旅を「すみか」と…できたらいいな
「晴耕雨読」の暮らし11か月目。今は、雪に埋もれ、ひっそりと暮らしている。穴ごもりの熊状態。活字の大きな本を選んで読んでいる。ジャンルもヘチマもあったもんじゃない。老眼には大きな活字が楽ちんなのです。雪が解けたらどうするか?やはり「旅」に出たいです。
李白は、「夫れ天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客なり」と詠みました。夫人、側室合わせて4人。伝説では、62歳の時、酒に酔って水面に映る月を捉えようとして舟から落ちて亡くなった。そのような伝説を作ってもらえる人であったことが感嘆に値します。25歳を過ぎてからおよそ10年間、長江中下流域を中心に放浪しました。孟浩然との交遊もこの時期。
芭蕉も、「月日は百代の過客…」と。「過客」とは旅人のことです。芭蕉など密かに師と仰いでおりますから、私としましては、やはり「旅」をしなければなりません。芭蕉は、隠密だったって?隠密でも、あん蜜でも何でもいい。むしろその方がおもしろい。
旅はテンションが上がります。自分が病人だということを完全に忘れていますから。見知らぬ土地の見知らぬ人。出会いと別れが楽しい。お互いしがらみがナッシングだから。
旅先で、人の情けに触れると感動します。最近の一番の感動は、アユタヤでの出来事です。珠玉の旅行エッセー(自分で、珠玉って言うなってが?)「還暦パパ タイを行く」にも載せました。感動部分の概略は…
日本男児60歳。アユタヤを自転車で疾走。夕刻の列車でバンコクへ帰ろうと、駅を目指した。行けども行けども遺跡はあるが、アユタヤ駅への渡し船乗り場に着かない。
川が見えた。「お、近いな!」と、見ると、対岸への吊り橋が。変だなあ?渡し船で来たのに、吊り橋があったのか?まあいいや、渡し船の運賃の5バーツを浮かそうという訳ではないが、橋があるなら渡ればいい。自転車を持って無事渡りきり、駅を探した。妙だ?駅前通りの喧噪らしきものが全くない。実に静か。建物の中から、授業中の先生の声が。学校かあ?
ほどなく道が途切れて川。では別の方向へ、これまた川。もう一カ所・・・やはり川・・・。なんなんだ?焦って闇雲に走ったが、駅へ行く道がない。迷った!6時までに自転車を返さなければ。しかし、間に合うだろか?この迷路のようなところから抜け出せるのか?
人がいた!なにやら作業の打ち合わせをしていたお兄さんに声をかけた。
「迷ったんだけど、アユタヤ駅はどっち?」
「地図持ってる?(地図を渡した)オー日本語!」日本語であることが分かるレベルの人だった。
「この地図じゃあ分からない。案内するよ」
親切な人がいるものである。
なんと、先ほど苦労して自転車を持って渡ってきたあの橋をまた引き返した。
「ここは、川に囲まれた島なんだ。小さな中州の島で、造船学校があるのさ」合点がいった。どっちへ行っても川だったので、狐につままれたような(狐が人をつまむかどうか?)感じだったので。
「この先2km行くと、左手に船着き場あるからね。」
私は、厚くお礼を言って出発した。100mほど行くと、「プップー」と後方からクランクション。なんとさっきのお兄さんが、オートバイで追いかけてきた。
「後をついてきなさい」という。心配して来てくれたのだった。
もう必死でオートバイを追いかけた。尻を浮かして自転車をこぎ、車を縫うようにして。「アユタヤ市内自転車乗り大会」があれば、上位入賞間違いなしだろう。私自身は必死だったが、第三者が見たら「元気な若者」に見えただろうなあ。若々しいぞ!還暦パパ!自分で言うなってがぁ!
