アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

「責任がない」などとは言えない…

2021年03月11日 | Weblog
 「子どもたちだけでも我が家で面倒を見ますから、ドイツへ避難させなさい。ドイツの教育には自信があります。安心して」
 フランクフルト在住の化学者ブラウワー博士ご夫妻からこのようなメールを頂いたのがちょうど10年前。東日本大震災による災害で私どもが苦難を強いられているだろうから、何かしてあげようと考えてくれての提案でした。私どもは、子どもたちをドイツに避難させなければならないようなダメージがありませんでしたので、申し出を断りましたがね。 ドイツ人って、「困っている人」を見逃せない。素晴らしい人たちです。

 ブラウワー家とは、米国在住当時からのつきあい。日本とドイツに別かれた後も、連絡を取り合っております。で、私どもがフランクフルトのブラウワー宅へ訪れたことがありまして、それが1985年8月。3か月前の5月に、ヴァイツゼッカー大統領(当時)が
「荒れ野の40年」と題する有名な議会演説を行っていました。単なる偶然ではありますが、私的には、「私とドイツとの因縁」を勝手に感じました。

 で、戦争責任なんですがね。私は、戦後の生まれです。第二次世界大戦…戦後生まれの私に責任はあるのか?生まれてなかったんだから、責任などあるはずがない。戦後責任だってあるはずがない。「荒れ野の40年」の前までは、そう思っておりました。「荒れ野の40年」で、自分の思考がいかに粗末なものかを思いしらされましたよ。

 ヴァイツゼッカーさんは、「荒れ野の40年」のなかで、ユダヤ人虐殺などドイツの罪を反省し…
 「若い人に戦争責任はないが、その後の歴史から生じたことへの『戦後責任』はある…罪があろうがなかろうが、若かろうが老いていようが、全国民が過去を引き受けなければならない。その自覚があったからこそドイツは周辺国との和解を進めることができた」

 「ガツーン!」とやられました。「責任がない」などとは言えないんだぁ!
 「荒れ野の40年」の前までの、私の思考の柱に、「過ぎたことは関係ない。前を見て、進もう」が、ありました。しかしこれも、浅はかであることに気づかされました。ヴァイツゼッカーさんは、演説の中で…「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」と。日本の、「植民地支配と侵略」も、「全日本国民が植民地支配と侵略の過去を引き受ける」…これでいかなければ…。

 ヴァイツゼッカーさん語録をめくると…
 「非人間的な行為を心に刻もうとしない者はまたそうした危険に陥りやすい」
 「偽りのない謝罪でなければ意味がない」
 「敵意や憎悪に駆り立てられることのないよう、手を取り合い生きていくことを学んでいただきたい」
 手を取り合って生きていく…!ブラウワーご夫妻の、「子どもたちだけでも、我が家で面倒を見ます」は、ここなのですね。