アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

家族で「漢字コンクール」…現代は無理かなあ

2021年03月13日 | Weblog
 浜松市在住の長男から、「家族のLINEにメールが」。「快(かい:長男の長男で小3)は、算数はいつも100点。漢字は、27点だったけど、再テストで57点だった」
 カミサンは、「やればできるんだぁ!」と、コメントを返信。私としては、孫が漢字テストで27点だったというのは、衝撃というよりは怒りでした。
 「算数は、考えればできる。しかし、漢字はいくら頭がいい快くんでも、考えて解るもんじゃない。強制的にでも覚えさせなければならない。誰が覚えさせるか?親でしょ!親が毎日教えて、快くんに「漢字100点」を味わわせてあげて!」

 60年も前ですが私が小~中学生の頃、我が家の一家団欒は、「漢字の書き取り」でした。一家5人、全員参加。ルールは、いたってシンプル。
 1 誰かが「お題」を出す。「さんずい」とか「きへん」等、「部首」がお題です。
 2 ヨーイ、スタート!で、各自がその部首の漢字を書く、3~5分という時間を設定。制限時間内に、お題の部首の漢字を何個書けるかが勝負。私も善戦はしましたが、両親に勝てるはずもなく、夜な夜な連敗でした。

 お題が「しんにょう(しんにゅう)」の時は、「道を歩く。行く・進む行為」を思い浮かべて書きました。
 道に迷うこともある。遠かったり近かったり。速かったり、遅かったり。運ぶこともある。唐へ行ったんだよなあ、遣唐使。…このように考えながら書く。

 トラブルとして思い出深いのは、「巡」という漢字。私は、しんにょうだと思って書いたところ、答え合わせで、×となった。なぜ?巡の部首は「まがりがわ」であって、しんにょうではないのだと!このように、高レベルなやりとりが行われましたね。両親が、なかなかの負けず嫌い。息子(私です)の「巡」を許してしまって、自分たちの立場が脅かされてはたまらない…それで、「まがりがわ」まで持ち出す。
 現代にあっては、「まがりがわ」を知る大人は…多くはないでしょう。60年前は、みんな知っていたんじゃないかなあ。

 「道」という漢字…どうして「しんにょうに首」なんだ?歩く、行くという意味を持たせるために、しんにょうを使ったのは分かる。で、どうして「首」なの?
 当時の時点には、「首を手に持って行くのが道」なんだと。こりゃ恐ろしい。古い時代には、他の民族のいる土地は、その氏族の霊や邪霊がいて災いをもたらす。そのため異族の人の首を手に持ち、その呪いの力で邪霊を祓い清めて進んだ…。

 では「迷」はどうなんだ?しんにょうに「米」。米を持って歩いているうちに道に迷ったのか?「迷は、形声文字」なので、米を運んで道に迷ったという成り立ちではないらしい。

 三月、たくさんの旅立ちがあります。
 「きみの前に道はない。きみの後ろに道はできる」…幸福な人生を送ってほしいと願います。きみが手に持っているのはぁ首です。失礼失礼、旅立ちの「道」の場合、「道」の成り立ちは、書かない方がいいね。