながら「あと何分弾けばいいんだろう」と練習してましたし、再開したころは譜読みで疲れ、指を動かせばイヤになり、まず続けることに苦労しました。弾く気はあるのですけど、気がつくと何日も弾いていない。
それではいけないと、とりあえず毎週レッスンに通うことにしました。練習してもしていなくても、とにかく毎週行く。弾かなくても怒られないような先生についていたし(殴)、レッスンに行ってもほとんどしゃべっていることもあり・・・。
このころはたいがい「明日はレッスンだった(汗)」とドロナワの前日練習。なんで1週間てこんなに早いの?という感じでした。
しかも、同じ曲を2~3ヶ月弾くとあきる。音が並んで暗譜できてとりあえず弾けるようになるとそれ以上やるべきことを思いつかない。発表会なんかで弾こうもんなら、「これで終わり!以上」でした。
それが変わったのは、やっぱりコンクールを受け始めてからで、「ここまでやってやっと曲になるんだ」というのは目からウロコの今さらながらの体験でした。
もちろん子どもの頃は何回かコンクールを受けていますし、どれだけ大変な練習が必要かということはわかっていましたけど、それはあくまでも「先生の言われたように完璧に弾く」という話で、自分で曲を仕上げるということではなかったので、大人になってからのコンクールとはまったく別モンです。
もちろん大人のコンテスタントでも「自分は先生の言われる通りに弾いてます」とおっしゃる方もおられるので、一概には言えないのですけど、多くの方が、自分の好きな曲を何ヶ月もあるいは何年もかかって仕上げてこられるさまは相当にショックでした。
コンクールにはもちろん負の部分もあります。受けることが必ずしもいいこととは私も思いませんし、不愉快なこともないわけではありません。なので、お勧めするには勇気が要りますけど、私について言えば、コンクールに出て初めて「練習の詰め方」みたいなものがわかったような気がします。
モチベーションについてもコンクールに出る意味は微妙です。
上がることもありますけど、下がることもあります。下がることのほうが多いかもしれません。ものすごいレベルの人を目の当たりにすると、自分の弾く意味を見失う。一生かかったってこんなレベルには達しないのだから、聴き手に徹したいなあ、と思ってしまいます。実際、私にもそういう経験があります。
もしこれから音楽に進むかどうか迷っている若い学習者であれば、それで進路が変わってしまうこともあるのかもしれないのですが、自分の場合は趣味なんだし、やめてもどうってことないです。だから逆にモチベーションを維持するのは大変なことなんですけど、私の場合は弾きたい曲がつねにあったし、それは誰と競う必要もないような曲ばかりで(笑)、楽譜が好きで作曲家の裏話が好きで(殴)、掃除するよりははるかに楽しいことだったので(蹴)、今のところこうして9年近く続いているわけです。
本を読むのは最近面倒なんですけど、楽譜を読むのは楽しいです。炊事しながら読んでることもあります。読めば読むほどやりたいことが出てくるし、それが本当に自分にできることなのか試しだすとやめられない。
そう考えると、予習をしなかったり、あきたりしていたころは、楽譜がちょっと苦痛だったような気がします。苦痛とは思っていなかったかもしれないけど、楽譜がここまで面白いものだ、ということに気づいていなかったかも・・・。
私は外国語がからきしダメなんですが、楽譜ってガイジンさんが書いたものが多いのに、結構簡単に読めてうれしいんですよね(笑)。
それも深い意味があったり、場合によってはそれに自分の気持ちものせられたりするので、二度でも三度でもおいしい気がして、寝かしては取り出し、取り出しては寝かせして遊んでます。
練習はストイックなところがありますけど、私の場合、その下心はやっぱり「遊び」です。道楽ですね。