夕方、松本氏のレッスンを受けてまいりました。
今年はすごい!6、9、10、11月と今日で4回です。
ベートーヴェンのソナタ11番はこれで3回目。ひとつの曲を連続してみていただいたのは初めてです。
いきなりちょっとグチってしまった私・・
「一昨日、初めてこの曲録音してみたんです。ところが、浜コン聴きまくった耳で聴いたもんで、気持ち悪いというかイヤになったというか・・・」
「(笑)・・そりゃ、浜コン聴いてそのレベルで比べたらねえ(笑)。ホロヴィッツなんか聴いたあとで自分の演奏なんかできないしねえ・・」
「聴く順番悪かったですかねえ」
「いえいえ、そういう厳しい耳をもつのは大事です。そこから始まるというか・・」
「で、思ったのですが、私の弾き方ってフレーズが短くてガキっぽく、ヘンなとこに重心がありません?どこか気持ち悪いんですよね?たとえばフレーズのあとのほうに力入ってるというか・・」
「・・・う~ん、そこまでわかっているなら治りそうなもんだけど」
「他の人の演奏とか自分録音聴くとよくわかるのですけど、なかなか治らないんです、治せないというか」
「重心の問題になると、これはかなり思い切って自分を変えないとなかなかですよ。たとえば僕も・・」
・・といって、スクリャービンの5番ソナタを弾いてくださったのですが・・
「・・・ここね、ここ今だったら上に響くようにこういう風に弾く、と思うのだけど、学生時代に弾いた曲だから、体がとっさにそうは動かない。難しいよねえ」
というわけで、11番の第1楽章の最初のほうを主にやっていきました。
もう最初から、なんか違和感があるわけです。
「出る前の息がね、最初のフレーズをふっと押し上げるように出ないといけないし、さらに、その次の休符までをひとつとして弾かないと一回一回落ちてしまうんですよ。そのあと上りきったところで、また一回落ちちゃうんだなあ」
「上がりきったとこの長い音符は、fpというのと、『ミスなしで無事に上がれた』と喜んでほっとしてしまうんです」
「(笑)ダメダメ。その先の音符までむしろ上がり気味に感じていかないと」
ほかもだいたい似たような問題ばかりでした。右手だけでメロディーの8分音符とハーモニーの4分音符を同時に弾くところは、あきらかに、4分音符につられて、8分音符のメロディが切れ切れになってしまっているのですが、
「ここ、おかしいよね。なぜそうなってると思う?」ときかれました。
「手首で4分音符を弾いているからです」
「そう、じゃどうしたらいい?」
「指で弾けばいいと思います」
「わかってるんだったらそこ詰めていきましょうよ」
「ほんとに。ただ、わかったのは昨日で(笑)」
「えっと録音したの昨日?」
「いえ、おとといは聴いてイヤになって放棄。昨日気持ち悪い原因をつらつら考えました」
まあこんな調子で、来月にどうこうということではなくて、長期戦の課題がババ~ンと出てきたわけです。
今までも、いろんな形でいろんな方にいわれてきたんですけどね、自分が本気で「気持ち悪い」と思ったのは初めてなので、やっとそのレベルに耳が追いついてきたということです。
今までいろいろ指摘してくださった先生方、・・やっと目が、いや耳が覚めました(謝)。これで治るとかそういうもんでもないでしょうけど、松本氏にも「そこからじっくりやっていけば、またよくなっていくから」と言われましたので、ボチボチやっていきます。
あとはなんだか今日は思い出話みたいになり、「最初『展覧会の絵』もってきたときからするとだいぶ変わったよね」ということから、
・・そのときが実は、プチリサイタルをやった1か月後くらいだったこと、そのプチリサイタルで前半プログラムを弾いたら腕が上がらなるくらい脱力ができておらず、このままではとてもダメだと思っていたこと、
・・そしてそのあと松本氏のレッスンで脱力ばかり1時間教わり、そのあと地味にひとりで脱力の訓練をしていたこと、それでだいぶ楽になったこと、
などなどを語りました。
松本氏自身は、「最初のレッスンでどんなこと言いましたっけ?『どんな生活しているんですか?』ときいた記憶がある」とおっしゃってましたが(笑)。
友人のピンチヒッターで受けたレッスンだったというと、「あ、そうだったの?そうか・・縁ですねえ」と。
私は、ほかにも基礎的なレッスンを月2回、チェンバロを月1回、受けているのですけど、いずれもほんとに「ご縁」で師事することになりました。
いい大人になって、しかも主婦にこんな生活が許されていることを心から感謝しております。一方そうであればあるほど「自分だけが楽しければいい」というものでもありませんので、真剣にやっていかなければ、と思っています。
そしてできる限りなんらかの形で、志を持った方々に少しでも還元していきたいと思っています。
