アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

倉本聰の「屋根」を観る

2009年02月03日 | Weblog
   家族の本当の幸せって何なんでしょう…

 2月の北海道富良野…氷点下10度より冷え込み、雪は一晩に50cmも積もる。小高い丘に建つ富良野演劇工場。「作・演出、倉本 聰。富良野GROUPロングラン公演2009冬『屋根』」を、観てきました。

 倉本聰さんは、作者の言葉として… 
 ・・・富良野の廃屋。朽ち果て、柱は崩れ屋根は落ちて骨組みだけが夏草や灌木の間にかろうじて顔をみせ・・・その屋根を剥がし腐った床板を踏み抜きながらその下を覗くと、そこには離農した家族の当夜の情景が必ずと云っていいほど浮かび上がり・・・

 分かるのです。浮かび上がりますよ、私にも。北海道をドライブすると、今でも朽ち果てた廃屋を目にします。「人里から遙かに離れた所に入植し、苦労に苦労を重ね、結局放棄しなければならなかったんだろうなあ」と、そこに生きた人の必死の労働と、放棄を決断しなければならなかった無念さが偲ばれます。私の両親も、夢をもって北海道の山の中へ入植しました。夢が破れるのに、それほどの時間を要しませんでした。倉本聰さんが、屋根を剥がして覗いた家は、私たちが暮らした家だったかも知れません。
 ヒグマに押しつぶされそうな家にも、家族の団らんがあり、ささやかな喜び、怒り、悲しみがあり…楽しみもありました。

 「富良野演劇工場」…駐車場の人、案内の人、受付の人、クロークの人、もぎりの人、座席案内の人…皆、学力が高い。富良野の山中に、これほど高レベルな若者たち(成年、中年も混じる)、がいることが嬉しくなりました。目が合う前に気持ちのよい声がかかる。目が合うと、「あなたを認めていますよ」という目が、そこにある。

 開演の1時間半前に、富良野演劇工場到着。まず、下見。そこで見たものは、ウオーミングアップする役者さんたちの姿。ジョギングで汗をかき、入念なストレッチ。コソ泥のようにあたりを覗いている私に、「こんにちはー」という澄んだ声がかかる。発声練習で鍛えられた声だ!不意を突かれた私も、そこは老獪(ろうかい)、急遽染みるような笑顔を作り、「こんにちは!」と返す。「役者じゃのう」だって?そりゃそうです。舞台を見に来たのですから、こちらも役者でなければ。人と人との美しい営みです。何を言ってるかワカリマセンね。

 役者さんのウオーミングアップを見て、「鬼太鼓座(おんでこざ)」を思い出しました。団員は、毎日、長距離走で鍛えていました。継続は力なり。太鼓のための長距離走、練習しているうちに、マラソンに出場できるまでの記録に。1975年には、ボストンマラソンに団員15名が出場。私は、1984年のボストンマラソンを見たのですが、そのときはゴールに櫓(やぐら)が建てられ、ゴールインした団員が登って太鼓を叩いておりました。ボストン市民に大人気でした。私のことですから、鬼太鼓座をただでは返しません。お願いして、「ボストン日本語学校」へ来ていただき、無料で演奏していただきました。当時は、鬼太鼓座生みの親の田耕(でんたがやす)さんもお元気で、日本語学校へ来てくださいました。役者も太鼓奏者も、体が資本。入念なウオーミングアップは不可欠ということですね。

 「屋根」開演前の注意…再現します…
 まもなく開演です。お客様にお願いがあります。携帯電話の電源をお切り下さい。マナーモードでもいけません。静寂の場面では、マナーモードの振動音もうるさいのです。それに、人間の心理として、マナーモードで電話が入ると、「誰からかな?」と確認したくなります。真っ暗闇の中に、その人の顔だけが浮かび上がります。恐ろしいです。やめてください。
 次に起こる問題は、携帯電話の電源など切ったことがないので、切り方が分からない人がおられるということです。私(舞台の前で注意事項を話している人)は、全機種対応で電源の切り方を知っています。分からない方は手を挙げてください。…高圧的に、「電源切ろよ!」ではなく、婉曲な言い回しにして、笑いを誘いながら、切らせる…。

 大正12年から平成8年までを演じた、主演の2人(久保隆徳と森上千絵)、いい味をだしていました。珠算6級の私の計算なので誤差があるかも知れませんが、20歳から、94歳までの74年間を演じた。70歳ぐらいから腰が曲がり始めました。90歳すぎでは腰が300度くらいまで曲がり、顔が床につくぐらい…役者さんは、体が柔らかくなければならないということ…。
 「それなら、トッピ・ドッラブじゃないか?」って?そういうことです。「ベンジャミン・バトン~数奇な人生~」のブラッド・ピットの逆ですね。

 戦争で3人の子を亡くしてしまったのですが…戦争反対を強調せず、「その時には、その時の状況というものがある。それは、どうしようもない。受け入れなければならないこと」というアプローチ。このことが、私には気が楽でした。これが、思想だ、宗教だ、イデオロギーだ、デロンギだなどと言われたら、胸の使えにさらに悪いものがどんどん溜まってしまったでしょう。何しろ、還暦のノンセクトラディカルですから、難しいことは嫌なのです。単純明快が一番。(デロンギは関係ないだろうって?イデオロギーと似ているので語呂合わせとして書いておきました)。
 「反戦」について一言のセリフもありませんでしたが、「戦争は絶対ダメダよ」のメッセージは強烈に伝わってきました。

 倉本聰さんの『屋根』、70数年間にわたるストーリーなので、(見る側の解釈としての)テーマを一本に絞りきれませんが…
 倹約、節約、堪え忍ぶ、我慢から、消費は美徳だ、浪費せよという世の中へ。これが今回の「屋根」の大きなテーマと感じました。節約、我慢で、家族は不幸だったのか?消費が美徳であるとして、その美徳で家族は幸せになったのか?物語は、平成8年までだった。平成21年になった今は、倹約、節約、堪え忍ぶ時代になっている。投げかけられた問題は、細分化され複雑に絡み合い解決不能となっている。不幸か幸福か?屋根は、大正から今への時代まで、その下に住む家族の人生を見てきた。家族にとって、「本当の幸せ」とは何なんでしょうか?(続きは明日書きます)