よく、「羨望と嫉妬」となどといいますが、世の中で起きているさまざまな事件をたどっていくとこれに起因することが多く、なかなかやっかいな人間のサガであります。
「嫉妬」までいくとどうなのかなとも思いますけど、「羨望」は、扱いようによってはプラス方面への強烈なエネルギーを生むこともあるかもしれません。
こんな私でも、ときどき「うらやましいです」と言ってくださる方がいて、それはどういう気持ちから言われたのか正確には推し量ることは難しいですけれど、実際には相手に面と向かって「うらやましい」というのは意外とないような気がします。フツフツとした羨望や、腹の中真っ黒な嫉妬にかられていると、なかなかこの一言は相手には言葉として伝えにくいような・・・。
そういう心理的にどうこうという話はおいといて、私がこれまで「うらやましいなあ」という言葉を思わず相手に言ったことはどういう場面かを振り返ってみると、相手の「手」に関してが圧倒的に多い。
女性でもほぼ10度がつかめる、とか
非常に柔軟な手である、とか
必要な箇所にきっちり筋肉がついている、とか
そういう「手」ですね。
かつ、それはトレーニングを積みまくって獲得したものというわけではなくて、先天的にそういう形状である、という場合。
3歳くらいの小さい子の手を何人と握ってみればよくわかりますけど、小さくても一人一人手というものは違っていて、「(将来楽しみな)努力のしがいのある手」というのは存在すると思います。
それは楽器によってたぶん違っているのではないか、とも思います。
現在チェロの世界的トッププレイヤーであるブルネロ氏が、小さいころギターを習いたいと先生のところへいったら「君はチェロに向いているからそちらを習いなさい」とおっしゃったとか。
よくはわかりませんけど、教える前からそういうことをおっしゃったということは、なにか身体的特徴があったのかもしれません。
国をあげて天才を育てようというところは、もしかすると、ある一定の年齢に達したときに、「この子はバレエ」「この子はピアノ」「この子はバイオリン」などなど身体的にも選別して、最短距離の教育を施すのかもしれませんね。
ただ、恵まれた体格や特徴が必ずしも結果につながるとは限らないのは、いろいろな事例が証明している通り。
「身体が硬くて不向」とトレーナーである親からもサジを投げられたような子どもが、(別のコーチの下で)体操のオリンピック選手になったり、
少年選手たちの中では、一番身体的には水泳に不向きだったといわれる北島選手があのような快挙をとげたり、
といろいろあります。
また、身近できいたところ(ピアニスト)では、すごく手が硬くて苦労していた人が、その硬さを生かして、ドドッと固めたままオクターブの連打やスケールを弾く奏法を使い、コンクール等でいい結果を出してきた、とか。
要は、短所であれ長所であれ、それを分析するコーチ(先生)とそれに基づいて努力する本人がいて、いい結果が生まれたということでしょうか?
私の場合は、とくにコーチがいるわけではないのですが、前述の「うらやましい」という時点で、自分に不足しているものを自覚しているとも言えるわけで、そのプチ分析を少しでも日々の練習の中でプラスに持っていければいいわけです(あくまでも理想としては、ですが)。
ピアノでもなんでも、トレーニング方法というのはひとりひとり違ってしかるべきで、世の中にあふれている膨大な方法の中から、自分用のメニューが自分で組み立てられれば一番いいわけですけれど、それを判断するのは大変難しいですし、1回きいてもらった先生にそれを求めるを無理というものです(なかには、スーパーティーチャーもおられるかもしれませんが)。
もちろん基本的で普遍的なものはあると思いますけど、信頼のおける先生に長期的・短期的に個人的メニューを組んでいただいて、二人三脚でやっていくのが理想だと思います。
・・・それができれば言うことないんですが、これがなかなか難しいし、だいたいそういう先生をどうやって探すんだ(・・とくに子どもの場合)、ってことになるんですが・・。
「嫉妬」までいくとどうなのかなとも思いますけど、「羨望」は、扱いようによってはプラス方面への強烈なエネルギーを生むこともあるかもしれません。
こんな私でも、ときどき「うらやましいです」と言ってくださる方がいて、それはどういう気持ちから言われたのか正確には推し量ることは難しいですけれど、実際には相手に面と向かって「うらやましい」というのは意外とないような気がします。フツフツとした羨望や、腹の中真っ黒な嫉妬にかられていると、なかなかこの一言は相手には言葉として伝えにくいような・・・。
そういう心理的にどうこうという話はおいといて、私がこれまで「うらやましいなあ」という言葉を思わず相手に言ったことはどういう場面かを振り返ってみると、相手の「手」に関してが圧倒的に多い。
女性でもほぼ10度がつかめる、とか
非常に柔軟な手である、とか
必要な箇所にきっちり筋肉がついている、とか
そういう「手」ですね。
かつ、それはトレーニングを積みまくって獲得したものというわけではなくて、先天的にそういう形状である、という場合。
3歳くらいの小さい子の手を何人と握ってみればよくわかりますけど、小さくても一人一人手というものは違っていて、「(将来楽しみな)努力のしがいのある手」というのは存在すると思います。
それは楽器によってたぶん違っているのではないか、とも思います。
現在チェロの世界的トッププレイヤーであるブルネロ氏が、小さいころギターを習いたいと先生のところへいったら「君はチェロに向いているからそちらを習いなさい」とおっしゃったとか。
よくはわかりませんけど、教える前からそういうことをおっしゃったということは、なにか身体的特徴があったのかもしれません。
国をあげて天才を育てようというところは、もしかすると、ある一定の年齢に達したときに、「この子はバレエ」「この子はピアノ」「この子はバイオリン」などなど身体的にも選別して、最短距離の教育を施すのかもしれませんね。
ただ、恵まれた体格や特徴が必ずしも結果につながるとは限らないのは、いろいろな事例が証明している通り。
「身体が硬くて不向」とトレーナーである親からもサジを投げられたような子どもが、(別のコーチの下で)体操のオリンピック選手になったり、
少年選手たちの中では、一番身体的には水泳に不向きだったといわれる北島選手があのような快挙をとげたり、
といろいろあります。
また、身近できいたところ(ピアニスト)では、すごく手が硬くて苦労していた人が、その硬さを生かして、ドドッと固めたままオクターブの連打やスケールを弾く奏法を使い、コンクール等でいい結果を出してきた、とか。
要は、短所であれ長所であれ、それを分析するコーチ(先生)とそれに基づいて努力する本人がいて、いい結果が生まれたということでしょうか?
私の場合は、とくにコーチがいるわけではないのですが、前述の「うらやましい」という時点で、自分に不足しているものを自覚しているとも言えるわけで、そのプチ分析を少しでも日々の練習の中でプラスに持っていければいいわけです(あくまでも理想としては、ですが)。
ピアノでもなんでも、トレーニング方法というのはひとりひとり違ってしかるべきで、世の中にあふれている膨大な方法の中から、自分用のメニューが自分で組み立てられれば一番いいわけですけれど、それを判断するのは大変難しいですし、1回きいてもらった先生にそれを求めるを無理というものです(なかには、スーパーティーチャーもおられるかもしれませんが)。
もちろん基本的で普遍的なものはあると思いますけど、信頼のおける先生に長期的・短期的に個人的メニューを組んでいただいて、二人三脚でやっていくのが理想だと思います。
・・・それができれば言うことないんですが、これがなかなか難しいし、だいたいそういう先生をどうやって探すんだ(・・とくに子どもの場合)、ってことになるんですが・・。