~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

明日でテスト終わり

2008年12月11日 21時15分01秒 | 雑感
息子、明日は歴史のテストらしい。
紙を片手に暗記中。

しょうわるせつ・・・しゅんし

なんのことだ?
まさか「性悪説の荀子(じゅんし)」ではあるまいな?
その紙を貸しなさい!

はたして
「性悪説」の「筍子」と書いてあった。

・・・性悪のタケノコかよっ!・・・
「しょうわる」も「筍」も冗談だと思いたい(泣)。



聴かせてください

2008年12月11日 16時06分25秒 | その他音楽
ふと思い出したことです。

私、これまで何人かの先生にレッスンをしていただきました。男性、女性、20代~60代、コンサートピアニスト、大学の先生、個人の先生、いろいろです。
どの先生のレッスンも得ることが多く、ご恩は忘れておりませんが、そのなかで大変印象深かった先生・・・

世間的に言いますと大変地位のある方なのですけど、ほんとに私のような、どこのナンのホネともしれない人間にも丁寧に接してくださる。
レッスンを始める前は「では、聴かせてください」、終わる時は「また聴かせてください」。
折々にはお手紙もくださり、ご自分の近況とともに「貴女の演奏もまた聴かせてください」。

言葉だけではなく、雰囲気からもこちらを大変尊重してくださっている感じが伝わります。「ここは、こんな風に」と弾いてきかせてくださる時、あまりうまくいかなかったりすると「さらってないので、よく弾けなくてすみません」と言われる。
私などとは違って、専門的で膨大な知識をお持ちのはずなのに、それらをドドッと並べられることもなく、必要なときに的確に使われる。
いわゆる「演奏家」としてご活躍というわけではなかったのですけれど、音楽の美しさを心から愛し、それに関わって生きていくことを喜ばれ、人を尊重して礼を尽くされる姿勢に、私感銘を受けました。

そして私も、たとえいくばくかの知識があったとしても、それはすべて借り物であるわけで自分が発見したものでもなんでもないし、少しばかり弾けたとしても、ピアノを習うことが許された子ども時代と、練習が許される現在の環境あってのことで、自分の手柄でもなんでもないことを、忘れてはならないと思ったのでした。


以上の話は、まずお人柄にひかれた話なのですが、逆に演奏を聴いてからお人柄に思いをはせた経験もあります。


ある演奏会(前述の先生のお仲間の演奏会)でのこと。
その方は、コンチェルトの伴奏だったのですが、技術や音のたしかさはある意味当然として、謙虚で相手への心配りにあふれた温かい音楽。
おそらく、すばらしい先生にして家庭人でいっらしゃるのであろう、と想像いたしました。
その後、その先生の情報を得る機会がありましたが、指導者としてはもちろん、お人柄が何より素敵だ、ということでした。
ちょっとした追っかけのようになり、某発表会でも伴奏を聴かせていただきました。
そして、つい先日、あるコンクール会場でついにお声をかけさせていただく機会が。
物腰、言葉遣い、吸い込まれるように素敵な方でした(ちなみに女性)。お母さんでもいらっしゃるのですけど、こんな風になれたらいいなあ・・と憧れました。

演奏とは怖いもので、どんなに表面を取り繕っても、上手い人は上手い人なりに、そうでない人もまたそれなりに、その人の中身がバレバレです。
音や演奏を磨くことは自分を磨くことにほかならないのだな、とあらためて思うことでした。

・・・こういう方々との出会いひとつひとつを大切にしていきたいと思う、年賀状の季節・・・・