アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

宮之浦港の別れ

2015年09月17日 | Weblog
「別れ」…辛く悲しいもの…。しかし、別れのない人生などないわけで…。古希に近づくと、「別れ」には鈍感になってきまして、「しょうがないもの」と…。

 10数年ぶりに屋久島へ行ってきました。何しに行ったかって?もちろん縄文杉までの日帰り登山です。夜明けとともに登りはじめ、日没までに帰ってくる。用便?もちろん携帯トイレ持参。ウソだろうって?ハイ、ウソです。本当の目的はぁ、正直に言いますがぁ、無目的ですねえ。目的がないのに行動する人間もいるってことです。

 前回の屋久島は、毎日雨降り…「なんなんだここは!」って感じでした。東シナ海の海面にいきなり2000メートル級の山々が聳え立っている訳で、雨が降るのが当たり前。
 今回も、「どうせまた、連日雨にたたられるんだろうなあ」と、覚悟して行きました。覚悟したのが潔いと屋久杉の精霊に気に入られたのか、毎日毎日「晴れっ!」。しかもただの晴れじゃない。「スカッ晴れ!」。地元民も、「こんなに晴れが続くのもぉ、かって経験がないなあ!」と。

 前回は、鹿児島~宮之浦(屋久島の玄関)は、超高速の水中翼船の「トッピー」(片道、1時間45分で)を利用しました。今回は、「屋久島2」にしました。「屋久島2」は、いわゆるフェリーで、片道の所要時間が4時間。往路の時は、失敗したなあと思いましたよ。今時、4時間も何もすることがないまま単に船に乗っている…拷問にも似た苦痛だったもので。
 しかし…屋久島2に乗ったおかげで、復路では「別れのシーン」を観ることが出来ました。結果としては、良かったかなと思っています。

 小中高と同級生だった仲良しグループ。高校(屋久島高校)を卒業して…島に仕事などないに等しい。あっても、収入も少なく将来の見通しに大きな希望など持てない。そんなわけで、ある子は、鹿児島市へ。またある子は大阪方面へ。はたまたある子は関東へ。それぞれ散って行った。
時が過ぎ、挫折して島に戻った子、音信不通になってしまった子…それぞれ、荒波に翻弄されてきた。仲良し5人組が島に集まった。女子2人、男子3人。全員が、アルバイトのような仕事。贅沢をしなければ、なんとか暮らしていけた。一番の楽しみは、5人が集まって飲めや歌えやで騒ぐことだった。みんな20歳代後半にさしかかっていた。島の暮らしは楽しい。しかし…このままここで人生を終わらせていいのか…5人が5人ともその思いはあった。

 仲間の鈴(りん:仮名)は、高校を卒業後神戸に就職した。しかし、慣れるにつれ「派手な暮らし」にあこがれるようになり、お定まりのコースへ。行き場を失って、「島」を思い出した。「島で休もう…」と、家へ帰り、仲間と再会したのでした。毎日が楽しかったが、「世の中が分かった今なら、都会でも暮らしていける。もう一度島を出てみよう」と決心した。
 Bコープ(仮名)のパートでコツコツ貯金してきたお金は、50万円になっていた。そして、島を離れる船に私も乗りあわせたというわけ。(宮之浦に、Aコープがあります。地元では、「デパート」と、呼ばれています。食料品から、衣料、雑貨、ゴム長靴まで売っているもので…)

 宮之浦~鹿児島を1時間45分で結ぶトッピーに乗らずに、4時間かかる屋久島2に乗った。どうして?トッピーなら、8,800円かかるが、屋久島2なら、島民割引で6,700円。そんなわずかな違いなら、時間が短い方がいいんじゃないかって?あ、あ、あのね!2,100円も違うんですよ!これは大きいですよ。

 さて、宮之浦港。鈴の見送りに、仲良しの4人が来ていた。男の子の一人が鈴を抱きしめ、照れ隠しなのか、そのまま振り回した…。
 鈴が船内へ。4人は、その場にとどまらず、防波堤を登り灯台の方へ歩き出した。少しでも長く鈴を見送ろうということ。

 船はゆっくり動き出した…防波堤から手を振る4人。防波堤の高さは水面から10メートル。鈴はというと、涙は乾く間がない。泥遊びの子のような顔で必死に手を振っていた。
 私はというと、防波堤の様子と鈴の表情の両方をものかげから見ていましたよ。変なオジサンだって?…別れのシーンに感動し、ものかげで泣いているのですから、確かに変なオジサンですね。

 そして…防波堤の上の男の子の一人が、別れのパフォーマンスとしては、最高のものを…!
 10メートルの防波堤から、海へ飛び込んだのです。

 鈴には頑張ってもらいたいし、残った4人にも幸福な人生を過ごしていただきたい。宮之浦港での別れ、泣かせていただきました。

 (海に飛び込んだ子はどうなったかって?スイスイ岸壁まで泳いで、テトラをよじ登って地上へ。3人と合流して、ずーっと手を振っていました)