ものの豊かさと心の豊かさ
「屋根」の主人公は、「根来公平」と「しの」の夫婦。倉本さんは、なぜ、「根来(ねごろ)」という名字にしたのであろうか?根来姓の知人がおり、冷やかし半分に、「先祖は忍者だったんじゃないの?」と言ったら、「はい、そうなんです」と、いうことがありました。虎ノ門の海外子女教育関係の財団勤務で、まだ現職でおられると思います。こちらが、驚きました。根来忍者の末裔と知り合いということで!忍者に知り合いがいる!自慢になります。
根来忍者は、和歌山県岩出市にある「根来寺」の僧兵でした。銃をいち早く使用したことでも知られています。忍者は手裏剣だろうって?忍者の武具も進歩しなければなりません。手裏剣野次は銃でしょう。その「根来」がなぜ富良野の開拓農家なのか?
根来寺は、信長とは友好関係があったのですが、秀吉とは対立しまた。根来寺が利権をもっていた、紀伊、河内、和泉について、秀吉が取り上げたからです。当然、戦になり、紀州鉄砲軍団の根来衆も、秀吉の力にはなすすべもなく破れ終焉を迎えました。秀吉に立ち向かっていった根来衆…それが、倉本さんの共感を呼び、「屋根」の主人公の姓にした…考えすぎでしょうか…。
暗転の場面。本当に真っ暗。これまでの経験では、暗くしても、「非常口」の電光表示が見事に浮かび上がり興ざめになるというケースばかり。富良野演劇工場では、一切の光がない(私は、そう感じました)。60年の人生で、「100%真っ暗」という体験は初めてでした。違法じゃないかって?法律関係はよく分かりませんが、開場前の注意で、携帯電話のほかに、「非常の場合は、誘導します」というのがありました。係員がいて、非常時に誘導できる体制になっていれば、非常口の表示灯を点けなくてもよいということになっている…かな?
「立腹数え唄」なる唄が、根来夫婦で歌われました。
一つとせェ 人がとびつき すぐ飽きる すぐ飽きる
流行遅れに 腹が立つ 腹が立つ
二つとせェ 古くなったら 直さんで 直さんで
新品買えちゅう 腹が立つ 腹が立つ
五つとせェ いつも何かを 買え買えと 買え買えと
浪費をすすめる 腹が立つ 腹が立つ
十とせェ…まであるのですが、上記の1,2,5、同じことです。倹約、節約、我慢から、消費は美徳だ、浪費せよという世の中へ。消費が美徳であるとして、その美徳で家族は幸せになったのか?
農家を継いだ末っ子の六郎が、消費は美徳の口車に乗せられ膨大な借金をして経営に失敗。老夫婦も、骨身を削って開墾した土地から逃げ出さなければならなくなった。何を持って夜逃げするか…。これは、「屋根」の核だ!と思ってみていたら…
「中山式快癒器を持っていく!」…昔のつぼ押し器具、分かる客はおらんだろうと思ったのに…。客席が反応して笑い声が!「客の平均年齢は還暦かい?」と、思いました。し、しかし!中山式快癒器は今でも元気に販売されていた!2球と4球のセットで、税込み7,245円だという。驚きました。
舞台へ立った役者さんは、総勢50名。スタッフ26名。サポートメンバーは、売店の売り子さん、託児室の保母さんも合わせて30人以上。大変な人数です。
役者、スタッフの半数が、「富良野塾」の塾生。富良野塾は、1984年に倉本聰さんが、「お世話になったテレビ界への恩返しとして、優れた役者と脚本家を育てる」として開塾。一昨年、「惰性で塾を続けても意味がない」と、2010年の閉塾を宣言。来春、25期生の卒塾をもって幕を下ろす。
倉本聰さん、「塾にかかる費用は、ボクが税金を払った残りのポケットマネーを領収書なしでやる形だった。だから稼がなきゃならない状況があった。これで、25年。結構くたびれた。体力的にも年齢的にもこれでは続かない」とも。74歳になられている。
大正12年から平成8年まで家族を見てきた「屋根」。家族にとって、「本当の幸せ」とは何か?
「喜多郎」という人がおられる。名字は「ゲゲゲ野」だろうって?違います。それは「鬼太郎」。喜多郎は、世界的に有名なシンセサイザー奏者。その喜多郎さんは、「便利になることと幸せになることは別のもの」と言っています。根来一家、貧しく不便でも、家族がワイワイと暮らしていた…あの頃が、もっとも幸福だったように思います。
我が青春の、ショーペンハウエルは、「朗らかで陽気であることこそ、幸福の正真正銘の実態である」と。母親の「根来しのさん」、朗らかで陽気でした。家族の幸せの鍵を握るのは、母親です。
還暦パパが考える家族の幸福は…「みんな元気で暮らしていること」です。平凡すぎるって?もっとウケをねらえって?オチはどうしたって?いえいえ、みんなが元気であること以上の幸福などありませんよ。
ある高校が、「屋根」を観たそうです。価値項目も盛りだくさん。道徳の授業1年分の効果があったと思います。
笑点に出ている落語家の林家喜久扇、「屋根」について感想を求められるときっと言うでしょう。
「ヤーネー(嫌ねえー)」
「屋根」の主人公は、「根来公平」と「しの」の夫婦。倉本さんは、なぜ、「根来(ねごろ)」という名字にしたのであろうか?根来姓の知人がおり、冷やかし半分に、「先祖は忍者だったんじゃないの?」と言ったら、「はい、そうなんです」と、いうことがありました。虎ノ門の海外子女教育関係の財団勤務で、まだ現職でおられると思います。こちらが、驚きました。根来忍者の末裔と知り合いということで!忍者に知り合いがいる!自慢になります。
根来忍者は、和歌山県岩出市にある「根来寺」の僧兵でした。銃をいち早く使用したことでも知られています。忍者は手裏剣だろうって?忍者の武具も進歩しなければなりません。手裏剣野次は銃でしょう。その「根来」がなぜ富良野の開拓農家なのか?
