付添人なしの自分は、
医師の病状説明を毎回一人で聴く。(当然ですが!)
叔父さん、叔母さんには、えらい心配を頂いているから、今度は自分が、それぞれに、告知をしないといけない。
これが、皆さんの反応を想像力すると、重たくて、ずっと出来ないでいるのだ。
正月だった事もあり、中々、がんと言う暗い話題は切り出せないでいた。
1月15日にして頂いたカンファレンスは、最終のまとめの様なものだったから、今回を逃せばまた、話す機会を失ってしまうので、その話を含めて詳しい話を皆さんに、順次お伝えした。
反応は、皆さんそれぞれで、
「バカヤロー、何でそんな大事な事今まで黙っていたんだョー。 」
「それじゃ、なに、ステージ4とかなんじゃないのか! まさかもう会えないんじゃないんだろうな。」 叔父。
看護婦だった叔母さんは、、
「何だ、やっぱりそうだったの、ずっとおかしいと思ってたんだ。」
最初は、2009年の時だと話したら、、、、
その時は、泊まりで遊びに行っていてた。
宇都宮から虎ノ門病院まで通院したのを覚えていて、あの時でしょう、と、言われた。。
なんで、早いうち切らなかったの?と、、、、
西洋医学の専門家だから、早くに切っていれば確実に治っていたのに、と思っていると思います。
一番身近の叔母さんは、
「今までも大変だったのに、また、大変なんだね。また、生き方を編み出してもうひと頑張り大変だけど、頑張って。」
「何もしてあげられなくて、、、何か欲しい物とか必要な物は無いの? 何でも言ってちょうだい。 お金は?足りてるの?」と、
今回、入院して、お金は、もう生活費のレベルで送って頂いたのに、また、そう言ってくれるのです。
実家には、病院から連絡を入れたから、情報が廻りだして、今日は、別の叔母さんから電話が入っていた。
皆さんに心配されて、有り難い事です。
話の中でも出たのですが、、、、、、
自分は、、「親子、兄弟関係」には恵まれなかった分、親戚の方には恵まれていました。
親への不平不満ばかり言ってましたが、親戚の方に、これ程お世話になれば、コチラのお世話になったプラスの方が大きいのに、今まで気が付けなかったのです。
多分、気がつくように、ここまで来たのでしょう。 気がつか無いのでここまで来る必要があったのでしょう。
今の状況に、
余り、不安や恐怖心を感じないのには理由があって、
一つには、幼少期から虐待され続け、苦しみには慣れている事。
一つには、何度も、死を覚悟しなければ生けない場面があり、その度に、死の恐怖が薄れてきた事。
一つには、病気になってから、叔父さん叔母さん中心に、多くの方々にお世話になって来たので、自分は守られていると言う思いが強く、孤独感、疎外感など負の感情を全く感じない事。
そして、、、、、
あれ程憎んでいた、親、兄弟への強い怒りの感情が薄れて来た事。
怒りや憎しみの感情で、本当に人間は自分の身体を自ら壊すと言う事を嫌と言う程体験した。
それが解っていても、憎む事を止められなかった。 死んでも構わない、と思っていたのだ。
それが、今や、
まだ十分とは言えないが、落ち着いたものなのだ。
親を軽蔑しないといけない情けなさ、
親不孝だと言う、自責の念。
(山岡鉄舟の武士道に、どんな理由があろうと、親不孝は許されない、親孝行第一とあり、これは酷く落ち込んだ。)
それが消えて、スッキリしました。
そして、それを自分の成長と捉えられているからなのでしょう。
他にも、沢山気が付かないと生けない事はあるのでしょうが、
いまは、感じられないでいます。
それに、気がつくようになれば、卒業なのでしょう。
病気が卒業なのか、はたまた、人生の卒業なのか?
分かりませんか、兎に角、卒業なのでしょう!