私は実は難しいことを考えるのが嫌いです。
実は・・と断るまでもなく、まあこのブログを読んでいただければわかることですが・・・。
で、実は説明文とかを読むのも苦手で、美術館や博物館で展示物の説明を読むのは死にそうです。読んでいるうちに目が泳いできて(老眼とかそういうことではなく)、前後の関係もわからなくなり、最後の「。」に行き着く頃には、すべてのことが脳みその表面から滑り落ちてます。
学校の勉強についてはまあ不自由はなかったし、展示物等の説明文中にわからない文言があるとかそういうわけでもないのに、なにも頭に入りません。加齢で脳に難ができて・・というわけではなく、子どものころからそうです。
もうひとつ苦手なことがあって・・・これは漫画を読むことなんです。
字の部分と絵の部分を同時に読めないというか、どういうタイミングで絵から字に目を移すのか、字から絵に目を移すのか、あるいはどうやったら同時に視野に入れられるかがわかりません。
けっして嫌いではないのですけど、非常に時間がかかります。新書版くらいのサイズだと一日持ちます。
この漫画の「読みづらさ」というのをときどき体験すると、ピアノを再開したころの楽譜の読みづらさが蘇ってきます。
メロディーを読んでいると左手の和音が視野に入らないとか、
音が重なってる部分については上から、あるいは下か順番に拾っていかないととっさには弾けないとか、
その小節だけを読んでいて次に目がいかないからいちいち止まってしまうとか・・・。
ほんとに10年数年前まで初見ですらすら弾けてたのか?・・と自分でも信じられないようなザマでした。
そのうちだんだんと初見ができるようになり、それも数小節先くらいまで視野に入るようになってきましたけど、それまでは大変でした。
その状態があまりにも嫌で再開やめようか・・と思うくらい。
たぶん・・なんですけど、
私は、漫画の1コマ1コマで目が停止していて、それをつないで読んでいるんじゃないかと思うんです。逆にすいすい読めるひとは、先のコマ、もっというと開いたページ全体が視野に入ってるのではなかろうか、と。
・・・これも慣れなんですかね?
実は・・と断るまでもなく、まあこのブログを読んでいただければわかることですが・・・。
で、実は説明文とかを読むのも苦手で、美術館や博物館で展示物の説明を読むのは死にそうです。読んでいるうちに目が泳いできて(老眼とかそういうことではなく)、前後の関係もわからなくなり、最後の「。」に行き着く頃には、すべてのことが脳みその表面から滑り落ちてます。
学校の勉強についてはまあ不自由はなかったし、展示物等の説明文中にわからない文言があるとかそういうわけでもないのに、なにも頭に入りません。加齢で脳に難ができて・・というわけではなく、子どものころからそうです。
もうひとつ苦手なことがあって・・・これは漫画を読むことなんです。
字の部分と絵の部分を同時に読めないというか、どういうタイミングで絵から字に目を移すのか、字から絵に目を移すのか、あるいはどうやったら同時に視野に入れられるかがわかりません。
けっして嫌いではないのですけど、非常に時間がかかります。新書版くらいのサイズだと一日持ちます。
この漫画の「読みづらさ」というのをときどき体験すると、ピアノを再開したころの楽譜の読みづらさが蘇ってきます。
メロディーを読んでいると左手の和音が視野に入らないとか、
音が重なってる部分については上から、あるいは下か順番に拾っていかないととっさには弾けないとか、
その小節だけを読んでいて次に目がいかないからいちいち止まってしまうとか・・・。
ほんとに10年数年前まで初見ですらすら弾けてたのか?・・と自分でも信じられないようなザマでした。
そのうちだんだんと初見ができるようになり、それも数小節先くらいまで視野に入るようになってきましたけど、それまでは大変でした。
その状態があまりにも嫌で再開やめようか・・と思うくらい。
たぶん・・なんですけど、
私は、漫画の1コマ1コマで目が停止していて、それをつないで読んでいるんじゃないかと思うんです。逆にすいすい読めるひとは、先のコマ、もっというと開いたページ全体が視野に入ってるのではなかろうか、と。
・・・これも慣れなんですかね?