お兄さん(造船学校の教職員でしょうか)は、時折「日本人の若者じゃなくておやじさんついてきているかな」と後ろを振り返ってくれた。
お兄さんは、船着き場に着き、「おーい客だよ」と舟に声をかけ、切符売りのおばさんに、「日本人だよ」と、教えた。日本人は珍しくないだろうが、自転車で迷って、吊り橋を自転車を持って渡り、島の造船学校へ闖入する日本人は後にも先にも私だけでしょうねえ・・・。彼は、私が舟に乗り込むまで見届けてくれました。
旅行から帰ると、「ホッ」とします。無事帰ってきたなと安心します。だったら、旅行などしなければいいだろうって?旅行しなければ、「ホッ」とするその気持ちを味わえません。砂時計のように、寿命が少なくなっています。あと何回「ホッ」とできますか。
「晴耕雨読」の暮らし11か月目。今は、雪に埋もれ、ひっそりと暮らしている。穴ごもりの熊状態。活字の大きな本を選んで読んでいる。ジャンルもヘチマもあったもんじゃない。老眼には大きな活字が楽ちんなのです。雪が解けたらどうするか?やはり「旅」に出たいです。
李白は、「夫れ天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客なり」と詠みました。夫人、側室合わせて4人。伝説では、62歳の時、酒に酔って水面に映る月を捉えようとして舟から落ちて亡くなった。そのような伝説を作ってもらえる人であったことが感嘆に値します。25歳を過ぎてからおよそ10年間、長江中下流域を中心に放浪しました。孟浩然との交遊もこの時期。
芭蕉も、「月日は百代の過客…」と。「過客」とは旅人のことです。芭蕉など密かに師と仰いでおりますから、私としましては、やはり「旅」をしなければなりません。芭蕉は、隠密だったって?隠密でも、あん蜜でも何でもいい。むしろその方がおもしろい。
旅はテンションが上がります。自分が病人だということを完全に忘れていますから。見知らぬ土地の見知らぬ人。出会いと別れが楽しい。お互いしがらみがナッシングだから。
旅先で、人の情けに触れると感動します。最近の一番の感動は、アユタヤでの出来事です。珠玉の旅行エッセー(自分で、珠玉って言うなってが?)「還暦パパ タイを行く」にも載せました。感動部分の概略は…
日本男児60歳。アユタヤを自転車で疾走。夕刻の列車でバンコクへ帰ろうと、駅を目指した。行けども行けども遺跡はあるが、アユタヤ駅への渡し船乗り場に着かない。
川が見えた。「お、近いな!」と、見ると、対岸への吊り橋が。変だなあ?渡し船で来たのに、吊り橋があったのか?まあいいや、渡し船の運賃の5バーツを浮かそうという訳ではないが、橋があるなら渡ればいい。自転車を持って無事渡りきり、駅を探した。妙だ?駅前通りの喧噪らしきものが全くない。実に静か。建物の中から、授業中の先生の声が。学校かあ?
ほどなく道が途切れて川。では別の方向へ、これまた川。もう一カ所・・・やはり川・・・。なんなんだ?焦って闇雲に走ったが、駅へ行く道がない。迷った!6時までに自転車を返さなければ。しかし、間に合うだろか?この迷路のようなところから抜け出せるのか?
人がいた!なにやら作業の打ち合わせをしていたお兄さんに声をかけた。
「迷ったんだけど、アユタヤ駅はどっち?」
「地図持ってる?(地図を渡した)オー日本語!」日本語であることが分かるレベルの人だった。
「この地図じゃあ分からない。案内するよ」
親切な人がいるものである。
なんと、先ほど苦労して自転車を持って渡ってきたあの橋をまた引き返した。
「ここは、川に囲まれた島なんだ。小さな中州の島で、造船学校があるのさ」合点がいった。どっちへ行っても川だったので、狐につままれたような(狐が人をつまむかどうか?)感じだったので。
「この先2km行くと、左手に船着き場あるからね。」
私は、厚くお礼を言って出発した。100mほど行くと、「プップー」と後方からクランクション。なんとさっきのお兄さんが、オートバイで追いかけてきた。
「後をついてきなさい」という。心配して来てくれたのだった。
もう必死でオートバイを追いかけた。尻を浮かして自転車をこぎ、車を縫うようにして。「アユタヤ市内自転車乗り大会」があれば、上位入賞間違いなしだろう。私自身は必死だったが、第三者が見たら「元気な若者」に見えただろうなあ。若々しいぞ!還暦パパ!自分で言うなってがぁ!
お兄さん(造船学校の教職員でしょうか)は、時折「日本人の若者じゃなくておやじさんついてきているかな」と後ろを振り返ってくれた。
お兄さんは、船着き場に着き、「おーい客だよ」と舟に声をかけ、切符売りのおばさんに、「日本人だよ」と、教えた。日本人は珍しくないだろうが、自転車で迷って、吊り橋を自転車を持って渡り、島の造船学校へ闖入する日本人は後にも先にも私だけでしょうねえ・・・。彼は、私が舟に乗り込むまで見届けてくれました。
旅行から帰ると、「ホッ」とします。無事帰ってきたなと安心します。だったら、旅行などしなければいいだろうって?旅行しなければ、「ホッ」とするその気持ちを味わえません。砂時計のように、寿命が少なくなっています。あと何回「ホッ」とできますか。