根来寺は、信長とは友好関係があったのですが、秀吉とは対立しまた。根来寺が利権をもっていた、紀伊、河内、和泉について、秀吉が取り上げたからです。当然、戦になり、紀州鉄砲軍団の根来衆も、秀吉の力にはなすすべもなく破れ終焉を迎えました。秀吉に立ち向かっていった根来衆…それが、倉本さんの共感を呼び、「屋根」の主人公の姓にした…考えすぎでしょうか…。
暗転の場面。本当に真っ暗。これまでの経験では、暗くしても、「非常口」の電光表示が見事に浮かび上がり興ざめになるというケースばかり。富良野演劇工場では、一切の光がない(私は、そう感じました)。60年の人生で、「100%真っ暗」という体験は初めてでした。違法じゃないかって?法律関係はよく分かりませんが、開場前の注意で、携帯電話のほかに、「非常の場合は、誘導します」というのがありました。係員がいて、非常時に誘導できる体制になっていれば、非常口の表示灯を点けなくてもよいということになっている…かな?
「立腹数え唄」なる唄が、根来夫婦で歌われました。
一つとせェ 人がとびつき すぐ飽きる すぐ飽きる
流行遅れに 腹が立つ 腹が立つ
二つとせェ 古くなったら 直さんで 直さんで
新品買えちゅう 腹が立つ 腹が立つ
五つとせェ いつも何かを 買え買えと 買え買えと
浪費をすすめる 腹が立つ 腹が立つ
十とせェ…まであるのですが、上記の1,2,5、同じことです。倹約、節約、我慢から、消費は美徳だ、浪費せよという世の中へ。消費が美徳であるとして、その美徳で家族は幸せになったのか?
農家を継いだ末っ子の六郎が、消費は美徳の口車に乗せられ膨大な借金をして経営に失敗。老夫婦も、骨身を削って開墾した土地から逃げ出さなければならなくなった。何を持って夜逃げするか…。これは、「屋根」の核だ!と思ってみていたら…
「中山式快癒器を持っていく!」…昔のつぼ押し器具、分かる客はおらんだろうと思ったのに…。客席が反応して笑い声が!「客の平均年齢は還暦かい?」と、思いました。し、しかし!中山式快癒器は今でも元気に販売されていた!2球と4球のセットで、税込み7,245円だという。驚きました。
舞台へ立った役者さんは、総勢50名。スタッフ26名。サポートメンバーは、売店の売り子さん、託児室の保母さんも合わせて30人以上。大変な人数です。
役者、スタッフの半数が、「富良野塾」の塾生。富良野塾は、1984年に倉本聰さんが、「お世話になったテレビ界への恩返しとして、優れた役者と脚本家を育てる」として開塾。一昨年、「惰性で塾を続けても意味がない」と、2010年の閉塾を宣言。来春、25期生の卒塾をもって幕を下ろす。
倉本聰さん、「塾にかかる費用は、ボクが税金を払った残りのポケットマネーを領収書なしでやる形だった。だから稼がなきゃならない状況があった。これで、25年。結構くたびれた。体力的にも年齢的にもこれでは続かない」とも。74歳になられている。
大正12年から平成8年まで家族を見てきた「屋根」。家族にとって、「本当の幸せ」とは何か?
「喜多郎」という人がおられる。名字は「ゲゲゲ野」だろうって?違います。それは「鬼太郎」。喜多郎は、世界的に有名なシンセサイザー奏者。その喜多郎さんは、「便利になることと幸せになることは別のもの」と言っています。根来一家、貧しく不便でも、家族がワイワイと暮らしていた…あの頃が、もっとも幸福だったように思います。
我が青春の、ショーペンハウエルは、「朗らかで陽気であることこそ、幸福の正真正銘の実態である」と。母親の「根来しのさん」、朗らかで陽気でした。家族の幸せの鍵を握るのは、母親です。
還暦パパが考える家族の幸福は…「みんな元気で暮らしていること」です。平凡すぎるって?もっとウケをねらえって?オチはどうしたって?いえいえ、みんなが元気であること以上の幸福などありませんよ。
ある高校が、「屋根」を観たそうです。価値項目も盛りだくさん。道徳の授業1年分の効果があったと思います。
笑点に出ている落語家の林家喜久扇、「屋根」について感想を求められるときっと言うでしょう。
「ヤーネー(嫌ねえー)」