アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

「リンゴの植樹」パクリ大会?

2021年03月05日 | Weblog
 入退院が10か月間に6度…。夜に自宅に居ることに違和感を覚えております。夜、テレビドラマを観る習慣がなかったのですが、このごろは、毎日観てます。もっとも、カミサンが観るのでついでに観るのですがね。
 感じるのは、「医者」に関するテレビドラマの多さ。背景に、「コロナ禍」もあるんでしょうかねぇ。関係ないかな。
 それらのドラマの一つに、机の引き出しにリンゴを入れている女医さんが出てくるものがありまして…(私の地方では月曜日に放送)。それがまた、大きな美味しそうなリンゴで、夕食のデザートで伊予柑とグレープフルーツとアイスモナカを食べた後なのに、さらにリンゴを引っ張り出してしまいます。

 で、思い出すのが卒業式。卒業生たちが、「卒業アルバム(の余白部分)に、言葉を書いてください」と、持ってきます。去年、今年は、そんな光景は見られないのでしょうがねえ。
 私がよく書かせてもらったのは、「明日、世界が滅びるとしても、今日、私はリンゴの木を植える」でしたね。
 なぬ?「いい人ぶっている。それに、開高健さんのパクリだろう」って?
 はいはい、開高さんは、「…今日、あなたはリンゴの木を植える」です。ま、まあ、パクリですがね。太公望仲間ですから許してくださるでしょう。

  我が家の読書家によると、「開高さんの言葉じゃないよ、『リンゴの木を植える』は、ゲオルギウ(ルーマニア出身の作家)が小説『第二のチャンス』に書いている」と…。どんなふうに書いているかぁ…気になって見せてもらうと…
 「たとえ世界の終末が明日であっても、自分は今日リンゴの木を植える」と。 
 それを開高さんは「自分は」を「あなたは」に変えて使った…?それを私は、「あなたは」を「私は」にもどして、自分が考えたかのように使った…。まあ、パクリ合戦ということで、笑って済ませていただきたいもの。
 ところがぁ、ところがですねぇ、ゲオルギウは、「リンゴの木は、マルティン・ルターの言葉だ」と!
 マルティン・ルターは、「たとえ明日世界が滅びることを知ったとしても、 私は今日りんごの木を植える」。ありゃりゃ!ゲオルギウが、そもそものパクリの犯人。本家だと思っていたゲオルギウが、パクッていたとは!
 書いているうちに、またリンゴを食べたくなってきました。なぬ?「パクリと食べるんだろう」って?…ウマイッ!ウマイナア!