熊本城の石垣が、熊本地震で崩れてしまいました。
大阪城、名古屋城と並ぶ日本三名城。1588年に肥後藩主となった加藤清正が、7年の歳月をかけて1607年に築城。
「茶臼山と呼ばれた丘陵地に加藤清正が当時の最先端の技術と労力を投じて熊本城を築城」
…1607年の最先端の技術…その熊本城の石垣が、2016年4月に崩れた…。
だからなんなんだって?中世の日本の最先端の石垣の技術って、インカ帝国の石垣の技術と比較すると…やたら遅れていたのではないかというところが悔しいというか、歯がゆいというか…なんです。
インカの石垣と言えばクスコなんですが、正直に言えば、「人間が石をこれほど見事に細工できるはずがない」と、思いましたね。これはペルー旅行の感想で書きましたが、「石を、まるで羊羹を切るかのごとくに加工した」。高度な文明を持った宇宙から来られた方の建造物であると思いましたねえ!
その石垣ができあがったのは、1438年なんです。幾たびの大地震にもびくともしなかった。スペイン軍もまったく歯が立たず破壊できなかった。
もちろん、現在もカミソリの刃一枚通す隙間もない。で、石垣というのは間違いで、「石組」なんです。単に石を積み上げたのではなく、石に、「ほそ」「ほそ穴」という凹凸状をつくって組み合わせることで崩れないようピッタリと固定したわけで…。ね、これ、人間業ではないっ!
インカの人々は、中世の日本人より優秀な技術を持っていたのか?私など、日本びいきなもので、日本人が一番でないとストレスが…。
インカに負けるワケがない…。だけど、どう考えても、1438年建造はびくともしないが、1607年建造は崩れた・・・。
科学技術立国日本。「♪勝った負けたと騒ぐじゃないよ…」と、熊本出身の歌手が歌っていましたが…400年前の日本の石垣技術はインカに負けていた…。
インカの石垣は、地球に立ち寄った高度な文明を持った宇宙人の皆さんが組んだ…そのあたりが証明されると、「日本の石垣は凄いね」と、なるのでしょうがね。
大阪城、名古屋城と並ぶ日本三名城。1588年に肥後藩主となった加藤清正が、7年の歳月をかけて1607年に築城。
「茶臼山と呼ばれた丘陵地に加藤清正が当時の最先端の技術と労力を投じて熊本城を築城」
…1607年の最先端の技術…その熊本城の石垣が、2016年4月に崩れた…。
だからなんなんだって?中世の日本の最先端の石垣の技術って、インカ帝国の石垣の技術と比較すると…やたら遅れていたのではないかというところが悔しいというか、歯がゆいというか…なんです。
インカの石垣と言えばクスコなんですが、正直に言えば、「人間が石をこれほど見事に細工できるはずがない」と、思いましたね。これはペルー旅行の感想で書きましたが、「石を、まるで羊羹を切るかのごとくに加工した」。高度な文明を持った宇宙から来られた方の建造物であると思いましたねえ!
その石垣ができあがったのは、1438年なんです。幾たびの大地震にもびくともしなかった。スペイン軍もまったく歯が立たず破壊できなかった。
もちろん、現在もカミソリの刃一枚通す隙間もない。で、石垣というのは間違いで、「石組」なんです。単に石を積み上げたのではなく、石に、「ほそ」「ほそ穴」という凹凸状をつくって組み合わせることで崩れないようピッタリと固定したわけで…。ね、これ、人間業ではないっ!
インカの人々は、中世の日本人より優秀な技術を持っていたのか?私など、日本びいきなもので、日本人が一番でないとストレスが…。
インカに負けるワケがない…。だけど、どう考えても、1438年建造はびくともしないが、1607年建造は崩れた・・・。
科学技術立国日本。「♪勝った負けたと騒ぐじゃないよ…」と、熊本出身の歌手が歌っていましたが…400年前の日本の石垣技術はインカに負けていた…。
インカの石垣は、地球に立ち寄った高度な文明を持った宇宙人の皆さんが組んだ…そのあたりが証明されると、「日本の石垣は凄いね」と、なるのでしょうがね。