~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

おばちゃんの冷や水

2008年10月05日 22時39分01秒 | ピアノ
四十肩が相変わらずです(泣)。
あまりにも相変わらずなもので、それなりにつきあい方も学んできたように思いますが。

どうも、「肩が痛い」というと、「ビルかどこかから肩に鉄板がふってきて」→「骨肉腫になった」というわけのわからない話がどこかから甦り、それはなんだろうと記憶を掘り返してみるに、どうも「サインはV」のなかのエピソードだったのではないかと思われます。
それにしても、ものすごく謎なのです・・・「鉄板が落ちてきて、骨肉腫になる」という話。どなたか詳細をご記憶でしたら、教えてくださいませ。

なので、なんとなく私のなかでは「肩が痛い」というのは、どこかスポコンチックで悲壮でかっこいい(殴)。
ですが、現実はメチャクチャかっこ悪いです。
パソコンをいじりながら背後のテレビを消そうとすると激痛が走り、
Tシャツを脱ごうとすると腕が上がらず、
ピアノも手の交差はあまりうれしくない。
だからといって医者に行く気もしないし、治らなくとも、悪くならなければいいや、程度の意識。
肩に関連してのことだと思いますけど、右ひじも結構ぎしぎしいいます。こういうのどうにかしてアブラ注せばいいんじゃないかと思うのですが、注しようがわからないです。

これらはすべて右側です。
でも弾いてる分には右は問題ないんですよ。どちらかというと目下疲労がたまるのは左。
『熱情ソナタ』、テンポがそれなりに上がってきて、全3楽章続けて練習することも増えてきましたけど、そこで問題になってきたのが、エネルギーの配分。
1楽章からテンションが上がってしまう曲なのですが、なんとか3楽章のコーダを弾き切らないと全体としてしまりません。
ここで息も絶え絶えになるわけにはいかない。いちおう、2楽章も3楽章もすべてリピートをするつもりなので、特に3楽章はうまく加減をしていかないと途中で行き倒れのキケンあり。
弾かれたかたならご存知と思いますけど、第3楽章は右手もですけど、結構左手がうるさくて、ツリそうな部分があります。本番ではどうしても身体が硬くなるので、身体的にはかなりの余裕がほしいところ。

このあたりが、コンクールで7分くらいの曲を弾くのと、20~30分かけてソナタ全楽章を弾くのとの違いですね、まずは身体面で。
『熱情』っていうと、若くて生きのいいお兄ちゃんたちが「誰にもとめられない」くらいの勢いで弾く印象がありますから、四十肩がどうこう言ってるおばちゃんは、よほど考えて弾かないとエライことになります。
これから弾きこんでいくにあたっていろいろ困難が出てくると思うのですけど、まずは「アブラ」が切れないように(笑)、按配していくのが課題です。

いくらスポコンたって、
「立つんだ!」と声かけられたり、カウントとられたりするわけにはいかないですから(逃)。






弦楽六重奏演奏会

2008年10月05日 20時43分32秒 | 室内楽
本日、六重奏のコンサートを聴いてまいりました。

ファーストヴァイオリンは東京芸大の准教授、
読響からヴァイオリン1名、ヴィオラ1名
広響からヴィオラ1名、チェロ2名、という組み合わせ。

<プログラム>
リヒャルト・シュトラウス:オペラ「カプリッチョ」より六重奏曲 作品85
アルノルト・シェーンベルク:弦楽六重奏曲「浄夜」作品4
ピョートル・チャイコフスキー:フィレンツェの想い出 作品70

こう書くとたった3行ですけど(笑)、15分の休憩をいれて約2時間のプログラム。地方ではなかなか聴く機会のない内容です。
どの曲も生で聴くのは初めて。それどころか、テレビやCDでも「浄夜」以外聴いたことあったけ?・・という感じです。

「カプリッチョ」というオペラは、あるブログで記事を読んだり、知人から噂(?)をきいたりして日頃興味を持っておりました。
リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)の書いた最後のオペラで、1942年にミュンヘンで初演されたらしいです。
舞台は18世紀フランス。ある詩人と作曲家がそれぞれ、言葉と音楽、どちらがより重要かということを議論。そして、彼らは、それぞれの言葉と音楽によって、伯爵夫人の心を射止めようとする・・・・
なんでも、この弦楽六重奏曲によってオペラが始まるそうです。
このオペラそのものを観たことがないのでなんともいえないのですけど、「ローゼンカバリエ」(1905-1910作曲 1911年初演)にくらべると、毒気の抜けたような(殴)、でもとても70台後半の作曲とは思えないような・・。
もう一回ゆっくり聴いてみたいです。

「浄夜」は作品番号が若いことからもわかるように、シェーンベルクが24か25歳の時の作品。
オーケストラ版で何回か聴いたことがありますけど、今日のメンバーのひとり、チェロのM先生が「インティメット(intimate)な曲なので、六重奏の方が私は好きです」とおっしゃっていましたけど、私も同感です。
なにかを語るほどこの曲について知っているわけではないのですけど、実にすごい曲なんです。なにがすごいかときかれると困るんですけど、こちらの心を波立たせ、悩ませ、恍惚とさせ、ある種のあきらめをもたらす、さまざまな表現を可能にしたオソロシイ曲とも思えます。
プログラムによりますと・・・・
この曲はドイツの詩人リヒャルト・デーメルの詩に基づいて作曲されたもの。
詩の中では、男と女が、夜の森を通りぬけている。その途中に、女はある暗い秘密を男に告白する、彼女は見知らぬ男との間に出来た子どもを身ごもっていた・・・。
この曲は単一楽章から成り、デーメルの詩に対応して、「告白」「女の悲しみと絶望」「男の(告白に対する)反応」「男の(告白に対する)受け入れ」「男の許し」という5つの部分から構成されています。

なんか凄い曲だとずっと思ってましたけど、内容すごいですねえ。
20代前半でこんな曲を作るっていったい・・・


最後は「フィレンツェの想い出」と題しながら、大変「ロシア的」だとされる一曲。
ライブでは、メロディーを「はい。もらった!」と受け渡していくさまや、「今、きざみ入れてるだけだけど、そのうちいきますよ~。それ、クレシェンドォォ・・・」というそれぞれの動きが感じられるのがたまらない。
指揮者がいないですから、そういう<気>のやりとりがそれこそ「インティメット」に感じられます。
オーケストラもいいですけど、室内楽、それも五重奏、六重奏を聴く機会がもっとあればいいのに、とあらためて思いました。


このコンサートは、11月18日(火)虎ノ門JTアートホールアフィニスにおいても、同プログラムで行われます。(一般2000円、学生1000円)