昨日は、小学校で「人権に関わる講話」をしてきました。
児童が集中力を切らさずに話を聴いてくれたので、私としましても、大いに成就感、効力感に浸ることが出来ました。それもこれも私の準備性が素晴らしかったからです。えっ?自分で言うと価値が下がるって?そ、そうなんですが、半世紀にわたって使っている辞書の、「謙遜」のページがなぜかなくなっているものですから…。
寝た子はいなかったのかって?そ、それが…。遅刻して入ってきた子が、席に着くなり机に伏してふてくされておりました。伏す前に一瞬目が合いました。瞬時に彼がどういう子なのかを察知しました。ですから、「寝るなコラ!」とか「私の高尚な話が聴けないのか!」とかは、一切言いませんでした。
私が思ったとおり彼は、「特別支援教育」を受けている子でした。特別支援教育は、障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取組を支援するという視点に立った教育。幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握して、その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するため、適切な指導及び必要な支援を行うもの…。
で、彼の特別支援学級の担任が、「(アンティークマンの講話は彼にとって)教育的ニーズだ!持てる力を高められる!」と、判断したのでしょうか…渋る彼を、いわゆる普通学級の1組の教室へ送り出した…らしい。
はじめからなんの興味もなかった彼が、教室で耐えるため、つまり時間をつぶすためには机に伏すしかなかった。(時間の浪費、寿命の浪費なんですよ…)
BUSINGを思い出しました。高校で、白人と黒人の比率を平等にするために、BUSで黒人の多い高校から、黒人生徒を白人の多い高校へ送迎する。白人の多い高校から、白人生徒を黒人の多い高校へ送迎する。そうやって比率を平等にしようとした。
ノーマライゼーションは支持します。ですから彼を、いわゆる普通学級に通わせる機会を増やそうという取り組みも支持します。だけど…外部から講師を招いて、「人権」についての講話を聴く授業に彼を入れる…彼の担任は付き添ってきませんでした。
「子どもの心に寄り添って」という美しい文句があります。今回の場合、「寄り添ってないだろう!」ですね。「彼の忍耐力を育てたかったんだ」「とか、障害を持つ子の人権に配慮した」「ほかの子と、平等に扱わなきゃね」…などと言われると飯を吹き出しますよ。
「講話が本当に素晴らしいものならば、机に伏したままの子を起き上がらせることが出来たのではないか」って?「昨日、テレビで、ドラえもんやってたね」と言ったときだけ、彼は体を起こしました…。ドラえもんのDVDを流すと、真剣に観てくれるのでしょうが…。
特別支援…ノーマライゼーションの名のもとに、支援度が薄まると意味がない。
児童が集中力を切らさずに話を聴いてくれたので、私としましても、大いに成就感、効力感に浸ることが出来ました。それもこれも私の準備性が素晴らしかったからです。えっ?自分で言うと価値が下がるって?そ、そうなんですが、半世紀にわたって使っている辞書の、「謙遜」のページがなぜかなくなっているものですから…。
寝た子はいなかったのかって?そ、それが…。遅刻して入ってきた子が、席に着くなり机に伏してふてくされておりました。伏す前に一瞬目が合いました。瞬時に彼がどういう子なのかを察知しました。ですから、「寝るなコラ!」とか「私の高尚な話が聴けないのか!」とかは、一切言いませんでした。
私が思ったとおり彼は、「特別支援教育」を受けている子でした。特別支援教育は、障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取組を支援するという視点に立った教育。幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握して、その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するため、適切な指導及び必要な支援を行うもの…。
で、彼の特別支援学級の担任が、「(アンティークマンの講話は彼にとって)教育的ニーズだ!持てる力を高められる!」と、判断したのでしょうか…渋る彼を、いわゆる普通学級の1組の教室へ送り出した…らしい。
はじめからなんの興味もなかった彼が、教室で耐えるため、つまり時間をつぶすためには机に伏すしかなかった。(時間の浪費、寿命の浪費なんですよ…)
BUSINGを思い出しました。高校で、白人と黒人の比率を平等にするために、BUSで黒人の多い高校から、黒人生徒を白人の多い高校へ送迎する。白人の多い高校から、白人生徒を黒人の多い高校へ送迎する。そうやって比率を平等にしようとした。
ノーマライゼーションは支持します。ですから彼を、いわゆる普通学級に通わせる機会を増やそうという取り組みも支持します。だけど…外部から講師を招いて、「人権」についての講話を聴く授業に彼を入れる…彼の担任は付き添ってきませんでした。
「子どもの心に寄り添って」という美しい文句があります。今回の場合、「寄り添ってないだろう!」ですね。「彼の忍耐力を育てたかったんだ」「とか、障害を持つ子の人権に配慮した」「ほかの子と、平等に扱わなきゃね」…などと言われると飯を吹き出しますよ。
「講話が本当に素晴らしいものならば、机に伏したままの子を起き上がらせることが出来たのではないか」って?「昨日、テレビで、ドラえもんやってたね」と言ったときだけ、彼は体を起こしました…。ドラえもんのDVDを流すと、真剣に観てくれるのでしょうが…。
特別支援…ノーマライゼーションの名のもとに、支援度が薄まると意味がない。