今年はすごい!6、9、10、11月と今日で4回です。
ベートーヴェンのソナタ11番はこれで3回目。ひとつの曲を連続してみていただいたのは初めてです。
いきなりちょっとグチってしまった私・・
「一昨日、初めてこの曲録音してみたんです。ところが、浜コン聴きまくった耳で聴いたもんで、気持ち悪いというかイヤになったというか・・・」
「(笑)・・そりゃ、浜コン聴いてそのレベルで比べたらねえ(笑)。ホロヴィッツなんか聴いたあとで自分の演奏なんかできないしねえ・・」
「聴く順番悪かったですかねえ」
「いえいえ、そういう厳しい耳をもつのは大事です。そこから始まるというか・・」
「で、思ったのですが、私の弾き方ってフレーズが短くてガキっぽく、ヘンなとこに重心がありません?どこか気持ち悪いんですよね?たとえばフレーズのあとのほうに力入ってるというか・・」
「・・・う~ん、そこまでわかっているなら治りそうなもんだけど」
「他の人の演奏とか自分録音聴くとよくわかるのですけど、なかなか治らないんです、治せないというか」
「重心の問題になると、これはかなり思い切って自分を変えないとなかなかですよ。たとえば僕も・・」
・・といって、スクリャービンの5番ソナタを弾いてくださったのですが・・
「・・・ここね、ここ今だったら上に響くようにこういう風に弾く、と思うのだけど、学生時代に弾いた曲だから、体がとっさにそうは動かない。難しいよねえ」
というわけで、11番の第1楽章の最初のほうを主にやっていきました。
もう最初から、なんか違和感があるわけです。
「出る前の息がね、最初のフレーズをふっと押し上げるように出ないといけないし、さらに、その次の休符までをひとつとして弾かないと一回一回落ちてしまうんですよ。そのあと上りきったところで、また一回落ちちゃうんだなあ」
「上がりきったとこの長い音符は、fpというのと、『ミスなしで無事に上がれた』と喜んでほっとしてしまうんです」
「(笑)ダメダメ。その先の音符までむしろ上がり気味に感じていかないと」
ほかもだいたい似たような問題ばかりでした。右手だけでメロディーの8分音符とハーモニーの4分音符を同時に弾くところは、あきらかに、4分音符につられて、8分音符のメロディが切れ切れになってしまっているのですが、
「ここ、おかしいよね。なぜそうなってると思う?」ときかれました。
「手首で4分音符を弾いているからです」
「そう、じゃどうしたらいい?」
「指で弾けばいいと思います」
「わかってるんだったらそこ詰めていきましょうよ」
「ほんとに。ただ、わかったのは昨日で(笑)」
「えっと録音したの昨日?」
「いえ、おとといは聴いてイヤになって放棄。昨日気持ち悪い原因をつらつら考えました」
まあこんな調子で、来月にどうこうということではなくて、長期戦の課題がババ~ンと出てきたわけです。
今までも、いろんな形でいろんな方にいわれてきたんですけどね、自分が本気で「気持ち悪い」と思ったのは初めてなので、やっとそのレベルに耳が追いついてきたということです。
今までいろいろ指摘してくださった先生方、・・やっと目が、いや耳が覚めました(謝)。これで治るとかそういうもんでもないでしょうけど、松本氏にも「そこからじっくりやっていけば、またよくなっていくから」と言われましたので、ボチボチやっていきます。
あとはなんだか今日は思い出話みたいになり、「最初『展覧会の絵』もってきたときからするとだいぶ変わったよね」ということから、
・・そのときが実は、プチリサイタルをやった1か月後くらいだったこと、そのプチリサイタルで前半プログラムを弾いたら腕が上がらなるくらい脱力ができておらず、このままではとてもダメだと思っていたこと、
・・そしてそのあと松本氏のレッスンで脱力ばかり1時間教わり、そのあと地味にひとりで脱力の訓練をしていたこと、それでだいぶ楽になったこと、
などなどを語りました。
松本氏自身は、「最初のレッスンでどんなこと言いましたっけ?『どんな生活しているんですか?』ときいた記憶がある」とおっしゃってましたが(笑)。
友人のピンチヒッターで受けたレッスンだったというと、「あ、そうだったの?そうか・・縁ですねえ」と。
私は、ほかにも基礎的なレッスンを月2回、チェンバロを月1回、受けているのですけど、いずれもほんとに「ご縁」で師事することになりました。
いい大人になって、しかも主婦にこんな生活が許されていることを心から感謝しております。一方そうであればあるほど「自分だけが楽しければいい」というものでもありませんので、真剣にやっていかなければ、と思っています。
そしてできる限りなんらかの形で、志を持った方々に少しでも還元していきたいと思っています。